日曜日、昼起きて西部古書会館の古書展を見たあと(つい習性で……)、不忍ブックストリートの一箱古本市に行ってきた。天気もいいし、人もたくさん来ている。
「谷根千」(谷中・根津・千駄木)は、ふつうに町歩きするだけでも楽しい。
出発はオヨヨ書林。景気づけに退屈文庫で久保田二郎の『ニューヨーク大散歩』(新潮文庫)を一冊。
地図を見ながら歩いていると、次々と知りあいに声をかけられる。
「あ、こんにちは」
「どこがおもしろかったですか」
「なにかいい本、買えましたか」
一箱古本市のようなイベントのおかげで、ほんとうにいろいろな人に会って話ができるようになった。それまでは古本祭に行っても、人とぶつかりながらひたすら古本を買うみたいなかんじだったからなあ。
にぎやかでなごやかな新しい「古本文化」が誕生しているとおもった。
喫茶「乱歩゜」に向かっていると、古書現世の向井さんと会い、「晶文社の宮里さんと退屈くんがいますよ」と教えてもらう。乱歩前では「森茉莉かい堂」さんで大岡昇平の『ゴルフ 酒 旅』(番町書房)を買わせていただく。
そのあと「乱歩゜」で宮里さんと退屈くんと退屈くんの友だちと休憩していると、往来堂書店で『古本暮らし』(晶文社)を売っているのでサインをしてきてほしいと頼まれる。
ハイ、よろこんで。
とはいえ、人前で小学校高学年くらいのときに進歩が止まってしまった字を書くのはとても恥ずかしい。
サインをすませ、店長に挨拶して逃げるように退散。途中、古本カフェ「BOUSINGOT」を見てから、古書ほうろうにむかう。あんまり荷物が重くなると困るなあとおもい、ブレーキをかけながら本を買っていたのだけど、古書ほうろうの前でスイッチがはいってしまい、「しのばずくんトート」の助けを借りる状態に。
ほうろうの店内で古本を見ていたら古書往来座の瀬戸さんに会う。
「いい店だねえ」
とわたしがいうと、
「ほんと、なんか小股がきゅっとするかんじですよね」と瀬戸さん。
ですよねといわれても、わけがわからん。
ほうろうでは、大木實の詩集『故郷』(櫻井書店)を買う。初版ではなく三版。序文は高村光太郎。後記には、尾崎一雄の名前も出てくる。
《いちどでいい
聲をあげてこころから笑つてみたい
それだけである
それだけのことが私を悲しくする》( 願い )
店を出て、ふらふら歩いていたら、書肆アクセスの畠中さん(すでに酔っ払っている)と会い、いっしょに「貸はらっぱ音地」に行く。
お酒も売っているし、高野ひろしさんの写真展もやっているし、包丁とぎもやっているし、古書往来座の一箱はとんでもないことになっているし……。
ここだけで月一回くらい小さなお祭りをやってもいいんじゃないかとおもうくらいよかった。
あまりにも居心地がよくて完全にくつろいでしまう。
おかげでほとんどの会場をまわることができず。計画性なし。
午後六時からの打ち上げまですこし時間があったので、根津神社にふらっと行ってみたら縁日をやっていた。タコ焼きを買って、神社内の露店を見ていると、橋幸夫(と若草児童合唱団)の『子連れ狼/刺客道』(ビクター)のシングルレコードがあるではないか。値段は四百円。おもわず、手にとり、小島剛夕の描いたジャケットに見とれていたら、店のおじさんが「二百円でいいよ」という。もちろん買う。
「しとしとぴっちゃん・しとぴっちゃん・しとぴっちゃん」で有名な曲(作詞・小池一雄)だけど、二番のでだしは「ひょうひょうしゅるる・ひょうしゅるる・ひょうしゅるる」で、三番は「ぱきぱきぴきんこ・ぱきぴんこ・ぱきぴんこ」って知ってた?
ちなみに「ぱきぴんこ」は、霜をふむ音である。
根津神社から不忍通りふれあい館に向かって歩いていくと、「大阪の狆」あらため「高円寺の狆」こと前田青年が「今、仕事終わって来たところなんですよお」とかけよってくる。
自分があまりしらない町の路上でこんなに知人に会うのはおもしろい。
前田君といっしょに会場にはいり、各賞の受賞を見る。
会場を出て、売り上げ点数二位の「犀は投げられた!」のメンバーと小宴会をする。
「わたしも売り上げ点数二位になったことあるんですよ。第1回の一箱古本市で」
「店の名前は何だったんですか?」
「……文壇高円寺です」
さあ、次は「外市」だ。
わたしも「わめぞ」(早稲田、目白、雑司が谷)の第二回外市の一箱ゲストとして参加することになりました。
「外、行く?」 第2回 古書往来座外市 〜軒下の小さな古本祭〜
日時:5月5日(土)〜6日(土) 雨天決行!
初日 5日 11:00〜22:00
二日目6日 11:00〜17:00(往来座は22:00まで営業)
場所:古書往来座
〒171-0022 東京都豊島区南池袋3丁目8-1ニックハイム南池袋1階 古書 往来座
電話番号:03-5951-3939(電送番号同)
会場では『古本暮らし』のサイン本も発売する予定です。
2007/04/28
古本暮らしのこと
単行本『古本暮らし』(晶文社、一七〇〇円+税)が出ました。
はじめての単行本です。
晶文社ワンダーランドに「散歩は古本屋巡礼」(「出版ダイジェスト」(二〇〇七年五月一日号)の「散歩は古本屋巡礼」をもとに改稿)というエッセイが掲載されました。
*
「神保町ライター」という言葉がありますが、どちらかというと、わたしは中央線沿線の古本屋ばかりまわっているフリーライターです。
このたび『古本暮らし』(晶文社)と題する本を書きました。古本屋通いをはじめたのは高校時代、最初は大正アナキズムに興味を持つようになったのですが、そうすると新刊書店ではなかなかそのての本が売っていないので、どうしても古本屋に行くしかなく、しかも当時、三重県の田舎に住んでいたため、電車に乗って、名古屋や大阪や京都の古本屋に行ってました。
十九歳で上京後、『評伝辻潤』などの著作で知られる玉川信明さんと知り合い、アナキズムから辻潤、辻潤から吉行エイスケ、さらにその息子の吉行淳之介、それから第三の新人や同世代の「荒地」の詩人といったかんじで詩や文学に興味がひろがっていって、だんだん古本屋通いも本格化し、気がついたときにはかなり重度の活字中毒になっていました。
上京してしばらくして高円寺に住むようになったのですが、この界隈だけでも二十件以上の古本屋や古本を売っている飲み屋、古着屋、古道具屋、レンタルビデオ屋があり、さらに西部古書会館で月に三回くらい古書展が開催されていて、中央線沿線の中野駅から吉祥寺駅のあいだに百軒以上の古本屋があり、そのあたりを毎日のように巡回しています。もちろん神保町、早稲田の古本街、京都、大阪の古本祭にも行きます。年間三百六十日くらい古本屋に通っているかもしれません。仕事中も古本のことばかり考えています。
二十代はずっと食うや食わずの生活で、原稿の発表場所は、ミニコミや同人誌、小出版社の雑誌が中心だったので、年収百万円をきることもよくありました。こんなに食えないのによくやめなかったとおもいます。
そんな自分の人生の転機になったのは、高円寺のある飲み屋で知り合った岡崎武志さんに『sumus』という京都で発行していた書物同人誌にさそっていただいたことです。そのことがきっかけで、古本や文学のことを書くようになり、四年前に『sumus』に発表したエッセイを林哲夫さんに『借家と古本』(スムース文庫)という小冊子にまとめてもらいました。
この冊子はすぐ完売し、しばらく品切になっていたところ、こんどは高円寺の古本酒場コクテイルの狩野俊さんがぜひ復刻したいといってくれて、昨年秋に増補版が出ています。
そうこうするうちに、今回の『古本暮らし』の単行本の話が決まりました。編集者は中川六平さん。中川さんは、坪内祐三著『ストリートワイズ』、高橋徹著『古本屋月の輪書林』、内堀弘著『石神井書林日録』、田村治芳著『彷書月刊編集長』、石田千著『月と菓子パン』(いずれも晶文社)などを手がけた名(迷?)編集者ですが、そんな中川さんに最初の単行本を作ってもらえたことは、ほんとうにうれしくおもっています。
もともと中川さんとも十数年前に高円寺の飲み屋で知り合いました。数年前に「編集の仕事を手伝ってくれよお」という電話があって、飲むことになって、いろいろ話をしているうちに、中川さんが新人の本が作りたいというので「じゃあ、わたしの本はどうですか」というような流れで出来たのがこの本です(くわしくはあとがきを読んでください)。
装丁は間村俊一さん、装画は『sumus』の林哲夫さんにお願いしました。ふたりは大西巨人の『神聖喜劇』(光文社文庫)などを手がけ、わたしの「古本道」の大先輩にもあたります。
『古本暮らし』を簡単に説明すると、高円寺在住のひまな中年男が町を散歩して古本を買ったり、部屋の掃除をしたり、自炊したり、酒を飲んだりしている日常をつづったエッセイ集です。
天野忠、鮎川信夫、色川武大、梅崎春生、尾崎一雄、神吉拓郎、小島政二郎、十一谷義三郎、辻潤、西山勇太郎、庄司(金子)きみ、古山高麗雄、山田稔、吉行淳之介といった詩人や作家も登場します。
当り前のことですが、本を買えば、本が増えます。部屋の壁はすべて本、床も本、そして台所や玄関、トイレにも本……。
さらに本を買うとお金がかかります。本を買うために仕事をすれば、本を探す時間と読む時間がなくなります。
古本マニアにとっての永遠の葛藤といえるでしょう。わたしもまたひまさえあれば、生活と仕事の両立、読書と仕事の両立についてかんがえてばかりいて、そんなことを考えているあいだに仕事をするか、本を読めばいいのにとおもうこともよくあります。
本を買うために、上京以来、髪もずっと自分で切り、外食もほとんどせず、服もめったに買っていません。いまだに携帯電話もなく、車の免許もクレジットカードもありません。
長年そういう生活をしているおかげで、倹約の知恵と家事のノウハウだけでは身につけることができました。
洋服ダンスは、いつも二、三割空けておくのが理想とよく整理術の本に書いてありますが、同様に、本棚もいつも余裕のある状態にしておけば、本もすぐ見つかるし、気持よく本が買えます。しかしそれがおもいのほか困難であることは、本好きにとってはいうまでもない悩みです。
おもいきった処置が必要なのはわかっているのですが、おもいきるための心の準備はなかなかできないのです。
《本も売ったり買ったりしているうちに、自分がほんとうに必要とする本がわかってくるのかもしれない。でもそれがわからないうちは手あたりしだいに買うしかない。
なにを残し、なにを売るか。バランスをとるのがいいのか。偏ったほうがいいのか。ひとつのテーマを追いかけるのがいいのか。なんにでも対処できるように懐を深くかまえていたほうがいいのか。
なにかしらの制約を自分で決めないときりがない。
向き不向き、要不要。その見極めはとてもむずかしい》(「要不要」/『古本暮らし』に所収)
限られたお金と時間と本の置き場所をどう有効に活用するかということは本好きにとっての切実なテーマです。
わたしは、本を読むことによって、知識を増やすだけでなく、自分の考えを深めたり、感覚を鍛えたりしたい。そういう意味では『古本暮らし』は、自分中心の読書のすすめになっているかなとおもいます。
とはいえ、毎日古本屋に通っていると、読書にたいする飢餓感がうすれてきますし、いろいろな本を読んでいるうちに、それなりに目が肥えてしまって、なかなか自分を満足させる本を見つけることがむずかしくなります。
好きな作家の本をたいてい読みつくし、未読のものはあと残りわずか。その残りわずかの本は、当然、入手難ということになります。読書家ならかならず経験する、そうした低迷、停滞をどう乗りこえるか、もしくはやりすごせばいいのかということもこの本のテーマになっています。
あと、どうすれば古本屋に高く本を売ることができるかという長年の経験をふまえたコツのようなものもいろいろ書いたつもりです。
はじめての単行本です。
晶文社ワンダーランドに「散歩は古本屋巡礼」(「出版ダイジェスト」(二〇〇七年五月一日号)の「散歩は古本屋巡礼」をもとに改稿)というエッセイが掲載されました。
*
「神保町ライター」という言葉がありますが、どちらかというと、わたしは中央線沿線の古本屋ばかりまわっているフリーライターです。
このたび『古本暮らし』(晶文社)と題する本を書きました。古本屋通いをはじめたのは高校時代、最初は大正アナキズムに興味を持つようになったのですが、そうすると新刊書店ではなかなかそのての本が売っていないので、どうしても古本屋に行くしかなく、しかも当時、三重県の田舎に住んでいたため、電車に乗って、名古屋や大阪や京都の古本屋に行ってました。
十九歳で上京後、『評伝辻潤』などの著作で知られる玉川信明さんと知り合い、アナキズムから辻潤、辻潤から吉行エイスケ、さらにその息子の吉行淳之介、それから第三の新人や同世代の「荒地」の詩人といったかんじで詩や文学に興味がひろがっていって、だんだん古本屋通いも本格化し、気がついたときにはかなり重度の活字中毒になっていました。
上京してしばらくして高円寺に住むようになったのですが、この界隈だけでも二十件以上の古本屋や古本を売っている飲み屋、古着屋、古道具屋、レンタルビデオ屋があり、さらに西部古書会館で月に三回くらい古書展が開催されていて、中央線沿線の中野駅から吉祥寺駅のあいだに百軒以上の古本屋があり、そのあたりを毎日のように巡回しています。もちろん神保町、早稲田の古本街、京都、大阪の古本祭にも行きます。年間三百六十日くらい古本屋に通っているかもしれません。仕事中も古本のことばかり考えています。
二十代はずっと食うや食わずの生活で、原稿の発表場所は、ミニコミや同人誌、小出版社の雑誌が中心だったので、年収百万円をきることもよくありました。こんなに食えないのによくやめなかったとおもいます。
そんな自分の人生の転機になったのは、高円寺のある飲み屋で知り合った岡崎武志さんに『sumus』という京都で発行していた書物同人誌にさそっていただいたことです。そのことがきっかけで、古本や文学のことを書くようになり、四年前に『sumus』に発表したエッセイを林哲夫さんに『借家と古本』(スムース文庫)という小冊子にまとめてもらいました。
この冊子はすぐ完売し、しばらく品切になっていたところ、こんどは高円寺の古本酒場コクテイルの狩野俊さんがぜひ復刻したいといってくれて、昨年秋に増補版が出ています。
そうこうするうちに、今回の『古本暮らし』の単行本の話が決まりました。編集者は中川六平さん。中川さんは、坪内祐三著『ストリートワイズ』、高橋徹著『古本屋月の輪書林』、内堀弘著『石神井書林日録』、田村治芳著『彷書月刊編集長』、石田千著『月と菓子パン』(いずれも晶文社)などを手がけた名(迷?)編集者ですが、そんな中川さんに最初の単行本を作ってもらえたことは、ほんとうにうれしくおもっています。
もともと中川さんとも十数年前に高円寺の飲み屋で知り合いました。数年前に「編集の仕事を手伝ってくれよお」という電話があって、飲むことになって、いろいろ話をしているうちに、中川さんが新人の本が作りたいというので「じゃあ、わたしの本はどうですか」というような流れで出来たのがこの本です(くわしくはあとがきを読んでください)。
装丁は間村俊一さん、装画は『sumus』の林哲夫さんにお願いしました。ふたりは大西巨人の『神聖喜劇』(光文社文庫)などを手がけ、わたしの「古本道」の大先輩にもあたります。
『古本暮らし』を簡単に説明すると、高円寺在住のひまな中年男が町を散歩して古本を買ったり、部屋の掃除をしたり、自炊したり、酒を飲んだりしている日常をつづったエッセイ集です。
天野忠、鮎川信夫、色川武大、梅崎春生、尾崎一雄、神吉拓郎、小島政二郎、十一谷義三郎、辻潤、西山勇太郎、庄司(金子)きみ、古山高麗雄、山田稔、吉行淳之介といった詩人や作家も登場します。
当り前のことですが、本を買えば、本が増えます。部屋の壁はすべて本、床も本、そして台所や玄関、トイレにも本……。
さらに本を買うとお金がかかります。本を買うために仕事をすれば、本を探す時間と読む時間がなくなります。
古本マニアにとっての永遠の葛藤といえるでしょう。わたしもまたひまさえあれば、生活と仕事の両立、読書と仕事の両立についてかんがえてばかりいて、そんなことを考えているあいだに仕事をするか、本を読めばいいのにとおもうこともよくあります。
本を買うために、上京以来、髪もずっと自分で切り、外食もほとんどせず、服もめったに買っていません。いまだに携帯電話もなく、車の免許もクレジットカードもありません。
長年そういう生活をしているおかげで、倹約の知恵と家事のノウハウだけでは身につけることができました。
洋服ダンスは、いつも二、三割空けておくのが理想とよく整理術の本に書いてありますが、同様に、本棚もいつも余裕のある状態にしておけば、本もすぐ見つかるし、気持よく本が買えます。しかしそれがおもいのほか困難であることは、本好きにとってはいうまでもない悩みです。
おもいきった処置が必要なのはわかっているのですが、おもいきるための心の準備はなかなかできないのです。
《本も売ったり買ったりしているうちに、自分がほんとうに必要とする本がわかってくるのかもしれない。でもそれがわからないうちは手あたりしだいに買うしかない。
なにを残し、なにを売るか。バランスをとるのがいいのか。偏ったほうがいいのか。ひとつのテーマを追いかけるのがいいのか。なんにでも対処できるように懐を深くかまえていたほうがいいのか。
なにかしらの制約を自分で決めないときりがない。
向き不向き、要不要。その見極めはとてもむずかしい》(「要不要」/『古本暮らし』に所収)
限られたお金と時間と本の置き場所をどう有効に活用するかということは本好きにとっての切実なテーマです。
わたしは、本を読むことによって、知識を増やすだけでなく、自分の考えを深めたり、感覚を鍛えたりしたい。そういう意味では『古本暮らし』は、自分中心の読書のすすめになっているかなとおもいます。
とはいえ、毎日古本屋に通っていると、読書にたいする飢餓感がうすれてきますし、いろいろな本を読んでいるうちに、それなりに目が肥えてしまって、なかなか自分を満足させる本を見つけることがむずかしくなります。
好きな作家の本をたいてい読みつくし、未読のものはあと残りわずか。その残りわずかの本は、当然、入手難ということになります。読書家ならかならず経験する、そうした低迷、停滞をどう乗りこえるか、もしくはやりすごせばいいのかということもこの本のテーマになっています。
あと、どうすれば古本屋に高く本を売ることができるかという長年の経験をふまえたコツのようなものもいろいろ書いたつもりです。
2007/04/23
木の芽時
学生のころは四月になると、進級や進学などがいろいろあって、変化にとんだ季節だったようにおもえた。大学を中退して、フリーライターになってからは、これといってなんてことのない月である。気がつけば、ゴールデンウィークに突入し、それがすぎれば、夏がくる。
自由業というのは、変化がありそうでないものだ。生活は不安定だが、その不安定さはわりと一定している。忙しかった月の翌月か翌々月は収入が増え、ひまだった月の翌月か翌々月は収入が減る。基本はそのくりかえしである。
それでも四月は、情緒不安定になりやすい。わたしは例年、穀雨(四月二十日ごろ)のころが、ちょっとだめだ。
藤巻時男著『天氣と元氣』(文藝春秋、一九六〇年)という本を読んでいたら、「春は冬の寒さが夏の暑さに変わる時期であり、秋は寒い冬のおとずれる季節で、どちらもお天気の変動激しく、寒暖交互に来たり、降ったり照ったり、体に対して色々の刺戟が加えられる試練の時であります」と書いてあった。
試練の時か。そうかもしれない。ただ、そうとわかっていれば、すこしは気も楽になる。
不安な気分になったときは、半分くらいは天候のせいだとおもえばいいのである。
(……以下、『活字と自活』本の雑誌社所収)
自由業というのは、変化がありそうでないものだ。生活は不安定だが、その不安定さはわりと一定している。忙しかった月の翌月か翌々月は収入が増え、ひまだった月の翌月か翌々月は収入が減る。基本はそのくりかえしである。
それでも四月は、情緒不安定になりやすい。わたしは例年、穀雨(四月二十日ごろ)のころが、ちょっとだめだ。
藤巻時男著『天氣と元氣』(文藝春秋、一九六〇年)という本を読んでいたら、「春は冬の寒さが夏の暑さに変わる時期であり、秋は寒い冬のおとずれる季節で、どちらもお天気の変動激しく、寒暖交互に来たり、降ったり照ったり、体に対して色々の刺戟が加えられる試練の時であります」と書いてあった。
試練の時か。そうかもしれない。ただ、そうとわかっていれば、すこしは気も楽になる。
不安な気分になったときは、半分くらいは天候のせいだとおもえばいいのである。
(……以下、『活字と自活』本の雑誌社所収)
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