2008/05/30

告知いろいろ

工作舎のホームページ(http://www.kousakusha.co.jp/index.html)に6月下旬発売の岡崎武志、山本善行『新・文學入門』のことが紹介されている。
石丸澄子さんの表紙、いいですよ。ブルー。

それから今週木曜日(5月29日からの「吉祥寺ごちゃまぜ古本マーケット」に「文壇高円寺」も出品することになりました(〜六月四日まで)。

6月1日(日)〜3日(火)は東京古書会館の「地下室の古書展」。
「佐野繁次郎の装幀モダニズム」展も開催。
企画・出品:林哲夫、西村義孝
後援:アンダーグラウンド・ブックカフェ

展示関連講演会:「モダニスト佐野繁次郎の装幀について+佐野本の集め方」
林哲夫+西村義孝
日時:6月1日(日)午後1時~
東京古書会館7階会議室にて
参加料:500円(当日)

あとまもなく『舢板(サンパン)』の最新号が出ます。
詳細は後日。

2008/05/25

できると当たり前

 スポーツや碁将棋であれば、勝ち負けがはっきりしているから、いやでも自分が強いか弱いかわかる。でも文章の世界は、それがなかなかわからない。まわりから「ヘタだ」「つまらん」といわれても、「そっちの読み方がわるい」「うまければいいというものではない」といろいろなまぎれや言い訳を探そうとおもえばいくらでも見つかる。

 二十代後半、わたしはぐだぐだとひたすらまぎれを探していた。風呂なしアパートに住み、古本ばかり読んでいた。どうせ今は書く場所がないと。だから食いつなぐしかないと。
 毎日食いつなぐことばかり考えていると、先のことが考えられなくなる。いろいろ忠告されても「それができれば苦労しない」とふてくされていた。
 酒の席でもよく失敗した。かならず余計なことをいってしまう。
 つい最近も。ああ、おもいだしたくない。

 科学や技術の世界に「不可能を可能にする。そして可能なことを当たり前のことにする」というような言葉がある。

 仕事もそうかもしれない。できないときは、どうすればできるようになるのかわからない。次に十回に一回、五回に一回できるようになっても、どうすれば持続させられるかわからない。安定し、持続させられるようになって、ようやくその先のことを考えられるようになる。

 田舎にいた高校生くらいのころは、文章でメシを食うなんて不可能だとおもっていた。上京して、原稿を書いてお金がもらえるようになっても、ずっと食えたり食えなかったりの不安定な生活が続いた。

 三十代になって連載の仕事をするようになった。そうすると、毎週あるいは毎月のしめきり日に原稿を仕上げるために、何をしなければいかないのかを考える必要にせまられる。日頃から「次は何を書こうか」と考える癖が身につく。書く前は飲まないとか、睡眠をしっかりとるとか、体調のことも気にするようにもなる。そうしないとからだがもたない。
 それでもなかなか食えることが「当たり前」にはならない。

 それができれば苦労しない。苦労しないとそれはできない。
 できるようになるまで、当たり前になるまで、どうしても時間がかかる。

……これからちょっと正念場です。 

2008/05/22

大人になるってこと

 二十代後半はほんとうに先が見えない状態で、どうやったらそこから抜け出せるのか悩んでいた。当時やっていた仕事は、将来やりたい仕事とつながっているとはおもえなかった。どんなに文学が好きでも、それは仕事にはならないと諦めていた。
 昔から人に相談したり、質問したりすることが苦手だったから、たいてい読書で解決しようとしてきた(当然、解決できないことのほうが多いわけだが)。

 尾崎一雄の私小説(『暢気眼鏡』ほか)、色川武大の「虫喰仙次」(『虫喰仙次』)「友よ」(『花のさかりは地下道で』)、古山高麗雄の「湯タンポにビールを入れて」「ジョーカーをつけてワンペアー」(『湯タンポにビールをいれて』)といった短篇で食えない作家、編集者の身の処し方をいろいろ学んだ。
 吉行淳之介もそうだ。吉行淳之介はアルバイトの編集記者時代、同人雑誌にも参加していたのだが、仕事が忙しくなると、文学のことを考える余裕がなくなったと書いている。

《私はこの期間を、将来作家として立つまでの「雌伏の時期」というようには見ていない。私はその日その日を精一杯生きていたのだし、また作家として立ちたいという希望も持っていなかった。(そういう希望を持って苛立つことは、精神衛生上悪い、となかば無意識のうちに切り捨てていたのかもしれぬ、といま考えてみたりもする。いろいろの要素が絡まっているようで十分には分析できない)。しかし、結果としては、この時期は作家としての私の土壌に、十分な肥料をそそぎこんだことになる。もしこの時期がなかったとしたら、かりに作家として立つ機会を持てたとしても、とうてい長続きはできなかったとおもう》(『私の文学放浪』)

 不遇な時期は、後の肥料になる。そう考えて、気持を立て直す。
 今おもうと、かなり荒んだ生活を送っていた気もするが、荒みきらずにすんだのは、読書のおかげだったかもしれない。とはいえ、どこかで生活を持続させられるようにならないと、本を読むことも文章を書くこともままならない。でもその方法がわからなかった。

《私は娯楽雑誌つくりに愛情と情熱をもって働いていたが、三流雑誌の仕事には、心を衰えさせる事柄があまりにも多かった。屈辱的なことに出合ったときには、「自分にはもう失うべきものは何も残っていない」という言葉を呪文のように繰返し、かろうじて心を鎮めた。そういう私にとっては、やはり自分自身の内面の世界をもつことが必要だったわけである》(『私の文学放浪』)

 自分の好きな作家にも苦労していた時期があった。その苦境から抜け出した方法はそれぞれちがう。運不運もあるが、けっして運だけでもない。ナゲヤリになったり、ヤケになったりはしていない。
 自分の心を鎮める方法、いいかえれば、自分のとりあつかい方を身につけていた。

 わたしの苦労は自分が楽することばかり考えていた結果である。いろいろな面倒な仕事を押しつけられる。それが肥料になる。ただ、それだけだと器用貧乏になってしまう。そうならないための忠告も、先にあげた作家の本のどこかに書いてある。あったとおもう。