第一回みちくさ市、終了。今回は「わめぞ」枠の第2みちくさ案内所の一角で出品させてもらった。
JR中央線で新宿に出て、丸の内線の新宿駅の改札をとおってから、副都心線への乗り換えが新宿三丁目駅であることに気づく。駅員さんに「まちがえました」というと、「丸の内線で新宿三丁目まで行ったほうが早いですよ」と教えてくれた。たしかにそのほうが楽だった。
四月末、連休進行の正念場だったので、飲まないようにしようと気をつけていたのだが、レジをしているときに、隣のうすだ王子が、ずっと氷結をうまそうに飲んでいるのにつられ、豊島屋のレバ−をつまみに飲みはじめてしまう(すぐちかくに酒屋があったのもいけない)。
途中、池袋の古書往来座、あと読売新聞夕刊(月)の「ベストセラー怪読」(四月からだいたい月一で執筆することになりました)で紹介する本を買いにリブロとジュンク堂に行く。
往来座でずっとさがしていた『BGM(ブックガイドマガジン)』の第二号を見つけた。
一九九〇年ごろの雑誌で、三号で終刊。一号と三号は持っていて、二号だけ未入手だったのだ。
編集人は東雅夫。創刊号は澁澤龍彦の特集で、新刊書店で買った記憶がある。
あとパート2だけ持っていた講談社文庫版の殿山泰司著『三文役者あなあきい伝』のパート1を立石書店の棚で買う。
ちなみに講談社文庫版のパート1の解説は吉行淳之介、パート2は金井美恵子。
上・下巻の単行本や文庫、全集、雑誌のバックナンバーなどをバラで買って、揃ったときはほんとうに嬉しい。いちおう財布の中に、メモをいれているのだが、ときどきまちがえて、すでに持っているほうを買ってしまうこともある。
この日、商店街を二往復する。夕方、あちこちで値引合戦がおこなわれていた。
片づけ作業中に、古書荒川の小林亜星著『あざみ白書』(サンケイ出版)が目にとまる。
背表紙では気がつかなかったが、表紙(本文の絵も)が滝田ゆう、裏表紙には吉行淳之介の「失われたものへの墓碑銘」という評が載っている。
赤線地帯の女性について回想しているエッセイ集。
やっぱり本は手にとってみないとわからない。
この二ヶ月で、ブックマークナゴヤ、外市、月の湯、みちくさ市と四回の古本イベントに出品した。
古本好きのあいだでは昔から「本は買うより、売るほうがむずかしい」といわれているが、古本イベントに参加するようになって、売れる本を買うこと、それに値段をつけることのほうがもっとむずかしいとおもうようになった。
売れる本、売れない本の潮目のようなものが変わる。その変化がどんどんはやくなっている。
その変化に対応していったほうがいいのか。独自路線をきりひらいたほうがいいのか。
自分の興味関心と今の売れ筋みたいなものとのあいだにはズレがある。ズレが生じるのはしかたがないけど、どのくらいズレているのかは知っておきたい。
それは文章を書くこと、古本を売ること、両方に通じる課題ではないかという気がしている。
2009/04/26
2009/04/18
イギリスのコラム
岩波文庫の新刊を発売後すぐ買うことはあまりない。
たいてい刊行して数ヶ月後、あるいは古本屋で見かけるまでガマンする。
ただし、この四月に発売された行方昭夫編訳『たいした問題じゃないが イギリス・コラム傑作選』(岩波文庫)は例外である。新刊案内で知って、刊行を待ちわびていた。
コラム傑作選とあるが、内容はエッセイ文学といわれるものだ。
わたしはアメリカのアンディ・ルーニー、ビル・ブライソンのコラムが好きで、ひまさえあれば、再読しているのだけど、その源流は、このイギリス・コラム選におさめられているような文章にある気がした。
もっともさかのぼることもできるかもしれないが、よくわからない。
巻末の訳者解説に、チャールズ・ラム、ウィリアム・ハズリット、リー・ハントの名が出ている。
ラム、ハズリットは、翻訳が出ているが、リー・ハントは知らない。
『たいした問題じゃないが』には、ガードナー、ルーカス、リンド、ミルンの四作家のコラムがおさめられている。
最初の「配達されなかった手紙」(ガードナー)でいきなりまいった。
ポケットの中から、二週間前に書き、投函しそこねた大事な手紙が出てくる。
自分が手紙を出し忘れていることを知らずに、相手からの返事を待っていた。そんなうっかりミス、小さな誤解から、人間関係がちょっとギクシャクしてしまうという話。
誰にでも身におぼえのあることではないかとおもう。
そこからの教訓のひきだし方も絶妙で、読後、いろいろなことを考えさせられる。
ガードナーの「怠惰について」の書き出しを紹介したい。
《自分が怠惰な人間なのではないかという、嬉しくない疑惑を以前から抱いていた。一人でそう思っていた》
読みたくなりませんか?
リンドの「時間厳守は悪風だ」には、次のような辛辣(?)な一節があった。
《時間厳守の人は、時間を守らぬ者が経験することについて、まったく想像できないと思う。どんなに体力を消耗させ、どんなに胸をどきどきさせるか、見当もつかないだろう。遅れるのが好きで遅れているのだと考えているようだ》
ほかにも「冬に書かれた朝寝論」など、リンドのエッセイは、タイトルからしてすばらしい。
日本でいえば、遠藤周作、安岡章太郎、吉行淳之介らの「軽エッセイ」も同じ路線かもしれない。『ぐうたら生活入門』『なまけものの思想』『軽薄のすすめ』といったタイトルも、ガードナーやリンドの精神に通じる。
それをコラムというかエッセイというか随筆というか身辺雑記というかは、たいした問題じゃない。
たいてい刊行して数ヶ月後、あるいは古本屋で見かけるまでガマンする。
ただし、この四月に発売された行方昭夫編訳『たいした問題じゃないが イギリス・コラム傑作選』(岩波文庫)は例外である。新刊案内で知って、刊行を待ちわびていた。
コラム傑作選とあるが、内容はエッセイ文学といわれるものだ。
わたしはアメリカのアンディ・ルーニー、ビル・ブライソンのコラムが好きで、ひまさえあれば、再読しているのだけど、その源流は、このイギリス・コラム選におさめられているような文章にある気がした。
もっともさかのぼることもできるかもしれないが、よくわからない。
巻末の訳者解説に、チャールズ・ラム、ウィリアム・ハズリット、リー・ハントの名が出ている。
ラム、ハズリットは、翻訳が出ているが、リー・ハントは知らない。
『たいした問題じゃないが』には、ガードナー、ルーカス、リンド、ミルンの四作家のコラムがおさめられている。
最初の「配達されなかった手紙」(ガードナー)でいきなりまいった。
ポケットの中から、二週間前に書き、投函しそこねた大事な手紙が出てくる。
自分が手紙を出し忘れていることを知らずに、相手からの返事を待っていた。そんなうっかりミス、小さな誤解から、人間関係がちょっとギクシャクしてしまうという話。
誰にでも身におぼえのあることではないかとおもう。
そこからの教訓のひきだし方も絶妙で、読後、いろいろなことを考えさせられる。
ガードナーの「怠惰について」の書き出しを紹介したい。
《自分が怠惰な人間なのではないかという、嬉しくない疑惑を以前から抱いていた。一人でそう思っていた》
読みたくなりませんか?
リンドの「時間厳守は悪風だ」には、次のような辛辣(?)な一節があった。
《時間厳守の人は、時間を守らぬ者が経験することについて、まったく想像できないと思う。どんなに体力を消耗させ、どんなに胸をどきどきさせるか、見当もつかないだろう。遅れるのが好きで遅れているのだと考えているようだ》
ほかにも「冬に書かれた朝寝論」など、リンドのエッセイは、タイトルからしてすばらしい。
日本でいえば、遠藤周作、安岡章太郎、吉行淳之介らの「軽エッセイ」も同じ路線かもしれない。『ぐうたら生活入門』『なまけものの思想』『軽薄のすすめ』といったタイトルも、ガードナーやリンドの精神に通じる。
それをコラムというかエッセイというか随筆というか身辺雑記というかは、たいした問題じゃない。
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