2009/10/29

自己基準

 睡眠時間がズレる日々が続く。かれこれ三十年くらい、そういうかんじの生活を送っているので慣れたといえば、慣れた。こうした生活習慣が今の仕事を決めるときの大きな職業選択の基準になったことはたしかだ。

 好きなときに寝て起きることが許される仕事なんてそうはない。不安定な生活と天秤にかけてもお釣りがくる。

 とはいえ、昨今の不景気を考えると、今、自分が学生だったら、就職する道を選んだかもしれない。食えるかどうか何の保証もない仕事を選べるかといえば、自信がない。

 わたしの学生時代はバブルの時代だったから、いざとなったらアルバイトをすれば、自分ひとり分くらいどうにかなると甘く考えていた。

 どんな仕事でもやってみないとわからないことだらけだ。フリーライターをやっているうちに、校正やらテープおこしやら資料調べやら原稿を書く以外にも細々とした収入を得られることを知った。堪え性がなかったら、いろいろな出版社を転々とした。どこにいっても、また一から下積みをしないと先に進めない。そのことも転々としているうちにわかった。もっと早く気づきたかったとおもうが、そういうことは経験してみないとわからない。でも転々とした経験も、自分の向き不向きを知る上では無意味ではなかった。

 何度か失業および無収入状態を経験した。何度も味わいたいものではないが、怖れていたほどのものではないというのが実感だ。

 仕事の合間、岡崎武志著『あなたよりも貧乏な人』(メディアファクトリー)を読んだ。

《貧乏に負けて、小さく縮こまっていく者もあれば、そこで鍛えられて、なにごとも「全然ヘッチャラ」と思える者もある。人間次第、ということだ》

 そのちがいはどこにあるのだろう。この本に登場する貧乏経験者は世間の基準ではなく、自分だけの基準を持っている。その基準は世間一般の基準からすれば、「ズレ」ている。しかし「ズレ」をなくすことが、かならずしもその人の幸せにつながるわけではない。一区切りついたら、このテーマについて、もうすこし考えてみたい。

2009/10/27

無題

 一昨日、なかなか眠れず、午前十時くらいになって、ようやく睡魔におそわれ、起きたら午後五時半。
 押入からコタツ布団と電気ストーブを出し、かわりに扇風機を片づける。
 頭が働かない時間は、外市に出品する本の値付をしたり、本にパラフィンをかけたりする。
 酒、飲まず、仕事。

 昨日も夕方起き。
 郵便局に行きたかったが、かなわず。
 外出はコンビニに資料のコピーをとりにいったくらい。近所のコンビニのコピー機は、ATMのすぐそばにあって、人が並んでいるときに使いにくい。
 コピー機能付のプリンターがほしいのだが、机まわりに置き場所がない。
 仕事がはかどらないのを環境のせいにする。

 午後六時くらいのニュースを見ていて、小学館の『小学五年生』と『小学六年生』が休刊になることを知る。

 少女コミック誌『Chuchu』、グラビア誌『sabra』も休刊するそうだ。

 もうすこし前途が明るくなるようなニュースはないものか。

 本日は夜八時に起床。
 三日で一日分くらいしか活動していない気がする。

2009/10/25

松丸本舗

 丸善丸の内店に雑誌を買いに行く。そのついでに四階の松丸本舗をのぞくと、松岡正剛本人がレジにいておどろく。
 有名人の本棚の再現など、かなりおもいきった本の並べ方をしている。
 ただ、自分の力でおもしろい本を探したい人からすれば、棚が厳選されすぎていて、窮屈におもうかもしれない。
 人の頭の中をのぞいているような妙な気分だった。

 もうすこしゆるさがほしい。小さな書店には置いてなくて、大型書店だとどこにあるのかわからないようないような雑本がまざっていたほうがいいかなとおもった。

 村上春樹の『1Q84』(新潮社)と小田嶋隆の『1984年のビーンボール』(駒草出版)が並んでいたのはちょっと笑った。