2010/08/30

別の運命

 四十歳になって読書時間が減った。本を読まなくなった分、酒を飲んでいる。ぼんやりものを考える時間が増えた。三十代のころに本ばかり読んでいたのは、あまりにもひまでその隙間を埋める作業のようなところがあった。本をたくさん読むことが目的化していた。

 昔は今よりも情報に飢えていた。情報に飢えている人を相手に雑誌を作ったり、文章を書いたりしていた。
 本をどんどん読んでいくうちに、だんだん情報よりも、情緒に働きかけてくるような文章が好きになった。
 地味だけど、読んでいて飽きない、飽きないけど、読み返すたびにはっとさせられる作品を好むようになった。

 仕事のあいま、古山高麗雄の『袖すりあうも』(小沢書店、一九九三年刊)を読み返す。

《老いて青春の心を失わず、などと言う。気持はいつまでも若い、とか、永遠の青年、だとか、そういう言葉も耳にする。心だとか気持だとかというものは、もともと線の引きようや限定のしようのない得体の知れぬものであるが、世間では何歳から何歳ぐらいまでを青春と言っているのだろうか》(「“非国民”時代の友人たち」)

 市ケ谷の城北高等補修学校時代、古山高麗雄は安岡章太郎、倉田博光と知り合った。いわゆる「悪い仲間」である。

 古山さんは二浪して京都の第三高等学校に入ったが、すぐ中退し、放蕩し、転落した。ようするに、世の中に順応できなくて、ぐれた。
 倉田博光もその影響を受け、“非国民”の道を歩むことになった。

《私は、倉田が、私と共に世間から落伍するのを、歓迎もし、いけないとも思った。そう思いながら私たちは、坂を転げ落ちる自分たちを止めることができなかった》

 もし倉田が自分と出あわなかったら、「別の運命のコース」に進んだのではないか。久留米から満洲に送られ、満洲から福山の部隊に移り、フィリピンで戦死するようなことはなかったのではないか。
 どれだけの時間、古山さんはそういったことを考えたのだろうか。

 幸い、今の人は軍隊に入らなくてもいいし、戦地に送られることもない。それでも若いころの交遊が、その後の人生にすくなくない影響を及ぼしあうことはよくある。
 大学時代、自分の周囲では授業を真面目に聞いたり、試験を受けたりするのが、かっこわるいという空気があった。わたしは大学中退し、友人たちも留年したり、就職しなかったり、どこかおかしなことになってしまった。
 自分にも友人にも「別の運命のコース」があったのではないか。今さらそんなことを考えてもどうにもならないのだが、過去だけでなく、今だって、そうした岐路にいるかもしれない。

2010/08/26

二つの宴会

 日曜日、ペリカン時代で『活字と自活』の出版記念の飲み会を開いてもらう。
 数日前に、あまりにもアバウトな段取りに気づき、古書現世の向井さんに「開始時間に来る人が誰もいないかもしれないから、来て」とお願いする。カウンター席が埋まったときは、ほっとした。

 代理人の方から下坂昇先生の版画もいただいた。
 今、本棚の前に飾っている。

 十年くらい前にペリカン時代の増岡さん、原さんと知りあい、中央線界隈のミュージシャンと知りあい、いろいろな飲み屋を教えてもらい、ものすごく濃密な時間をすごした。
 当時、朝から飲んでいた店もなくなったし、いっしょに飲んでいた友人もそれほど頻繁には会わなくなった。
『活字と自活』の中には、藤井豊さんの写真といっしょに、そのころ書こうとして書けなかった文章もけっこう入っている。

 翌々日、仙台へ。この日、三十五度の猛暑だった。東京から補充本を二十冊くらい持っていったので、汗だくになる。
 夕方、18きっぷで来た藤井さんが合流し、仙台の繁華街を散歩する。

 夜、book cafe 火星の庭で宴会。
 次々と酒と料理が出てきて、楽しく酔っぱらう。

 打たれ強くなるにはどうすればいいのかと質問され、うろおぼえなのだが、何をしてもよくいわれたり、わるくいわれたりするし、それは避けようとおもっても避けられないことだから、自分がいいとおもうことをやり続けるしかないというようなことを話した。

 といいつつ、打たれ強くなればなったで、無神経だ、鈍感だ、といわれたりするわけで、打たれ弱い人は、むしろ弱さを武器にする方法を考えたほうがいいのではないかともおもった(もちろん簡単ではないけど)。

 前野家にはお世話になりっぱなし。藤井さんも仙台を気にいり、次の日、塩竈と松島に行ったらしい。

2010/08/23

西荻窪と高円寺

 土曜日、高円寺あづま通りの古本縁日後、西荻窪のなずな屋へ。
 この日、リニューアルオープン。マッチラベルなど、紙ものが増え、店内には澄子さんのシルクスクリーンのポスターも展示していた。
 そのあとなずな屋のすぐ近所の新刊書店、颯爽堂に寄る。深夜営業で、いろいろな人からいい店だと聞いていたのだが、ゆっくり本を見ることができて居心地がいい。
 西荻窪駅南口のSAWYER CAFEへ。五月末にオープンしたばかりの店。久住昌之さんの切り絵展を見る。飲んでいるあいだに、絵がどんどん増えていくのが面白かった。

 再び、高円寺に戻り、藤井豊さんの写真展「上京高円寺」開催中のペリカン時代へ。
 一階の入口から階段の壁面にも写真が飾られている。レイアウトは中嶋大介さんとわたしも手伝った。
 今はない高円寺北口の庚申通りのドトール(現在はおかしのまちおか)が写った一枚があって、それに反応するお客さんが多い。
 昔、わたしが住んでいたアパート、朝五時から営業していたいこい食堂、ネブラスカ、馬橋公園、様変わりする前の高円寺駅前……。

 今回展示してある写真の何枚かは、わたしのその現場にいた。そのときの藤井さんの反応がおもしろかった。「え? 今、撮るの?」「なんで、それ、撮るの?」と何度おもったことか。
 ところが、十年後にその写真を見ると、かすかにしか記憶に残っていない時間が写っている。

 二十代後半、社会人になった友人と疎遠になったり、文章書いたり音楽やったりしていた友人たちも田舎に帰ったりして、「この先どうなるのかなあ」と不安におもっていたときに、ペリカン時代の増岡さんと原さん、手回しオルガンのオグラさんたちと知りあい、毎日のように公園で飲んだり家で飲んだりするようになった。

 あまりにも楽しすぎて、仕事どころではなかった。

 藤井さんが岡山から上京してきたのもそういう時期だった。