先週末、中央線で東京駅、総武線快速に乗り換え、新小岩。待ち合わせよりも三十分くらい早く着いたので、商店街を散策する。歩いているとおなかが空いてくる。いい商店街だ。書肆スクラムの砂金一平さん、上原隆さんと飲む。商店街の中にある居酒屋だった。レバテキがうまかった。
なぜか鶏ガラのスープを作るのが楽しいという話になる。映画の話、本の話……いろいろな話をした。
上原さんはアンナ・クィンドレンのコラムのコピーを見せてもらった。東京書籍のアメリカ・コラムニスト全集のアンナ・クィンドレン集『グッド・ガール、バッド・ガール』(廣木明子訳)は読んでいたが、他にも邦訳がある。アンナではなく、アナ・クィンドレン名義の本のほうが多い。
クィンドレンに「今、わたしがいる場所は」というコラムがある。
アンナ・クィンドレンは、大学時代に新聞記者の家にベビーシッターのアルバイトを申し込み、その機会を活かして新聞社で仕事をするようになった。それ以来、仕事一筋の生活を送っていたが、結婚して子どもが生まれ、考えが変わる。
《仕事はわたしの人生の大きな部分を占めていたけれど、経験がそれ以外にも――友人、家族、ひとりで過ごす時間など――わたしの深い欲求を満たすものがあることを教えてくれた》
《今、わたしが唯一恐れているのは、自分があまり好きになれない誰かになることだ》
中年といわれる齢になってから、このコラムにあるような「深い欲求」について考えることが増えた。仕事に追われ……というほど働いていたわけではなかったが、仕事以外の時間が大切におもうようになってきた。もともと体力が人並以下ということもあるが、休み休みでないとすぐバテる。あれもこれもやろうとして、何もかも中途半端になってしまうという経験をたくさん積んだ。
今、自分のいる場所で何ができるか。何がしたいのか。
ここ数日そんなことを考えていた。
2016/09/28
2016/09/21
命賭けの読書
鶴見俊輔、関川夏央著『日本人は何を捨ててきたのか』(ちくま学芸文庫)を再読する。
鶴見さんは、岩明均の『寄生獣』に大感激したと語るところがあるのだが、そのときの言葉がすごい。
《鶴見 これを読んでいるうちに、心臓麻痺が起こって死んでもいいと思って読んだ。
関川 大袈裟だなぁ。
鶴見 ほんと、ほんと。命賭けて読むのでなければ読書とはいえませんよ。たかが漫画、そんなものじゃない、私にとっては》
——命賭けて読むのでなければ読書とはいえない。
わたしは携帯電話(スマホ)を持っていない。パソコン(電子書籍も)も家の外に持ち出したことはない。
郷里に帰省中、今、パソコンがあったら、電車の時刻表や乗り換えがすぐ調べられて便利だろうなとおもったが、なければないでどうにかなる。電車が来なければ、周辺を散策すればいいだけだ。
わたしがコンピュータを買ったのは一九九八年一月、インターネットに常時接続できるようになったのは二〇〇二年である。
そのあたりから時間の細切れ化がはじまった気がする。
命賭けて読む……ほどではなかったが、二十代のころは飲まず食わずで本を読み続け、立ちくらみすることがよくあった。若かったからそういうことができたのか。そうではない。覚悟の問題だ。
鶴見さんは、岩明均の『寄生獣』に大感激したと語るところがあるのだが、そのときの言葉がすごい。
《鶴見 これを読んでいるうちに、心臓麻痺が起こって死んでもいいと思って読んだ。
関川 大袈裟だなぁ。
鶴見 ほんと、ほんと。命賭けて読むのでなければ読書とはいえませんよ。たかが漫画、そんなものじゃない、私にとっては》
——命賭けて読むのでなければ読書とはいえない。
わたしは携帯電話(スマホ)を持っていない。パソコン(電子書籍も)も家の外に持ち出したことはない。
郷里に帰省中、今、パソコンがあったら、電車の時刻表や乗り換えがすぐ調べられて便利だろうなとおもったが、なければないでどうにかなる。電車が来なければ、周辺を散策すればいいだけだ。
わたしがコンピュータを買ったのは一九九八年一月、インターネットに常時接続できるようになったのは二〇〇二年である。
そのあたりから時間の細切れ化がはじまった気がする。
命賭けて読む……ほどではなかったが、二十代のころは飲まず食わずで本を読み続け、立ちくらみすることがよくあった。若かったからそういうことができたのか。そうではない。覚悟の問題だ。
関から京都
十八日、三重に帰省。新幹線では、渡辺京二×津田塾大学三砂ちづるゼミ著『女子学生、渡辺京二に会いに行く』(文春文庫)を読む。この本、五回くらい読んでいるかも。
名古屋駅の地下街をぶらついて傘を買う。午後二時すぎ、ひさしぶりに四日市で途中下車すると1番街でジャズ・フェスティバルが開催されていた。五年くらい続いているらしい。
四日市あすなろう鉄道で内部(うつべ)駅に出て、内部駅から近鉄の平田町駅行きのバスで帰ってみようと考えていたのだが、今回はやめた。
夕方、港屋珈琲。スーパーマルヤスで調味料(おでん用の味噌など)と酒を買う。
母がおじ(母の弟)にネットオークションで戦記(三十冊)を千円で落札してもらったと自慢。一冊千円くらいの古書相場の本が四、五冊はあった。
五月末に父が亡くなって、いろいろな手続きも無事終わり、ようやく一息。片づけはゆっくりやることにする。
翌日、おじの車で母と東海道関宿へ。鈴鹿と関は車だとすぐ近くなのだが、JR関西本線(わたしが生まれ育ったのは近鉄沿線)の町はあまりなじみがない。久住昌之著『野武士、西へ』(集英社文庫)で「奇跡の宿場・関」と絶讃されていた宿場町だ。
子どものころは古い町並を見てもピンとこなかった。今の関宿は電信柱もなくし、景観の保全に力を入れている。喫茶店が多い。街道の裏には寺や神社もたくさんある。
昼食は関のドライブインのレストランに行く。連休中ということもあって観光客(団体)がたくさんいた。
そのあと亀山駅まで送ってもらう。亀山駅のまわりをすこし散策。亀山みそ焼きうどんの看板をあちこちで見かける。
亀山駅から京都まで千三百二十円。近鉄や高速バスよりもはるかに安い。ただし電車は一時間に一本くらいしかない。
安西水丸著『ちいさな城下町』(文藝春秋)に亀山城の回がある。安西さんも関宿を訪ねている。「関の小万の仇討」の話から、小万を育てた山田屋は、今、会津屋という食事処になっていることを知る。
亀山から柘植、柘植から草津、草津から京都で二時間。電車が柘植あたりに差しかかったとき濃霧がすごかった。外の景色がまったく見えない。高校時代、柘植から通っている「ツゲちゃん(本名はちがう)」というあだ名の級友がいたことをおもいだした。
京都は六曜社でコーヒー。夜はまほろばで世田谷ピンポンズ、市村マサミ、オグラのライブ。三者三様の独特の言葉の世界を堪能する。楽しくて飲みすぎる。酔っぱらって、記憶があやふやなまま、気がついたら扉野さんの家で寝ていた。朝ごはん、おいしかった。
台風接近中のため、午前中に東京に帰る。名古屋まで新幹線の席をまちがえて座っていた。気づかなかった。車中、熟睡。
家に帰って洗濯してうどん作ってまた寝る。寝ても寝ても眠い。
名古屋駅の地下街をぶらついて傘を買う。午後二時すぎ、ひさしぶりに四日市で途中下車すると1番街でジャズ・フェスティバルが開催されていた。五年くらい続いているらしい。
四日市あすなろう鉄道で内部(うつべ)駅に出て、内部駅から近鉄の平田町駅行きのバスで帰ってみようと考えていたのだが、今回はやめた。
夕方、港屋珈琲。スーパーマルヤスで調味料(おでん用の味噌など)と酒を買う。
母がおじ(母の弟)にネットオークションで戦記(三十冊)を千円で落札してもらったと自慢。一冊千円くらいの古書相場の本が四、五冊はあった。
五月末に父が亡くなって、いろいろな手続きも無事終わり、ようやく一息。片づけはゆっくりやることにする。
翌日、おじの車で母と東海道関宿へ。鈴鹿と関は車だとすぐ近くなのだが、JR関西本線(わたしが生まれ育ったのは近鉄沿線)の町はあまりなじみがない。久住昌之著『野武士、西へ』(集英社文庫)で「奇跡の宿場・関」と絶讃されていた宿場町だ。
子どものころは古い町並を見てもピンとこなかった。今の関宿は電信柱もなくし、景観の保全に力を入れている。喫茶店が多い。街道の裏には寺や神社もたくさんある。
昼食は関のドライブインのレストランに行く。連休中ということもあって観光客(団体)がたくさんいた。
そのあと亀山駅まで送ってもらう。亀山駅のまわりをすこし散策。亀山みそ焼きうどんの看板をあちこちで見かける。
亀山駅から京都まで千三百二十円。近鉄や高速バスよりもはるかに安い。ただし電車は一時間に一本くらいしかない。
安西水丸著『ちいさな城下町』(文藝春秋)に亀山城の回がある。安西さんも関宿を訪ねている。「関の小万の仇討」の話から、小万を育てた山田屋は、今、会津屋という食事処になっていることを知る。
亀山から柘植、柘植から草津、草津から京都で二時間。電車が柘植あたりに差しかかったとき濃霧がすごかった。外の景色がまったく見えない。高校時代、柘植から通っている「ツゲちゃん(本名はちがう)」というあだ名の級友がいたことをおもいだした。
京都は六曜社でコーヒー。夜はまほろばで世田谷ピンポンズ、市村マサミ、オグラのライブ。三者三様の独特の言葉の世界を堪能する。楽しくて飲みすぎる。酔っぱらって、記憶があやふやなまま、気がついたら扉野さんの家で寝ていた。朝ごはん、おいしかった。
台風接近中のため、午前中に東京に帰る。名古屋まで新幹線の席をまちがえて座っていた。気づかなかった。車中、熟睡。
家に帰って洗濯してうどん作ってまた寝る。寝ても寝ても眠い。
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