《他人の批評や忠告に耳を傾けるのはいいが、それにコヅキ廻されてゐては、元も子も無くなつてしまふ》
長年、この問題について考え続けていると書いた。わたしはそもそも批評や忠告に耳を傾けないことのほうが多かった。それでよく怒られた。
だから酷評されて、書くのをやめてしまった新人作家の人の気持がピンとこなかった。
やや唐突だが、野球の話になる。
監督やコーチの助言を無視して、自己流を貫く。それで大成した選手もいるにはいるが、それによって干されてしまう選手もいる。
フォームを変えろ。コンバートしろ。それでうまくいくこともある。それで失敗した場合、自己責任だ、運だ……というところで話を終わらせてしまっていいのか。
癖を矯正する。型にはめることで安定することもあれば、凡庸になってしまうこともある。変な投げ方だけど、だからこそ打ちにくいみたいなこともある。
経験が豊富なコーチはその投げ方だと肩や肘に負担がかかり、ケガをしやすいということがわかっている。ケガを防ぐために、投げ方を変えてみてはどうかと助言する。選手は納得できなければ、「いやだ」と突っぱねてもいい。
問題はまだ結果らしい結果を出していない選手の場合だ。それでもコーチに逆らえるか。忠告を無視したら、クビになるかもしれないという状況でも自己流を貫けるか。むずかしいとおもう。
自分にとって大切なことは何か。
どんな形でもいいから一刻も早くレギュラーになることか。理想のフォームを追求することか。
そういうことを考えていると折衷案みたいなものも出てくる。レギュラーになって結果を残してから、理想のフォームを追求すればいいではないか。これは反論しづらい。
新人作家であれば、「まず売れるものを書けよ。そうすれば好きなことができるんだから」といわれる。
柔軟がいいのか、強情がいいのか。人によりけりとしかいいようがない。最後は自分の勘を信じるしかない……というところで話を終わらせてしまっていいのか。もうすこし考えたい。
(……続く)
2016/11/29
強情さが必要(一)
「人の話はどこまで聞くか」というのはむずかしい問題だ。
助言する側はよかれとおもって、ああしたほうがいいこうしたほうがいいという。しかし助言された側からすれば、かならずしも自分に適したやり方ではないということはよくある。
尾崎一雄著『わが生活わが文學』(池田書店)所収の「気の弱さ、強さ」は、そろそろ四十になろうというSというぱっとしない画家の話なのだが、助言のむずかしさを考えさせられる随筆である。
《Sは、友人や先輩に自分の仕事を批評されると、それをそのまま受入れる。批評は、ほめられるよりも、くさされる方が多いらしい。くさされると、Sは、なるほどと思ひ、その点を直さうとする。それまでの自分の方針を否定して、やり直したりする。
私は、そんなことをしてゐたら、キリが無いんぢやないのか、と考へる。批評する人は一人ではない。いろんな人にいろんなことを云はれ、それをいちいち、もつともだ、と思つて、相手の批評、あるひは忠告通り、自分の仕事を直さうとしてゐたら、結局何も出来なくなつてしまふではないか——とさういふことをSに云つてやつた》
《作家は(画にしろ文章にしろ)、多かれ、少なかれ、自分が書きたいことを有つてゐて、それを自分のやり方で書き、あるひは描きたいのに決つてゐる。他人の批評や忠告に耳を傾けるのはいいが、それにコヅキ廻されてゐては、元も子も無くなつてしまふ。やはり、強情さが必要だと思ふ》
「強情さが必要」と助言されたSは「なるほどさうですね」とうなづいた。尾崎一雄は、すぐうなづかずに、すこしは抗弁してほしいとおもうのだが、その気持はSには伝わらない。
《Sが帰つてから、他人の批評に右往左往してゐたら何も出来ないことは、絵も文章も同じだな、と考へた》
長年、わたしはこの問題を考え続けている。絵や文章だけでなく、あらゆる仕事にも、こうした問題はあるだろう。
新人作家がデビュー作を酷評され、書くのをやめてしまった。よくある話だ。そんなことでやめてしまうのであれば、どの道、ダメだというのはありがちな意見だが、正論でもある。
気弱な人に「気にするな、開き直れ」といっても、それができれば苦労はない。
批評にすぐ右往左往してしまうのであれば、まずそのことを認める。弱さについて考えてみる。弱いから見える、感じる世界を書(描)く。それもひとつの道ではないか。
自分が好きなものを嫌いな人がいる。当然、その逆もある。ただそれだけの話といってしまうのは乱暴だが、「単に好みが合わないだけではないか」と考えてみるのもいいかもしれない。
こうした助言と批評には、「力関係」という要素が加わるケースもある。これが厄介だ。
親と子、先生と生徒、上司と部下、コーチと選手のような、助言される側の立場が反論しづらいこともある。
いわれたとおりにやらないと試合に出してもらえないという場合、自分が納得いかなくても従ったほうがいいのか、無視したほうがいいのか。
強情であることが許されるかどうか。運に左右されるところもないわけではない。
(……続く)
助言する側はよかれとおもって、ああしたほうがいいこうしたほうがいいという。しかし助言された側からすれば、かならずしも自分に適したやり方ではないということはよくある。
尾崎一雄著『わが生活わが文學』(池田書店)所収の「気の弱さ、強さ」は、そろそろ四十になろうというSというぱっとしない画家の話なのだが、助言のむずかしさを考えさせられる随筆である。
《Sは、友人や先輩に自分の仕事を批評されると、それをそのまま受入れる。批評は、ほめられるよりも、くさされる方が多いらしい。くさされると、Sは、なるほどと思ひ、その点を直さうとする。それまでの自分の方針を否定して、やり直したりする。
私は、そんなことをしてゐたら、キリが無いんぢやないのか、と考へる。批評する人は一人ではない。いろんな人にいろんなことを云はれ、それをいちいち、もつともだ、と思つて、相手の批評、あるひは忠告通り、自分の仕事を直さうとしてゐたら、結局何も出来なくなつてしまふではないか——とさういふことをSに云つてやつた》
《作家は(画にしろ文章にしろ)、多かれ、少なかれ、自分が書きたいことを有つてゐて、それを自分のやり方で書き、あるひは描きたいのに決つてゐる。他人の批評や忠告に耳を傾けるのはいいが、それにコヅキ廻されてゐては、元も子も無くなつてしまふ。やはり、強情さが必要だと思ふ》
「強情さが必要」と助言されたSは「なるほどさうですね」とうなづいた。尾崎一雄は、すぐうなづかずに、すこしは抗弁してほしいとおもうのだが、その気持はSには伝わらない。
《Sが帰つてから、他人の批評に右往左往してゐたら何も出来ないことは、絵も文章も同じだな、と考へた》
長年、わたしはこの問題を考え続けている。絵や文章だけでなく、あらゆる仕事にも、こうした問題はあるだろう。
新人作家がデビュー作を酷評され、書くのをやめてしまった。よくある話だ。そんなことでやめてしまうのであれば、どの道、ダメだというのはありがちな意見だが、正論でもある。
気弱な人に「気にするな、開き直れ」といっても、それができれば苦労はない。
批評にすぐ右往左往してしまうのであれば、まずそのことを認める。弱さについて考えてみる。弱いから見える、感じる世界を書(描)く。それもひとつの道ではないか。
自分が好きなものを嫌いな人がいる。当然、その逆もある。ただそれだけの話といってしまうのは乱暴だが、「単に好みが合わないだけではないか」と考えてみるのもいいかもしれない。
こうした助言と批評には、「力関係」という要素が加わるケースもある。これが厄介だ。
親と子、先生と生徒、上司と部下、コーチと選手のような、助言される側の立場が反論しづらいこともある。
いわれたとおりにやらないと試合に出してもらえないという場合、自分が納得いかなくても従ったほうがいいのか、無視したほうがいいのか。
強情であることが許されるかどうか。運に左右されるところもないわけではない。
(……続く)
2016/11/27
花森安治装釘集成
わたしが花森安治の名前を意識するようになったのは、山口瞳のエッセイがきっかけだった。二十代後半くらいか。師と仰ぐ高橋義孝の本を花森安治に作ってもらおうとする話で……そのエッセイは「男性自身」シリーズのどこかに収録されているとおもうが、今は調べる余裕がない。
以前、河田拓也さんのホームページに間借り連載をしていたとき、「書生論再考」というエッセイで花森安治の『逆立ちの世の中』(河出新書)のことを書いた。『借家と古本』(sumus文庫)にも収録している。『逆立ちの世の中』は五反田の古書展で買った。その後、この本を「どうしても読みたい」という友人に譲ってしまった。そのときは「また買えばいい」とおもったのだが、なかなか見つからず、苦労した記憶がある。今年、中公文庫で復刊している。
今、みずのわ出版刊行の『花森安治装釘集成』(唐澤平吉、南陀楼綾繁、林哲夫)を読んでいる。壮観。ため息が出る。これだけ集めるのにどれだけ時間がかかったのだろう。
本書所収の唐澤平吉の「蒐集のきっかけは無知から——あとがきにかえて」によると、『花森安治の編集室』を出したあと、唐澤さんは花森安治が装釘家として活躍していた時期があったことを知ったという。
《だが、いざ集めようにも装釘作品の全容がわからない。図書館で書誌データをしらべても、装釘者名まで記載していない。装釘が著作物として扱われていないからだ》
花森安治が装釘した本は、かなり特徴があるので、一目で「花森本」とわかることが多い。見ればわかるが、見るためには手あたり次第に本の表紙を見て、奥付その他を確認しないといけない。出版社もジャンルも多岐にわたる。装釘家で本を集めるのは大変だ。
わたしが怠惰なせいもあるが、花森が装釘した高橋義孝の本も古本屋で気長に探そうとして入手できないままだ。『花森安治装釘集成』を見て、どうしてもほしくなった。今、日本の古本屋で注文した。七百円だった。
花森安治の話が出てくる「男性自身」は、山口瞳著『人生仮免許』(新潮社)だった。タイトルは「花森安治さん(一)」「花森安治さん(二)」。わかりやすくて助かった。
《『暮しの手帖』の花森安治さん、『文藝春秋』の池島信平さん、『週刊朝日』の扇谷正造さんは、若い編集者である私にとって、仰ぎみるような存在であり、そこにひとつの目標があったといっていいと思う》
《私は、二十代の初めの頃から、ドイツ文学者の高橋義孝先生の文章は、非常にいい文章だと思っていた。ドイツ文学や文芸学のことはまるでわからないが、先生の随筆や雑文に惚れこんでいた。
それで、先生のお宅へ伺って、切抜きを見せていただいて、自分で勝手に一冊の本をこしらえてしまった。これをどこで出版するかという話になったとき、私は、口を極めて、暮しの手帖社を推薦した。それは、暮しの手帖社で出された花森さんの装幀による、田宮虎彦さんの『足摺岬』という書物が実に見事な出来栄えであったからである。当時、『暮しの手帖』は、まだ服飾雑誌のイメージが強かったので、先生は、奇異に思われたかもしれない。
だから、高橋義孝先生の、最初の随筆集である『落ちていた将棋の駒について』という書物は、暮しの手帖社で発行された。いま、この書物は私の手許にはないが、山口君が狐憑きみたいに暮しの手帖社をすすめるのでという「あとがき」が附されているはずである》
今回、読み返すまで「花森さんの装幀による、田宮虎彦さんの『足摺岬』という書物が実に見事な出来栄えであったからである」という箇所をまったく憶えてなかった。何度となく、読んでいるはずなのだが、『足摺岬』の装幀がどんなものか調べようとおもわなかった。
『花森安治装釘集成』には田宮虎彦の『足摺岬』の装釘も(三頁にわたって)収録されている。装釘も目次もきれいだ。
《「足摺岬」は、活字だけしか使わないで作った本だが、いざ出来てみると、いろいろ後から気がついて、情けない思いをしているが、勉強にはなった》(本作り/花森のことば)
見ることができてよかった。ありがたい。『足摺岬』も読んでみたくなった。
以前、河田拓也さんのホームページに間借り連載をしていたとき、「書生論再考」というエッセイで花森安治の『逆立ちの世の中』(河出新書)のことを書いた。『借家と古本』(sumus文庫)にも収録している。『逆立ちの世の中』は五反田の古書展で買った。その後、この本を「どうしても読みたい」という友人に譲ってしまった。そのときは「また買えばいい」とおもったのだが、なかなか見つからず、苦労した記憶がある。今年、中公文庫で復刊している。
今、みずのわ出版刊行の『花森安治装釘集成』(唐澤平吉、南陀楼綾繁、林哲夫)を読んでいる。壮観。ため息が出る。これだけ集めるのにどれだけ時間がかかったのだろう。
本書所収の唐澤平吉の「蒐集のきっかけは無知から——あとがきにかえて」によると、『花森安治の編集室』を出したあと、唐澤さんは花森安治が装釘家として活躍していた時期があったことを知ったという。
《だが、いざ集めようにも装釘作品の全容がわからない。図書館で書誌データをしらべても、装釘者名まで記載していない。装釘が著作物として扱われていないからだ》
花森安治が装釘した本は、かなり特徴があるので、一目で「花森本」とわかることが多い。見ればわかるが、見るためには手あたり次第に本の表紙を見て、奥付その他を確認しないといけない。出版社もジャンルも多岐にわたる。装釘家で本を集めるのは大変だ。
わたしが怠惰なせいもあるが、花森が装釘した高橋義孝の本も古本屋で気長に探そうとして入手できないままだ。『花森安治装釘集成』を見て、どうしてもほしくなった。今、日本の古本屋で注文した。七百円だった。
花森安治の話が出てくる「男性自身」は、山口瞳著『人生仮免許』(新潮社)だった。タイトルは「花森安治さん(一)」「花森安治さん(二)」。わかりやすくて助かった。
《『暮しの手帖』の花森安治さん、『文藝春秋』の池島信平さん、『週刊朝日』の扇谷正造さんは、若い編集者である私にとって、仰ぎみるような存在であり、そこにひとつの目標があったといっていいと思う》
《私は、二十代の初めの頃から、ドイツ文学者の高橋義孝先生の文章は、非常にいい文章だと思っていた。ドイツ文学や文芸学のことはまるでわからないが、先生の随筆や雑文に惚れこんでいた。
それで、先生のお宅へ伺って、切抜きを見せていただいて、自分で勝手に一冊の本をこしらえてしまった。これをどこで出版するかという話になったとき、私は、口を極めて、暮しの手帖社を推薦した。それは、暮しの手帖社で出された花森さんの装幀による、田宮虎彦さんの『足摺岬』という書物が実に見事な出来栄えであったからである。当時、『暮しの手帖』は、まだ服飾雑誌のイメージが強かったので、先生は、奇異に思われたかもしれない。
だから、高橋義孝先生の、最初の随筆集である『落ちていた将棋の駒について』という書物は、暮しの手帖社で発行された。いま、この書物は私の手許にはないが、山口君が狐憑きみたいに暮しの手帖社をすすめるのでという「あとがき」が附されているはずである》
今回、読み返すまで「花森さんの装幀による、田宮虎彦さんの『足摺岬』という書物が実に見事な出来栄えであったからである」という箇所をまったく憶えてなかった。何度となく、読んでいるはずなのだが、『足摺岬』の装幀がどんなものか調べようとおもわなかった。
『花森安治装釘集成』には田宮虎彦の『足摺岬』の装釘も(三頁にわたって)収録されている。装釘も目次もきれいだ。
《「足摺岬」は、活字だけしか使わないで作った本だが、いざ出来てみると、いろいろ後から気がついて、情けない思いをしているが、勉強にはなった》(本作り/花森のことば)
見ることができてよかった。ありがたい。『足摺岬』も読んでみたくなった。
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