2019/01/23

書きかけ

 資料がたくさん必要な仕事をして、部屋が散らかっている。コタツの上とそのまわりに本が散乱。途中、仕事でつかう本が行方不明になり、その本を探しているうちに、まったく関係のない本を読みふけってしまい……。仕事と掃除の両立はむずかしい。

 気がつくと、パソコンのデスクトップが書きかけの原稿だらけになる。しかもタイトルをつけずに保存したものが多いため、どこに何が書いたのかわからない。今、その未完成原稿を整理をする暇がないので「書きかけ」というフォルダを作り、とりあえず、そこに入れる。
 どんな文章であれ、書き上げようと強くおもわないと、たいてい未完に終わってしまう。
 書いているうちに、他に気になることがでてくる。無理矢理つなげると、おかしな文章になる。だからそれらは別々に書く。すると、また別の気になることが浮んでくる。その結果、どんどん書きかけの原稿が増える。

 一つ一つ区切りをつけ、次に進んだほうが効率がいい。しかしそれはできない。

 書きかけの文章であってもタイトルくらいはつけたいのだが、いかんせん、書き上げるまで題名がおもいつかない。仮の題をつけるとすれば、大半は「雑記」とか「ここ数日」といったかんじになる。

 整理整頓も仕事のうち。どこかに歯止めがないと際限なくとっちらかっていく。

2019/01/20

冬の底

 毎年のように、このブログで「冬の底」について書いている。寒さが苦手なわたしは、冬のあいだは慎重かつ省エネを心がけ、だましだまし生活しているのだが、それでもおもうように体が動かなくなる時期がある。

 とにかく眠い。寝ても寝ても疲れがとれない。しかも睡眠時間がズレる。一日の大半が頭がまわらず、全身が怠い。熱が出たり食欲がなくなったりするわけではない。ただし、活字が頭にまったく入ってこない。おそらく、ガス欠みたいなものだろう。一年を通し、自分の不調のどん底みたいなものが「冬の底」だ。たぶん、昨日がそうだった。いつもは二月のはじめごろのことが多いので、今年はすこし早めにきたようだ。

 すこし前まで、今年の冬はいつもと比べると楽だとおもっていたのだが、そうではなかった。
 丸一日、ひたすら休養し、頭のなかのもやが晴れた気分になった。ためこんでしまった仕事にちょっとひるむ。でも毎年乗り切っているのでなんとかなるだろう。

2019/01/11

旅の本

 年明けの読書は牧野伊佐夫著『画家のむだ歩き』(中央公論新社)、それから池内紀著『東海道ふたり旅 道の文化史』(春秋社)でスタート。
 牧野さんの本の「ふろ会」というエッセイでは、高円寺の抱瓶、古本酒場コクテイル、唐変木のイラストが入っている。
 あと「甲府で家さがし」というエッセイに「晩年は田園のなかに暮らして絵を描きたい」という言葉があった。

 わたしも昨年石和温泉あたりの物件を見てきた(今すぐ移住する予定はない)。
 甲府も候補のひとつだったが、駅がちょっと大きすぎるとおもった。もうすこしこじんまりとした駅の町がわたしの理想だ。

 池内紀著『東海道ふたり旅 道の文化史』は刊行前から気になっていた本だ。
 わたしは郷里が東海道沿いで、東京との行き来も東海道線ばかりつかってきた。でも長年、東海道の宿場や歴史のことを知らずにいた。この齢になって、地元のことすら、知らないことばかりだ。知らなかった街道や郷土史について知識が増えていくにつれ、日本の見方もすこしずつ変わってきている。
 駅前なんてどこも同じ、ロードサイドはチェーン店だらけ……なんておもっていたが、旧街道を歩くとその印象が一変してしまう。多様性は自分の興味や関心の持ち方にも左右される。
 釣りに興味を持つ前は川の魚をほとんど知らなかった(子どものころに釣りをしていた時期もあるが、ほぼ海釣りだった)。知ろうとおもわなければ、見えてこない。

 東海道に関しては、静岡から名古屋(鞠子〜宮)、滋賀(土山〜草津)のほうは行ったことのない宿場が多い。

 通り過ぎてきた場所に途中下車していくだけでもどれだけ時間がかかるのかわからない。