2020/04/28

不思議な奇骨

 日常の生活範囲は高円寺を中心にその日の気分で中野や阿佐ケ谷あたりまで歩く。人混を避け、ふだん通らない道を歩く。
 なみの湯、今年も鯉のぼり。ずっと変わらない風景を見ると嬉しくなる。
 途中ベランダにマスクを十枚くらい干している家があった。

 阿佐ケ谷の某古書店で佐藤観次郎著『文壇えんま帖』(學風書院、一九五二年)を買う。佐藤観次郎は『中央公論』の編集長である。

 尾崎一雄については「器用な作家ではないがこの男でなくては書けないユニークな作品がある」「元来、呑気な男で何時も青年の気持で、仕事に精進し、決してあくせくしない所に特徴がある」「不思議な奇骨をもつている」と綴る。

 寒い時期は「冬眠」する。とにかく無理をしない。尾崎一雄の生活態度は我が理想でもある。
 世の中は自分の意志とは関係なく変わる。体調も天気や気温に左右される。
 尾崎一雄著『楠ノ木の箱 他九篇』(旺文社文庫)の表題作を読む。
 体調を崩した「私」は医者に行った。検査をしたら血圧が高いといわれる。

《「下げる薬を上げますけど、ご自分で注意して下さい。煙草はどのぐらい喫いますか」
「ハイライト六十本ぐらい」
「それは多い。いきなりやめろとも云えないが、せめて半分にして下さい」
「やってみましょう。——酒は?」「少しならかまいません……」》

 健康観念のゆるい時代だった。
 作中の「私」は「強圧的でない」医者のややいいかげんな態度を気に入っている。同時に自分が「良くない患者」ということもわかっている。自分のからだが「穴だらけ」と認識している。
 若き日の尾崎一雄は肺結核を患ったことがある。前年に父、翌年には妹が亡くなっている。

《人間のいのちなんて、なかなか医者の云う通りにはいかないものさ。俺は、はたちの頃も危ないと云われたんだ》

 震災、戦災、大病……。何度となく危機を乗り越えてきた。
 尾崎一雄は八十代までウイスキーを飲みながら小説を書き続けた。不思議な奇骨がほしい。

2020/04/25

戦中派の話

 二十二日から小型郵便局(七都府県)の営業時間が午前十時から午後三時までになっていたのを知らず、朝九時に高円寺の郵便局に行った。一時間後、再び行ったら外に人が並んでいる。局内に数人しか人をいれず、整理券を配って外に並ばせる方式のようだ。雨の日はどうするんだろう。

 田中小実昌著『ほのぼの路線バスの旅』(中公文庫)を読みはじめる。「東海道中バス栗毛」と「山陽道中バス栗毛」か。街道文学だな。三重も通るが、鈴鹿(石薬師宿と庄野宿)はスルー。コミさんは四日市から亀山までのバスに乗る。

 巨大迷路、あったなあ。一度だけ行った記憶がある。いとこといっしょだったか。
 コミさんを乗せたバスは日永の追分、采女のつえつき坂(杖衝坂)を通る。

《京都九十キロ、左鈴鹿市五キロ。だるま寺、左てに川、川ぞいの道になる。めし・おかず・やまもと食堂、安楽橋。田圃と茶畑のむこうにミエライスの看板。やはり国道一号線だ》

 二十年かけて鹿児島まで旅をしている。急がないのは大事だ。過去に何かしらの縁のあった土地を再訪する。いろいろ記憶が甦る。中年の旅の醍醐味のひとつといえる。

 ツイッターで河田拓也さんも『ほのぼの路線バスの旅』について呟きつつ、中公文庫の「戦中派」路線に反応していた。二十代のころ、河田さんとは戦中派の作家の話を公園とか喫茶店とかでよくしていた。ひまだった。

 中公文庫は池波正太郎の『青春忘れもの 増補版』も今月刊行している。池波正太郎も戦中派だ。戦後DDTの撒布作業をしていた時期がある。

《作業は、進駐軍の兵士たちが都内の各区役所へやって来て、われわれ作業員を引きつれ、しらみつぶしに焼けのこりの家々へ、DDTの撒布とワクチンの注射をおこなってゆく。
 チフス患者が発生した場所へは再三にわたって消毒をし、これを管理する》

 ある日、撒布の仕事で彫刻家の朝倉文夫の家に行く。朝倉氏が池波正太郎や学生に語った言葉がすごくいいんですよ。泰然自若といった雰囲気で若者を励まし、勇気づける。朝倉文夫は釣りの随筆も書いている。

 戦中派といえば、詩人の衣更着信が今年生誕百年(一九二〇年二月二十二日香川生まれ)だった。香川県で高校の先生をしていて、晩年は高松に暮らしていたのではないか。
 むしょうにジャンボフェリーに乗りたい心境だが、今はガマンだ。

2020/04/22

四十歳のオブローモフ

 喫茶店と飲み屋と古本屋に行って街道を歩きたい。今はおもう存分それができる日が来るまで倹約して体力を温存する。怠けたり休んだりすることが、こんなに肯定される時代がくるとは……。
 しかし気温二十度こえるとマスクもつらい。新型コロナが長期化しそうなら冷却素材のマスクを開発してほしい。

 後藤明生著『四十歳のオブローモフ イラストレイテッド版』(つかだま書房)が発売――解説を担当しました。山野辺進の挿画、旺文社文庫版では未収録の「後記」も再録されている。
 ロシアの怠け者オブローモフを理想とする団地住まいの中年作家、本間宗介の物語である。主人公は二児の父親で真面目にも不真面目にも振り切れないところがある。活躍らしい活躍もしないし、小さな失敗をくりかえしてばかりいる。悪人ではないが、すくなくとも立派な人物ではない。たいていどうでもいい話だ。若いころの自分が読んでもこの小説のよさはわからなかったかもしれない。
 たとえば、二日酔いにたいして主人公はこんな考察をする。

《二日酔いからさめかけの不安というものは、実さい、何ともいえないものだった。ことばを扱うことを商売としている宗介が、「何ともいえない」などというのは、いささかだらしのない話であるが、要するに、何故だかわからないが、世界じゅうの一切のものから自分一人が忘れ去られてしまうのではないか、といった不安なのである》

「誕生日の前後」という章で旧日光街道の綾瀬川沿いを子どもといっしょに散歩する場面がある。昨年わたしもこのあたり膝を痛めながら歩いたことをこの小説を読んでおもいだす。

《人間の理想は、ただただ、ひたすら自由に、足のおもむくまま歩き続けるということかも知れないのだ》

 家に一冊くらい『四十歳のオブローモフ』みたいな小説があるのはわるくないとおもう。