2020/08/30

中年と旅

 コクテイル書房で『東京発 半日徒歩旅行』、『東京発 半日徒歩旅行 調子に乗ってもう一周!』(いずれもヤマケイ新書)の佐藤徹也さんと「中年と旅」という対談をした(後日、ユーチューブで公開予定。公開日は未定)。

「半日徒歩旅行」シリーズは歩くコースがいい。目的地に到るまでの移動ルートが選び抜かれている。遊歩道、自然歩道、旧街道、渡し船……。軽装で行けるが、冒険の要素もある。歩きながら、その土地を知り、学んでいく。三十年くらい東京に住んでいるが、首都圏でも行ったことのない場所がたくさんある。
 街道に興味を持つまで千住(日光街道の宿場町)に行ったことがなかった。浦和や大宮が中山道の宿場町だったことも知らなかった。

 今回の対談――対談というか、お酒を飲みながら旅の講義を聴かせてもらったかんじだ。わたしは心の中で佐藤さんを「徒歩先生」と呼んでいる。

 電車やバスの移動に徒歩の感覚が加わるだけで、行き先の選択肢がものすごく増える。佐藤さんの本は、読物としても面白いし、さらに読んで歩けば、紹介している道の素晴らしさがわかるだろう。道は深い。わたしも「散歩が仕事」の人生を目指し、もっと歩こうとおもっている。

2020/08/24

古鎌倉街道

 土曜日、午後三時、目白駅。古書往来座まで歩く。『生誕百年 杉浦明平の眼』(田原市博物館、二〇一三年)などを買う。杉浦明平は一九一三年愛知県渥美郡福江村(現・田原市折立町)生まれ。地元では町会議員をしていたこともある。本とレコードのコレクターでもあった。街道に関するエッセイも書いている。
 武田泰淳、木山捷平が伊良湖をそれぞれ別に訪れたさい、二人とも杉浦明平の名前をあげている。富士正晴の本で杉浦明平の本を枕元の書にしていると記されていた記憶がある(題名をおもいだせない)。渥美半島を二度ほど歩いたが、田原市博物館は寄ることができなかった。

 そのあと鬼子母神から雑司ケ谷、西早稲田界隈の古鎌倉街道を歩く。鎌倉街道は諸説いりみだれ、専門家のあいだでも意見が分かれる。誰も正解を知らない道といってもいい。地形や川の流れも昔と今とではちがう。

 金乗院(目白不動)のところに宿坂道の看板あり。宿坂通りをしばらく歩く。長い下り坂。面影橋、早稲田通りへ。さとし書房のあたりに出る。
 古書現世で向井さんと雑談する。『生誕100年記念 中島健蔵展』のパンフレットを買う。中島健蔵展(二〇〇四年一月二十日から二月二十二日)は恵比寿ガーデンプレイス内の東京都写真美術館で開催された。中島健蔵が撮影した文士の写真がたくさん収録されている。年譜も詳細。『司馬遼太郎追想集 ここに神戸がある』(月刊神戸っ子、一九九九年)も買った。古書現世の近くの通りも古鎌倉街道という言い伝えがあるらしい。

 往来座と古書現世が鎌倉街道(かもしれない街道)でつながっているのも不思議だ。
 雑司ケ谷あたりから西早稲田を通る古鎌倉街道は渋谷のほうにつながっていたという説もある。つまり、東京メトロの副都心線=鎌倉街道の可能性もあるわけだ。

 早稲田通りを歩いて、小滝橋から神田川沿いの遊歩道を歩く。夏は五千歩を目安に水分補給している。帽子(できれば通気性のよいもの)は必需品だ。小滝は「おたき」と読むのか。ずっと「こたき」だとおもっていた。木陰もあって快適だった。川沿いの道は風がやや涼しいのもいい。
 遊歩道を歩いていくとJR東中野駅に到着する。
 東中野のライフの品揃え、あいかわらず素晴らしい。

2020/08/21

願いごと

 水曜日神保町。東京堂書店の週間ベストセラー、二週連続で『中年の本棚』(紀伊國屋書店)が一位。ちなみに二週連続二位は村上春樹の『一人称単数』(文藝春秋)である。東京堂で本を買う人はヤクルトファンのひとりっ子が書いた五文字タイトルの本が好きな人が多いようだ。

 毎年行きつけのバーの七夕の短冊に願いごとを書いている。いつも「本が売れますように」と書いていたのだが、今年は「増刷」の二文字にした。目標は明確にしたほうがいいとおもったのだ。

 木曜日新宿。駅の東口から西口の旧青梅街道のトンネルを通る。トンネル内に青梅街道の宿場町が描かれている。街道のことを知るまでは青梅街道は青梅までだとおもっていたが、山梨県の酒折まで続いている。酒折で甲州街道と合流する。新宿西口のよく利用していた金券ショップが閉店していた。紀伊国屋書店の新宿店に行く。時々レジのモニターに『中年の本棚』のカバー(装丁・鈴木千佳子さん。カバーをとった表紙もすごく気にいっている)が映る。紀伊國屋書店の地下の水山であなご天梅とろろうどん。期間限定メニューなのかもしれないが、一年中食べたい。

 そのあと都営地下鉄で神保町に行き、久しぶりに本の雑誌社へ。街道歩きを再開することを伝える。

『中年の本棚』で「もう若くないとおもうからこそ、今のうちにできることをやっておきたいという気になる。ところが、手を広げすぎると収拾がつかなくなる」(色川武大、「心臓破り」の五十路)と書いた。古本にしても街道にしても興味がどんどん拡散している。読めば読むほど読みたい本が増え、歩けば歩くほど歩きたい道が増えてくる。

 五十代は何をしないかを考える時期なのかもしれない。