すこし前に鶴見俊輔著『戦後を生きる意味』(筑摩書房、一九八一年)を読み返していたら「石川三四郎」と題した評論で臼井吉見の「何百人という人たちに、『安曇野』には登場してもらいましたが、一番敬愛する人は誰かと訊かれれば、石川三四郎を選びます」という言葉を紹介していた。
臼井吉見著『教育の心』(毎日新聞社、一九七五年)からの引用である。鶴見さんの本を読み、気になったので『教育の心』をインターネットの古本屋で注文したのだが、『中年の本棚』の作業と重なり、積ん読のままになっていた。
すると、大澤正道著『石川三四郎 魂の導師』(虹霓社、二〇二〇年)が届いた。虹霓社は新居格の『杉並区長日記』を復刊した静岡県富士宮市の出版社である。
先日、鈴木裕人さんの『龍膽寺雄の本』もそうだが、新居格や石川三四郎に関する本が“新刊”で読めるとは……。
『石川三四郎 魂の導師』で、大澤正道は石川の「私は保守主義者である。私は私の善いと思ふことを固守するが故に保守主義者である」という言葉を紹介している。
アナキズムと保守は対立概念ではない。むしろ二項対立の構造を崩していくこともアナキズムなのだ――とわたしは考えている。日露戦争から一貫して反戦の立場をとっていた石川三四郎だが、戦後は天皇を擁護していた。アナキストとしては“異端”の立場だった。『自叙伝』の「無政府主義宣言」では石川の天皇擁護の部分が差し替えになっている。
『石川三四郎 魂の導師』でも「天皇と無政府主義者」の章で大澤正道自身、差し替えを進言した一人だと告白している。
《しかし、今にしておもえば、小人、師の心を知らずで、わたしも「主義」の「熱病」につかれていたにすぎない。慚愧に堪えぬ思いである》
鶴見俊輔は、石川の思想の根底に「非暴力直接行動」があると指摘し、「おだやかな社会思想」とも述べる。
最後に臼井吉見の石川三四郎評を紹介したい。
《石川三四郎は、人間とは何か、ということをはっきりした形でつかんでいた人だと思います。人間とは、命を終える瞬間まで、二つの闘いをやりぬく存在である。そういう考えであります。二つの闘いとは何かというと、一つは、外なる社会の不合理と闘うということ。もう一つは、内なる自分と闘うということ、自分の内なる“無明”と闘うということです》(「歴史と教育 『安曇野』にことよせて」/『教育の心』)
石川にとって“無明”とは「人生は何のためにあるか、何のために人生を生きるかっていうことにさえ無関心で、考えようもしない」状態のことだった。また臼井吉見によると、石川が一番大切に考えていたのは「教育」だったそうだ。
2020/09/28
石川三四郎
2020/09/24
「S」さんの放出品
たまたまなのかもしれないが、JR総武線に乗っていたら、車内の広告がスカスカだった。脱毛と育毛、転職、墓の広告がちらほらあり、中吊りはほぼJRの自社広告である。電車に乗ったら、まず週刊誌の中吊りを見るのだが、それがない。新型コロナ不況は関係あるのか。
連休中、ふらっと高円寺のあづま通りの中古レコード屋に入ったら、コレクターの「S」さんの放出品のコーナーがあった。七、八〇年代の洋楽、邦楽の名盤がぎっしり箱に詰まっていた。この日はジェームス・テイラーの『Gorilla』と『In the Pocket』の二枚買う(CDは持っている)。『In the Pocket』のジャケットはポーズを決めた後ろ姿なのだが、裏ジャケを見ると『Gorilla』のジャケットがプリントされたシャツを着ている。
久しぶりに『Gorilla』を聴いてみたら「自分が好きな音楽はこれだ」という気持になった。平穏な美しいメロディの宝庫。声も音の質もやわらかい。
「S」さんのコーナー、二十年くらい前にアパートの立退のさい、売ってしまったレコードが十数枚あった(七〇年代の洋楽アルバム)。 箱ごと欲しい。二十代のころの自分が探していたレコードが格安で売っていた。
昨日の深夜、ペリカン時代でその話をし、「S」さんは誰それさんではないかという話になる。ここ数年、若い人のあいだでレコード人気が復活している話も聞いた。
2020/09/20
郷土文学三昧
昨日、杉並郷土博物館に行き、『杉並文学館 井伏鱒二と阿佐ケ谷文士村』など、未入手の文学展パンフを買った。杉並文学館は十月三十一日から。『井伏鱒二と阿佐ケ谷文士村』には「杉並の作家」という地図が付いていて、黒島伝治が高円寺(東高円寺)にいたことを知る。黒島家から青梅街道を渡ると龍膽寺雄と中野重治の家がある。京都の古書善行堂の棚みたいだ。ただし当時の作家はしょっちゅう引っ越していたので、時期が重なっていたかどうかはわからない。
吉川英治は高円寺のどのあたりに住んでいたか。今の住所だと高円寺北三丁目あたりか。北原白秋も高円寺と阿佐ケ谷のあいだくらい。藤原審爾は阿佐ケ谷と荻窪も中間くらい。柏原兵三の家もそのすぐ近く。この地図だと新居格は高円寺ではなく、阿佐ケ谷時代の住まいが記されている(家の場所だけでなく、住んでいた時期がわかるといいのだが、それを調べるのはものすごく大変だ)。これほど見ていて飽きない地図はない。
鈴木裕人さんの『龍膽寺雄の本』が届く(装丁は山川直人さん)。前述のように龍膽寺雄は高円寺に暮らしていた時期がある。そのあと中央林間に広大な土地を買い、引っ越した。拙著『古書古書話』(本の雑誌社)の「シャボテンと人間」で龍膽寺雄の話を書いた(初出は『小説すばる』二〇〇八年七月号)。鈴木さんは山川直人さんの漫画に龍膽寺雄が出てきて驚いたそうだ。 「シャボテンと人間」にも書いたが、久住昌之原作、谷口ジロー絵『孤独のグルメ』(扶桑社)にも龍膽寺雄らしき人物が描かれている(名前は出てこない)。龍膽寺雄はシャボテン(サボテン)研究者としても知られていた。
長年、高円寺にいた作家の新居格のことを追いかけている。新居格を知ったのは龍膽寺雄の「高円寺時代」という作品だった(『人生遊戯派』昭和書院)。
《その頃マルクシズムを標榜するプロレタリア派にも与せず、私たち新興芸術派にも与せず、アナーキストを名乗って独自の立場をとりながら、豪放磊落にして洒脱な風貌で一つの地位を保っていた評論家の新居格も、中央線沿線に住んで異彩を放っていた》
二人の共通点では自宅もしくは近所の喫茶店を“サロン”にしていたことだろう。一九三〇年代のはじめ、若き文学者たちは龍膽寺雄や新居格に会うため高円寺に訪れていたのである。