2021/01/23

どう転んだところで

 木曜日夕方神保町。神田伯剌西爾でマンデリン、家に帰って三時間くらい寝て朝まで仕事する。

 鮎川信夫の『最後のコラム』(文藝春秋、一九八七年)に古井由吉の『「私」という白道』(トレヴィル)の感想を述べたコラムがある。鮎川信夫が私小説について論じているのだが、深く頷いてしまう内容だった。
 葛西善蔵とその心酔者について「有用なことは一切ダメだが、かかわりあった女を不幸にすることなら誰にも負けないぞという、ヘンな勇者が結構いたのである」と述べる。
 そして日本の文学史の裏面に「現実に負けてもへこたれない連中」がいたことを懐かしむ(褒めているわけではない)。

《一言でいえば、彼等の文学は「失敗」の讃美である。世の成功に対する強い不信が根底にある。人を惹きつけるのも、人を逸らすのも、そこを基軸としている。どのみち、人生に正解はないというおかしな確信。成功も失敗も等しく仮象である。どう転んだところで人間に変りはないという諦念乃至無常観が、その支えになっている》

 すこし前に青森県近代文学館の『葛西善蔵 生誕130年特別展』のパンフレットを『フライの雑誌』の堀内さんが送ってくれた。
 同パンフレットには全集未収録の「帰郷小感」(『青年』大正十三年九月)も全文掲載されている。
 父の三周忌に郷里に帰った葛西善蔵は「或る特殊な思想」を持った何人かの青年たちと会う。

《君等は恵まれてゐる青年達だ。君等の思想にも理解は持てる筈なんだが、同時に地方教育のため、産業のため、大ざつぱに云へば、文化のために小反抗を捨てゝ、和衷協同の大道に立つて貰いたいものだと僕は涙を持つて言ひたいのである》

 葛西善蔵にもそういうおもい(だけ)はあった。いろいろな意味でもらい泣きしそうになる。
 年に何日か私小説しか読めない日がある。何もする気になれない日に失敗の結晶のような作品を読むと妙に安心する。それにしても「現実に負けてもへこたれない連中」っていい言葉だなあ。

2021/01/18

冬の底

 毎年「冬の底」と名づけている時期がある。一月の終わりから二月のはじめのあいだの数日、頭の中がもやに覆われたようになり、気力がゼロに近くなる。寝ても寝ても眠く、朝七時ごろ寝て夕方ちょっとだけ起きてまた寝て夜の十時ごろ起きるといったかんじになる。
 例年一日か二日かくらいで過ぎ去り、すこしずつ調子が戻ってくる。「また今年も来たか」と諦めるしかない。完全休養日と割り切っている。
 昨年は一月二十四日から二十五日にかけてがそうだった。「頭蓋骨に膜がはっているかんじがして頭がまわらない」と書いている。
 近年では「夏バテ」ではなく、「冬バテ」という言葉もあるようだ。気温の低下、寒暖差による疲労などが原因といわれている。
 解決策は栄養と休養しかない。不調のときに焦らないこともすごく大切だ。誰にだって調子のよくない時期はある、よくあること——とおもうことにしている。

 津田左右吉の「日信」一九二六年一月分をパラパラ読む。

《カアテンをあげて、ガラスごしの日光を背に浴びつゝ読書をしてゐると、からだだけは春にあつややうにあたゝかであるが、手さきがつめたい。(中略)あたゝかいやうな、寒いやうな、調子の整はぬ感じが自分を支配している》(一月四日)

《カアテンを少しおし開けて、そこから入つて来る日光をからだに受けてゐると、非常にあたゝかい気がする。ちやうどすきま風がひどく寒く感ぜられると同様である。人間の幸福もこんなものではないかと思ふ。幸福は小さいがよい。せまい窓からさし込む明るい日光と同様、生活のどの部分かにそれが感ぜられるだけの程度のがよい》(一月七日)

 冬のあいだ、津田左右吉はカーテンの隙間からの日向ぼっこをするのが好きだった。ここ数日、カーテンを開けてなかったことに気づく。

《せなかに日光をうけて机に向つてゐると、うとうととねむくなる。眼をあけてゐるでもなし、閉じてゐるでもなし、半ばゆめみごこちでゐると、此のせまい部屋が限りなく広い世界のやうでもある》(一月二一日)

《目がさめたまぎはにはもう少しはつきりしてゐたが、いま書こうと思ふと、殆ど書けない程にぼんやりしてゐる》(一月二十八日)

《仕事にも考へることにも気分といふものがある。それは一つの調子である。調子の無い音楽が成り立たぬやうに、気分の整わぬ仕事は出来ない。今日の僕は調子のない楽曲を作らうとするやうであつた》(一月三十日、三十一日追記)

 津田左右吉のような大学者でもこんなかんじで苦労していたことを知ると安心する。

 インターネットで「冬バテ」対策を検索したら、肉を食べたほうがいいとあり、 夜、豚バラとしょうがをたっぷり入れたとん汁作る。食べたらすこし元気が出た。

2021/01/16

視野の狭さ

 アンディ・ルーニー再読。「政治は子どもの遊びか?」と題したコラムがある(『下着は嘘をつかない』北澤和彦訳、晶文社)。「わたしは民主党員です」という十一歳の子どもからの手紙へのアンサーとして書かれたコラムだ。ルーニーの父は「いつも共和党に投票していたが、熟慮の末ではなかったと思う」と回想し、ルーニー自身、両党の細かな相違点は「訊かないでいただきたい」と記す。

《ふたつの政党のちがいを訊いたとき、父は、民主党は外国がアメリカで売ろうとして輸出する製品の輸入関税を下げようとし、共和党は外国製品を締め出すために関税を上げようとする、と教えてくれた》

 アンディ・ルーニーは一九一九年生まれ。彼の子どものころの話だから、一九三〇年前後の話だろう。今のアメリカでもその傾向があるようにおもえる。

《自分の応援していた候補が落ちると、われわれはその敗北を耐え忍び、世の中は実際にそう変わるまいと確信してまた仕事に出かける》

 彼自身はどちらの党も支持しない。政党に関係なく、現職の大統領に反対の立場をとる——と他のコラムで書いている。常に「中立」でいることが彼の政治信条だった。

「共和党派か民主党派か」(『人生と(上手に)つきあう法』井上一馬訳、晶文社)と題したコラムに以下のような一節がある。

《民主党支持者は、(私が勝手に思うには)、リベラルで、性善説を取り、自分たちの生活をまもるために政府の助けが必要だと考えている。(中略)さらに貧乏人と無学な人間は不平等な制度の犠牲者であり、その人たちの環境は自分たちが手を差しのべれば、改善されると信じている》

《共和党支持者は、(私が勝手に思うには)、保守的で、人間が性悪説を真摯に受け止めることがもっとも大切なことだと考えている。(中略)彼らは貧乏人に対して無感覚というわけではなく、貧乏人は働こうとしないから貧乏なのだと考える傾向がある》

 四十年くらい前のコラムだから、今はちがうかもしれない(そんなに変わっていないかもしれない)。 「視野の狭さ」(『人生と(上手に)つきあう法』所収)というコラムにはこんな言葉がある。

《(人間は)明日の安全のために今日の人生の楽しみをなんらかの形で犠牲にすることを快しとしない》 

 わたしはちがうといいたいところだが、自信がない。