2006/10/10

受け身の生活

 二十八歳のときだった。
 ある日、近所の喫茶店でハンバーグランチを注文した。子供のころから、ハンバークが好きだった。
 しかし食後、胃がもたれた。半日くらいむかむかした。
 その日以来、ハンバーグだけでなく、トンカツや天ぷらも、体調がよくないと受けつけなくなってしまった。
 しだいにこってりしたものより、あっさりしたものを好むようになった。

 こうした味覚の変化は、まず音楽の趣味にも影響をおよぼしはじめた。
 ロックをあまり聴かなくなった。熱唱するボーカルがだめになった。アコースティック系のポップスばかり聴くようになった。
 ドン・クーパー、ピーター・アレン、ジェイムス・テイラー。だいたい一九七一年から一九七三年くらいに集中している。たまにロックのCDも買うが、いわゆるソフトロックとよばれるジャンルに偏っている。手当たりしだいに聴いて、だんだん同じものばかり聴くようになって、以前とくらべて、レコード、CDを買わなくなった。

 二十代の終わりごろ、読書の趣味も変わった。「淡々とした」とか「飄々とした」とか形容されるような作風を好むようになった。
 尾崎一雄にはじまり、木山捷平や小沼丹を経て、梅崎春生を読み、そのあたりで足が止まった。気がつくと再読ばかりしている。

 ほぼ毎日、古本屋か中古レコード屋をまわる。本ばかり買う時期、レコードばかり買う時期が、交互にやってくる。
 低迷期を経て、しばらくすると、また琴線にふれるものがあらわれる。

 三十代以降、自分のアンテナというかセンサーだけでは、すぐ行き詰まってしまうので、友だちがすすめるものを読んだり、聴いたりすることが多くなった。
「あれ、けっこうおもしろかったよ」
「じゃあ、読んでみようかな」
 最近教えてもらったのは、コーリイ・フォードの『わたしを見かけませんでしたか?』(浅倉久志訳、ハヤカワepi文庫)という本。ユーモア・スケッチの第一人者だそうだが、海外文学にうといわたしはまったく知らなかった。

 デパートやレストランでなかなか店員に気づいてもらえない。タクシーも止まってくれない。

《ひょっとすると、わたしは存在しないのかもしれない。ここにさえいないのかもしれない。わたしは紹介された相手が、つぎに会ったときにわたしをおぼえていたためしがない》(「わたしを見かけませんでしたか?」)

 かなり好きなタイプの作品だ。
 こちらの趣味のツボのようなものを心得ている友人がいるとたのもしい。
 映画に関しては、主体性を捨てた。二十代のころから人にすすめられた作品をビデオで借りて観る生活をしている。

 それでもときどき、三ヶ月にいちどくらいハンバーグを食いたくなる。挑戦という気持もなくはない。もう若くないという現実を受け容れるのには時間がかかる。