2017/12/21

日本の本日

 年内の仕事が終わった。といっても、校正が残っていたり、年明けすぐのしめきりもあるのだが、とにかく一年乗りきった。「どうにかしのいだ」といったかんじだ。毎年同じような一年のくりかえしのようで、同じ一年にあらず。

 夕方、新宿のち神保町。神田伯剌西爾で、新刊の小野博著『日本の本日』(orangoro)を読みはじめる。この題名は無視できない。大当たりだ。エッセイと写真——どちらも素晴らしい。一九七一年生まれ(たぶん、早生まれ)でほぼ同世代ということもあって、読んでいるうちに、いろいろ記憶がよみがえってくる。ものの見方、考え方に共感するところも多かった。
 小野さんは岡山出身の写真家でオランダに十五年住んでいる。
 東日本大震災後、日本中を旅行するようになった。子どものころから今に至るまでの「日本」と「自分」の回想――観察と洞察も深い。
「小野さん、幸せ?」というエッセイは東京で会社勤めをしていたころの話である。

《残業なしでは到底処理できない仕事量を任され、予算がないからという理由で人手が増やされることはなく、納期だけは必ず守るように言われる。日本人の誠実さ、忍耐強さが、不景気による経営不振の埋め合わせに利用されていた。
 電車に揺られながら、「あと四〇数年、こんなこと続けられるだろうか?」と自分に問いかけてみる。その答えは、「無理」だった》

 数年後、小野さんは「仕事=人生」ではない生き方を求めてオランダに移住した。
 わたしも「仕事=人生」とはおもっていない。若いころから、なるべく働かずに食べていくことばかり考えてきた。いちども定職に就いたことはないし、その選択に悔いはない。それでも「仕事=人生」という価値観の呪縛はおもいのほかきつい。

「あの時、壊されたもの」というエッセイは、会社を辞め、派遣社員として働いていたときのことをこんなふうに綴っている。

《ある日、一年分の収入と支出を計算してみた。僕は家賃のために五ヶ月、食費のために二ヶ月、国民年金と交通費と通信費のためにそれぞれ一ヶ月働いていることがわかった。ただ生きていくためだけに、収入一〇ヶ月分が消えてなくなっている事実に愕然とした》

 ほかにも「ヤンキーと僕」がよかった。中学時代に親しかったヤンキーの級友の話なのだが……内容は手にとって読んでほしい。

 家に帰って、すぐ小野さんの『ライン・オン・ジ・アース』(エディマン)と『世界は小さな祝祭であふれている(新装版)』(モ・クシュラ)を注文した。早く読みたい。