2020/06/12

オブローモフと西行

 埴谷雄高著『戦後の先行者たち 同時代追悼文集』(影書房、一九八四年)の「妄想、アナキズム、夜桜」という高橋和巳について書いたエッセイを読んでいたらこんな一節があった。

《高橋和巳君は私の「妄想」の立場をうけついで自分もまた「妄想」を文学的方法としていると常日頃いつていたけれども、いつてみれば、寝床のなかのオブローモフとして夜昼横たわりながら暗い頭蓋のなかだけの微光を明滅させている私と違つて、白昼の時間の真面目な努力を長くつづけてきた同君としては、私の「架空凝視」をその方法とすることなく、眼前にいま置かれたものを詳しく精査する「現実凝視」をその建前としてきたのであつた》

 この文章の初出は『現代の文学・高橋和巳』の月報(一九七一年十一月)だ。文中の「寝床のなかのオブローモフ」という言葉は後藤明生の小説の主人公が目指していた理想である。『四十歳のオブローモフ』の連載は一九七二年五月にはじまった。後藤明生は「妄想、アナキズム、夜桜」を読んでいたかどうか。今となっては確かめようがない。『四十歳のオブローモフ』(つかだま書房)には「ときどき彼は《眠り男》になりたい! と空想することがあった。《眠り男》すなわち現代の《三年寝太郎》であり《ものぐさ太郎》である。しかし、妻子を抱えた《眠り男》など到底、考えられない。彼の理想はまた、ロシアの怠け者《オブローモフ》であった」と書いている。

 オブローモフはロシア貴族で大地主だった。『四十歳のオブローモフ』の主人公は団地住まいである。オブローモフのように何もせず怠惰にひたることはできない。

 ちなみに埴谷雄高は母親が吉祥寺に建てた家に暮らしていた。一時期は賃貸収入もあった。

 車谷長吉は西行に憧れていた。しかし西行が隠遁しつつも生涯にわたり紀州の荘園からの収入があったことに文句をいっている。車谷長吉著『贋世捨人』(文春文庫)の冒頭の付近に「二十五歳の時、私は創元文庫の尾山篤二郎校注『西行法師全歌集』を読んで発心し、自分も世捨人として生きたい、と思うた。併し五十四歳の今日まで、ついに出家遁世を果たし得ず、贋世捨人として生きてきた」とある。
『四十歳のオブローモフ』と『贋世捨人』は文体も作品の雰囲気もちがうがモチーフは重なっている。わたしはどちらも好きだが。

 埴谷雄高の本を読み返したのは武田泰淳と梅崎春生の話で確認したいことがあったからなのだけど、この話はいずれまた。