2020/11/24

忍耐

『有馬賴義と丹羽文雄の周辺』(武蔵野書房)所収の「丹羽文雄と『文学者』の人びと」(談・中村八朗)を読んだ。中村八朗は『十五日会と「文学者」』(講談社、一九八一年)の著者でもある。

 中村八朗は一九一四年長野生まれ。早稲田大学の仏文時代、吉江喬松に文学を学んだ(吉江は井伏鱒二の先生でもあった)。
 吉江喬松は長野県の塩尻出身で代々庄屋の家に育った。わたしは三重からJR中央本線で東京に帰るときはいつも塩尻に宿泊している。
 塩尻からの五千石街道には吉江喬松の生家がいまも残っている。それで気になっていた。

「丹羽文雄と『文学者』の人びと」の話に戻る。

《中村 吉江先生は、手をあげた者に対して、作家となるには、どういう素質が大切だと思うか、ひとりひとり聞きはじめるんだ。ぼくは何て答えたか忘れたけどね、みんな、ろくな答はでなかったね。そうしたら先生は、いきなり黒板に、フランス語で、パシャンス、と書くんだよ。もうスペルは忘れちゃったけどね。これ知っている者、と先生がいったら、八木だったか誰だったか、たぶん八木だね、八木はフランス語がよくできたからね、忍耐、ではないですか、といったんだ。すると先生は力をこめて、そのとおり、作家の大切な資質は忍耐である、といったね》

 八木は八木義徳。中村八朗と八木義徳は第二早稲田高等学院のころ、いっしょに同人雑誌を作っていた。

 話はあちこち飛んで恐縮だが、以前、古本屋で坪内祐三さんのサイン本を見かけ(買わなかった)、その署名の横に「忍耐」と書いてあった——というエッセイを『本の雑誌』に書いたことがある。吉江喬松の「忍耐」の話と関係あるのかどうか。

 中村八郎は吉江先生の教えを「じつにいい教訓だったね」と回想している。吉江喬松は作家を育てたいというおもいが強かった。当時、学生にたいし「作家になれ」とけしかける先生は珍しかった。

《中村 作家の素質について、あれやこれや言ってみても、勉強したり、調べものをしたりすれば、いろいろとついてくるもので、そんなものは素質といえないね。吉江先生のいう忍耐力がないから、消えていっちゃうんだね。書かないし、注文がないと書けないなんていっていては、だめなんだよね》

 中村八朗は、吉江喬松のほか浅見淵にもよくしてもらった。浅見は「後輩のために、損得ぬきで面倒をみる」人だった。浅見は新人をとにかくほめた。

《中村 そこでね、つくづく思うのは、作家の才能の中にはさ、普通でないものがある、ということだね。人間的には何か、こう少し、はずれたり、ゆがんだりしたもの、それを持っていた方がいいね。そう思うよ》 

 何か「おかしいところ」がないと文学にならない。面白い教えだ。そのとおりだとおもう。