2021/12/17

大勢順応 その一

 経験上、体が冷えてくると気持も沈みがちになる。わたしはある種の精神論——気合や根性を否定する気はないが、とりあえず体を温めることのほうが手っ取り早いと考えている。

 何年も会っていないが、二十代のころ「とにかく起きたらすぐお湯で手を温めろ」と助言してくれた先輩ライターのNさんにはいまだに感謝している。冬になるたびにその言葉をおもいだす。Nさんの名前は橋本治著『失楽園の向こう側』(小学館文庫、二〇〇六年)の巻末に「企画協力者」として記載されている。

《日本社会で一番重要なのは、「適合」である。「適合」を完了した状態を「人並」と言う。日本での「人並」というのは、ある種の到達点だから、その先はない》(「みんな『いい人』の社会」/同書)

 子どものころから世の中への「適合」を目指し、それなりの収入を得て「人並」になる。その結果、自分は正しい、もしくはそれほど間違っていないと考える。ようするに自分を疑わなくなる。「人並」の自分と違う意見を見聞きすると「人並」以下の未熟な人間の妄言とおもってしまう。

《多くの人間が共有する「建前」は、それが共有されているものであればこそ、多くの人達にとって、「自分たちを成り立たせてくれる重要なもの」なのだ。だから、それに対して「違う」と言ったって、聞く方には意味が分からない。意味をなさないものに対して、多くの人は耳を傾けられない》

《「他人とは違う意見を言う人」は、ただ「不思議な人」で、そんな人間がなにかを言っても、「不思議なことを言う人がまた不思議なことを言っている」にしかならない》

《大勢順応が“善”だから、多くの人は大勢に順応する。大勢順応はさらなる大勢順応を呼んで、気がついた時には、そこにストップをかける人間がいなくなる。「大勢順応は悪だ」と言ったら、「大勢順応をとげている多くの善人を混乱させた」という罪に問われて放逐されてしまう——だから「違う」と言う人間がいなくなってしまう》

『失楽園の向こう側』の「みんな『いい人』の社会」は今の言論状況にも当てはまる。仮に「建前」が正しかったとしても、行き過ぎてしまうことはいくらでもある。しかしその行き過ぎに異論を唱えると「『大勢順応をとげている多くの善人を混乱させた』という罪に問われて放逐されてしまう」のである。

 「みんな『いい人』の社会」に「平均値が大好きな日本人は、平均値と基準値を同じものだと思ってしまう」という一文もあった。高血圧の人が多い村は、その平均値も高くなる。彼らは自分が暮らす外の世界の基準値を知らない。

《全員が高血圧の中に、一人だけ低血圧の人間がいて、普段から「起きて調子が出ない」なんてことを言っていたら、それはもう特別な仲間はずれの変わり者で、怠け者である》 

 そして「病気」ということになる。「病気」なら適切な治療を施せば治るだろう。その理屈は「大勢順応」に異論を唱えるような人にも適用されがちである。あなたが我々の正しさに疑問を抱くのは正しい情報を知らず、正しい判断ができていないからだと……。

(……続く)