2021/12/04

戦中派のこと

 気がつけば十二月。金曜日、昼すぎ西部古書会館。平日開催だけど、けっこう混んでいた。『品川区史料(十一)品川の古道』(品川区教育委員会、一九九八年)、『鎌倉街道と中世のみち 狭山丘陵の中世』(東村山ふるさと歴史館、二〇一〇年)など。

 部屋の掃除中、田村隆一著『退屈無想庵』(新潮社、一九九三年)の「余命」をパラパラ読んでいたら、こんな記述があった。

《十二月四日(水) 晴 暖。
 真珠湾奇襲攻撃五十周年をひかえて、TVでは、しきりと当時の映像を送る。(中略)ぼくは、あのとき、ブッシュ大統領とおなじように大学生であり、ぼくは十八歳、ブッシュ老人は十七歳だったのだ》

 五十周年ということは一九九一年、三十年前になる。文中のブッシュ大統領は“パパ・ブッシュ”のほう。同随筆は『新潮45』の連載で、当時、田村隆一は六十八歳だった。このころは戦中派の詩人や作家で存命の人が多かった。田村隆一と同世代だと遠藤周作、吉行淳之介、司馬遼太郎、山田風太郎といった作家がいる。

 五年前に亡くなったわたしの父は一九四一年十月生まれ。生きていれば、今年八十歳だったのだなと……。
 ちなみにわたしは先月五十二歳になった。三十年前は二十二歳だった。後にバブルといわれる時代だが、風呂なしアパートに住み、古本屋で第三の新人と「荒地」の詩人の本を買い漁っていた。
 戦後の平和主義教育を受けてきたせいか、戦中派作家の回想を読んで戦争観が大きく変わった。

 鮎川信夫著『すこぶる愉快な絶望』(思潮社、一九八七年)の菅谷規矩雄との対談「〈戦争〉と〈革命〉が終わった時代へ」では、戦中、小学生や中学生で空襲に怯え、ひもじいおもいをした世代と軍隊にいた自分たちとは戦争にたいする感覚がちがうといった話になり——。

《鮎川 (略)軍隊だけは食い物の心配もせずにたらふく食えるし、それに軍隊は攻撃する立場だから敵襲というものに対する感覚がすでに違う。つまり内地なんかの一方的にやられて逃げまどう立場と較べて、こっちもやってるんだから襲って来るのが当り前だというくらいの受け止め方なんです。そういうかなりな違いというのがある。同じように、戦争体験だけでなく占領体験でも、どのくらいの年齢だったとか、どこに住んでいたかということでも相当違うんです。
 菅谷 そうですよね。占領軍の基地の周辺に住んでいた人もいれば、占領軍の兵隊と一度も顔を突き合わせることのないまま、占領時代が終ってしまう人もいたでしょうね》

 いつどこに生まれ育ったか。自分の生まれた時代、場所のちがいで感覚も風景も変わる。当たり前といえばそうなのだが、すくなくとも二十歳前後のわたしはそうおもっていなかった。もっと単純に考えていた。家や仕事を失った人もいれば、何も失わず無事切り抜けた人もいる。同じ軍隊にいても将校と歩兵ではちがう。

 そういうことは戦時中にかぎらず、あらゆる時代にも当てはまるだろう。今のコロナ禍にしても、学生と社会人、都市と地方——生まれた時代、どこに住んでいるかで経験が変わる。それがどんなふうに歴史にまとめられていくのか、ちょっと興味深い。