2023/08/04

田子の浦

 木曜神保町。『星新一展 資料編』(世田谷文学館、二〇一〇年)を七百円(ただし文学館のハンコ付)。先週の『永田耕衣展』に続き、二週連続でほしかった文学展パンフを入手することができ、大満足である。そのあとM出版のMさんに会い、『星新一展』のパンフを自慢すると「このときの世田谷文学館行きました」といわれる。

 今週は晴れの日一万歩をクリアしている。

 話は変わって前回の『日本古典文学紀行』の「火の山富士と田児の浦」(高橋良雄)の続き。高橋良雄は歌枕の研究で有名な人である。しかし古典の研究書、読みたい本がことごとく一万円くらいする。我が道は雑本にありと腹を括る。

 《上古代の田児の浦あたりの東海道は、後に難所の一つとされるようになった薩埵峠を越える山道ではなく、興津・由比・蒲原あたりは、駿河湾沿いの道であり、それは海岸にせり出していた山裾を通る「親不知子不知(おやしらずこしらず)」のような険しい海沿いの難所の道であった》

 田子の浦はJR東海道本線でいえば吉原駅のあたり。富士山の山頂から海に向かってほぼ南に位置する。薩埵峠は由比、興津の間の峠である。

「火の山富士と田児の浦」では「田児の浦ゆ打出て見れば」の歌について薩埵峠のある海岸沿いの難所は船で通過したのではないかと……。

 さらに「『更級日記』にも『田子の浦は、浪高くて、船に漕ぎめぐる』とあるのは、舟遊びなどではなく、難所の海沿いの道を船で通過したことを記すのであろう」と論じている。

『日本古典文学紀行』の「火の山富士と田児の浦」を読むまで『更級日記』の作者は上総から京までひたすら陸路を移動したとおもっていた。街道のことばかり考えていたせいで海のことをすっかり忘れていた。

 山(峠)を行くか海を行くか。田子の浦のすこし先には富士川もある。
 富士川は船で渡るしかない。とすれば、田子の浦から薩埵峠の先まで一気に駿河湾を船で移動していたとしてもおかしくない。

 海の移動か。今後の課題としておこう。