ここ数日、日課の散歩(晴れの日一万歩、雨の日五千歩)は目標歩数に達しない日が続いている。急に暖かくなったせいか、やや夏バテ気味。継続は力というが、時々休んだほうが長続きする——という考え方もある。
今、所持しているデジタル万歩計は午前三時に歩数のカウントが切り替わる。
朝寝昼起のわたしはだいたいその時間は起きている。
午前三時前——ちょくちょく目標の歩数のために散歩していたのだが、その時間に歩くと頭がさえてしまい、眠れなくなる。日課の散歩をはじめたのは、よりよい睡眠のためであるから、これでは本末転倒である。
前の日おもうように歩けなかったら、次の日、その分多めに歩いて足して二で割る方式も試みた。せっかくの気分転換の散歩にもかかわらず、昨日を引きずっている感じがしてやめた。
部屋でごろごろしながら、山本容朗著『東京近郊ぶらり文学散歩』(文藝春秋、一九九四年)を読む。同書「水の郷へ、今昔旅模様 土浦」に高田保の名前が出てくる。高田保は一八九五(明治二十八)年土浦生まれ。山本容朗はこの本の中で旧水戸街道を何度か歩いている。土浦は水戸街道の宿場町だった。
同エッセイには尾崎一雄の名前も出てくる。
《尾崎一雄には「土浦行」という短篇がある。これはこの作家が早稲田大学時代に一方ならず世話になった山口剛先生の三十三回忌の法会のため、土浦に行く話で、昭和四十年一月の『小説新潮』に発表された》
尾崎一雄「土浦行」は『随想集 四角な机・丸い机』(新潮社、一九七四年)に所収。
山本容朗は文壇ゴシップの書き手として知られるが、紀行エッセイも素晴らしい。
同書「ラーメンの町・荻窪を歩く」では、井伏鱒二の『荻窪風土記』に出てくる蕎麦屋の話にふれつつ、こんな一文を書いている。
《私は丸ノ内線・東高円寺駅から徒歩五、六分の場所に住んでいるので、地下鉄に乗ってよく行った》
以前、このブログで山本容朗は中野桃園町の住人と書いたことがある。東高円寺駅は杉並区と中野区の区境が近い。
《荻窪はラーメンの町だが、有名な「春木屋」や「丸福」を避け、「丸信」という店へいく》
同エッセイの初出は「食の文学館」(一九九一年八月号)。
山本容朗は一九三〇年四月生まれ。還暦すぎの随筆である。当時、井伏鱒二は生きていた(一九九三年七月没)。
わたしは「荻窪らーめん はなや」が好きだった。昨年八月閉店した。以来、荻窪でラーメンを食べていない。