2019/04/13

電車の話

 水曜日、神保町帰り。雨。寒い日。地下鉄に乗っていたら、男性(たぶん五十代前半くらい)が乗ってきた。しばらくすると男性はびしょ濡れの折り畳み傘を網棚の上に置いた。網棚の下に座っていた女性の服や鞄にポタポタと水滴が落ちてくる。女性は茫然としていた。男性はすぐ傘を網棚から降ろしたが、一言も詫びず、その場を立ち去った。

 男性はたまたまうっかり濡れた傘を網棚に置いてしまったという可能性もある。水滴が落ちたことに気づいて、すぐ逃げたということは、たぶん悪気はなかったのだろう。
 水滴の被害の女性は黙って濡れた鞄を拭いていた。
 もし自分が濡れた傘の下に座っていて古本を読んでいて本の上に水滴が落ちてきたら……と考えたら平静を保つ自信がない。かといって、追いかけて文句をいうこともしないかもしれない。自分が被害者ではないが、もやもやする。

 話はズレるが、満員電車でリュックなどを前に持ったり足元に置いたりするというマナーはそれなりに浸透した。それでもかなり混んでいる電車の中でもリュックを背負った人は一定数見かける。
 すこし前、夕方、満員の中央線で山登り帰りとおもわれるおじさんがデカいリュックを背負ったまま乗ってきた。電車が揺れるたびにまわりの人にリュックが当たる。周囲の人はリュックを押し返したり、小声で「なんだよ」と呟いたりしていた。
 それでもリュックおじさんは平然としている。強心臓というか鈍感というか。こういう人は満員電車でリュックを背負ったままだと邪魔とおもわれることに、どのタイミングで気づくのか。それとも気づかず一生を終えるのか。

 あと電車の中でイヤホンで音楽か何かを聴きながら、咳払いをくりかえす人がいる。自分は周囲の音を遮断し、まわりに不快な音を聴かせるという行為はずるい気がする。

2019/04/08

怠惰の技法

 日曜日、哲学堂公園に散歩。中野から新井薬師を通り、満開の桜を堪能する。哲学堂、久しぶりに行ったのだが、高低差があって面白い公園だ。花見客もほどよいかんじでのんびりできた。
 帰りは沼袋の氷川神社を通り、野方方面に歩いて高円寺に帰った。

◎今月、香川県高松市の本屋ルヌガンガで『古書古書話』(本の雑誌社)と『些末事研究』第四号の刊行記念の「怠惰の技法 創作の技法」というイベントを開催します。

日時 :4月21日(日) 19:30 – 21:00
場所 :高松市「本屋ルヌガンガ」 〒760-0050 香川県高松市亀井町11−13
参加費:1500円(1ドリンク付) 
定員 :30名

『些末事研究』は創刊号から座談会に参加していて、仕事や生活のことなどを喋ってきた。今回のトークショーのテーマの「怠惰の技法 創作の技法」となっているが、わたしは常々、怠けたり、休んだりしないと仕事もうまくいかないとおもっていて、その考えが正しいと主張するつもりはないが、「労働時間の長さ」だけが評価される世の中はちょっと変だよなと……。

 わたしは就職したことはないが、一時期、一つの職場に長時間拘束されて、家に帰って寝るだけの生活を送ったことはある。疲れてミスをくりかえし、本を探す時間も読む時間もなく、人とも会う時間もなく、旅行もできず、やることなすことうまくいかなかった。
 自分がフリーランスという働き方を選んだのも時間がほしかったというのが大きな理由だ。

 何か企画を考えようとおもったら、一人の時間は必要だとおもうし、遊ばないとおもしろい(とおもう)ことが浮んでこない。自由業の場合も雑務はたくさんある。手を動かす時間だけでなく、いろいろなことを調べたり、考えたりする時間も必要だ。
 さらにいうと目先の仕事と関係ないことをする時間もほしい。そういう時間がないと次の仕事につながらない。

 仕事はいわゆる適性——向き不向きを重視したほうがいい。
 陸上でいえば、短距離と長距離でそれぞれ得意なタイプが分かれるように、仕事のやり方もそういうところがある。
 週五日コンスタントに働くことが合っている人もいれば、週三日くらい集中して働いて後はだらだらしたほうがいいという人もいるだろう。
 共同作業が得意な人、一人でこつこつ働くのが得意な人もいる。
 一日の労働時間にしても短距離型の人はけっこういるはずだ。わたしは三十分おきくらいに休憩しながら働くのが好きだ。

 どんな話をするかはまだ決めてないが、四十代で東京から高松に移住し、半農生活を送っている福田さんの話もいろいろ聞いてみたいと……。

2019/04/04

ヒップとスクエア

 三月末、豊橋まで新幹線、あとは青春18きっぷであちこち寄りながら、京都へ。ホホホ座で橋本倫史さんの『ドライブイン探訪』(筑摩書房)のトークショー。
 本も素晴らしいが、取材の仕方もおもしろい。
 今、多くのライターは取材費に困っている。取材費を稼ぐために仕事をしているようなところがある。取材すればするほど赤字になる。
 トークショーのあと扉野良人さん宅に泊めてもらい(『些末事研究』の福田賢治さんもいっしょ)、翌日、メリーゴーランド京都店の古本市に寄り、三重に帰省する。

 途中、近鉄の青山町駅で途中下車し、初瀬街道を歩いたのだが、泣きたくなるほど寒かった。気温五、六度。しかも快晴の空が一転して雨。山の天気は目まぐるしく変わる。
 ここのところ、街道歩きは雨ばかりだ。
 郷里の家に二泊し、青春18きっぷで東京に帰る。

 旅行中も植草甚一の「ヒップ」と「スクエア」の問題を考え続けた。

《なにか楽しいゲームをやりましょう。仲間に入れてあげるけどルールはちゃんとまもっておくれ。そうしないとヒドイ目にあうぞ。これがスクエアの世界であって、みんながビクビクしながらリーダーのいいなりになっている。そこから制度が生まれ、政府や教会や保険会社や電話局ができあがった。そしてそういういろいろな施設がスクエアを保護し、そのなかで彼らは生活をエンジョイしている。
 だからヒップのほうでは、なんというつまらない生活だろう、と考えるようになるのだ》

「サブカル」と略される以前のサブカルチャーは、政治におけるスタンスだけでなく「世俗に染まらない」「多数派の価値観に順応しない」というスタンスもあった。
「ヒップ」は、ヒッピー、ヒップホップの語源でもある。

 今は「ヒップ」と「スクエア」といった対立軸そのものが曖昧になっている。「スクエア」の一員として安定した生活を送り、「ヒップ」なカルチャーを消費するのが「クール」……というのが皮肉にならないくらい時代風潮は変わってしまった。