2023/02/16

中休み

 雪が降ったかとおもえば、最高気温十七度になって、またここのところ寒い日が続いて……しんどい。でもなんとなく春が近づいている気がする。最近、メールの返信がとどこおりなくできるときは調子がいいことがわかった。

 土曜日、西部古書会館。積ん読本が増えていく。書こうとおもっていたことも書かないまま霧散していく。古書会館、完全にコロナ禍前の雰囲気に戻った。初日の午前中に行ったら、いつも入口のところにあるカゴがなくなっていた(※カゴがなくなるくらい盛況だったという意味です)。しばらく散歩して昼すぎにもう一度行く。『波』(新潮社)の臨時増刊号「新潮現代文学読本」(一九七八年八月)など。

『波』の臨時増刊号、丸谷才一「文学全集の話」を読む。ここで筑摩版「現代日本文学全集」にふれている。

《文壇型全集といふことも説明したほうがいいかもしれません。それはつまり、文壇の評価を極度に重んじてゐるといふことですね。その好例としては、正宗白鳥が二巻も占めてゐるといふことがある。谷崎潤一郎が二巻。これなら当り前です。読者の人気もよく、文壇の評価も高まつてゐた。しかし白鳥のものなど、一般読者にとつてどんな意味がありますか》

 この全集は臼井吉見が総指揮の形で作られた。丸谷才一も「臼井さんは狭義の文壇人ではかならずしもなかった」ので「柳田国男に一巻、折口信夫(釈迢空)にも一巻なんて、そんな途方もない文学全集を編むことができたのです」と筑摩の全集を称賛している。

 臼井吉見は旧制中学時代に雑誌で正宗白鳥の短篇を読み、それから文学に傾倒するようになったという話をくりかえし書いている。全集に白鳥が二巻はどうかなという気もしないではないが、臼井吉見にとって、そのくらい白鳥は特別な作家だった。まだ自分の進路が定まっていない、この先どう生きていくかわからない時期に読んだのも大きいだろう。

 日本で新型コロナウイルスの最初の感染者のニュースが流れたのが二〇二〇年一月中旬——三年ちょっと。その日の感染者数を伝える報道も気にならなくなった(ずいぶん前からだけど)。高円寺の夜のにぎわいもコロナ禍前に戻った。

 マスクはコロナ対策というより、防寒対策で今はしている。

 今月末(二月二十八日)で東京メトロの回数券の販売が終了する。わたしは十二枚つづりの時差回数券(二百円区間)を利用していた。神保町に行くとき、時差回数券は東京メトロ東西線の中野駅から九段下駅までのルートでよくつかう。高円寺駅からだとJR中央線で御茶ノ水駅というルートが早いのだが、時差回数券をつかうと片道五十円くらい安い。九段下から神保町の間にも古本屋がけっこうあるので何軒か回れる。
 たかが五十円とはいえ往復すれば百円、均一の文庫一冊分である。そんな小さな節約が本代珈琲代飲み代になる。もっと働けよという意見にたいしてはごもっともと受け止めたい。

2023/02/09

天徳温泉

 晴れの日一万歩雨の日五千歩の日課は、天気関係なく一日五千歩にしていたのだが、三月になったら元に戻そうとおもっている。今も平均すると一日八千歩(室内は計測せず)くらい歩いている。
 歩くこともそうだが、外出時間を増やすのは精神衛生によい。よく眠れる。

 杉並郷土博物館の『中西悟堂生誕120年』のパンフレットを見ていたら、交遊関係のところに石川三四郎、辻潤、新居格の名前があった(他にも詩人、作家の名前は多数あり)。
 一九三四年三月十一日、中西悟堂は「日本の野鳥の会」を創設した。第一回の探鳥会に中村星湖も参加していたことを知る。中村星湖は釣りの本も書いている(未入手)。一八八四年山梨県南都留郡河口村(現・富士河口湖町)生まれ。筆名に「湖」の字を付けたのは河口湖の近くで生まれたからだろうか。

 中西悟堂は古本屋でよく見かけたが、ほとんど野鳥関係の本だったので手にとらなかった。金沢出身ということもこのパンフレットで知った。一八九五年生まれ、亡くなったのは一九八四年。享年八十九。

 悟堂の『野鳥と共に』(巣林書房)は一九三五年刊。パンフレットには徳富猪一郎(蘇峰)が同書を日日新聞(後の毎日新聞)の「日日論壇」で絶讃したことがきっかけでベストセラーになった——と記されている。

 悟堂が井荻町に居を移したのは一九三〇年前後、それまでは千歳村烏山(現・世田谷区)にいた。
 井荻に引っ越した理由は天徳温泉(その後、天徳湯に改名。二〇一七年七月廃業)があったから。天徳温泉は東京女子大のすぐ近所にあった。

《烏山の住居には風呂がなく、悟堂は、春から夏にかけては、井戸の水をかぶるか、近くの小川で体を洗い、秋から冬にかけては銭湯へ通っていた》

 烏山から西荻の天徳温泉までは約八キロあったが、悟堂はこの銭湯が気にいり、何度となく訪れたらしい。おそらく徒歩で通っていた。

 九十年ちょっと前の話だが、悟堂は三十代半ば——当時、彼は無一物の生活を自らに課していた。烏山の住民が悟堂のような暮らしぶりだったわけではない。

2023/02/05

武蔵野

 このところ、仕事三、掃除七くらいの日々。やはり、本や資料を右から左に動かしているだけでは片づかない。解決策はものを減らすしかない。それがむずかしいわけだが。

 月曜午後三時すぎ三鷹へ。前日飲みすぎて二日酔いになるかと危惧していたが、楽しい酒だったおかげか、おもいのほか体が軽い。酒の席で、途中、何度となく固有名詞がおもいだせない問題が発生した。「志賀直哉の弟子で将棋と釣りが好きな……」といいかけ、瀧井孝作の名前が出てこなかった。

 三鷹のりんてん舎と水中書店、そのあと吉祥寺まで歩いて古書防波堤に行く。
 りんてん舎、きだみのる著『初めに部落ありき』(レインボウブックス、一九六五年)を買う。カバーの装画、本文のカットは秋野卓美。秋野は梅崎春生の小説にしょっちゅう登場する風変わりな画家である。

 水中書店で『中西悟堂生誕120年 野鳥の父、中西悟堂をめぐる人々』(杉並郷土博物館、二〇一五年)。悟堂は井荻町(善福寺池の近く)に暮らしていた。
 他にもなかなか見ることのできない詩集を何冊か手にとる。ふと今年田村隆一生誕百年だったことをおもいだす。一九二三年三月十八日生まれ。関東大震災の年、大杉栄、伊藤野枝、橘宗一少年百周忌でもある。

 三鷹から吉祥寺までの道は歩いていて楽しい。中町通りはひさしぶり。ずいぶん雰囲気が変わった気がする。

 吉祥寺の防波堤は地図なしで行けるかどうかちょっと不安だったが、無事辿り着けた。横田順彌著『SF事典 異次元世界の扉を開く』(広済堂ブックス、一九七七年)など。「史上最短のSF」は「時間は終わった。昨日で」(ロジャー・ディーリー作)とのこと。

 そのあと吉祥寺の七階建てのユニクロにはじめて入る。長袖ベージュのヒートテックがほしかったのだが、なかった。