2023/07/28

夏の土

 水曜昼すぎ猛暑の神保町を歩く。悠久堂書店で『虚空に遊ぶ 俳人 永田耕衣の世界』(姫路文学館、一九九六年)。千五百円。
 姫路文学館のパンフレットはなかなか見かけない。長年、文学展パンフは五百円以下というルールを自分に課していたのだが、五十歳以降はやめた。さすがに五百円縛りは厳しい。もちろん今までもどうしても欲しいものは五百円以上で買うこともあった。

 永田耕衣は一九〇〇年二月兵庫県加古川生まれ。九七年八月二十五日没。『永田耕衣の世界』展の開催時は健在だった。晩年は神戸の須磨に住んでいた。数日前、別件(街道関係)で須磨のことを調べていたばかり。

 神田伯剌西爾でアイスコーヒーを飲みながら永田耕衣展の図録を見ていたら大町桂月(一八六九〜一九二五)に関する頁があった。

《高等小学校のころ、私は大町桂月主幹の「学生」といふ雑誌を愛読してゐた》 

 パンフレットには『桂月百話』(教文社、一九二六年)の書影も掲載されている。

 若き日の福原麟太郎も大町桂月の熱心な読者だった。先日、買った随想全集(福武書店)の年譜(明治四十年 十三歳)にも「徳冨蘆花、大町桂月、北原白秋などを愛読す」とある。大町桂月は「中野あるき」という散歩エッセイも書いている(青空文庫にあり)。

「あんぱんを落として見るや夏の土」という耕衣の句を知る。

 本の雑誌社に寄って帰りは九段下駅から地下鉄で中野駅——北口の中野セントラルパークを通って帰宅する。

2023/07/23

文化とは

 土曜日曜、西部古書会館。土曜は『夕暮・牧水と自然主義歌人展』(日本現代詩歌文学館、一九九五年)、『伊藤信吉生誕100年記念展』(前橋文学館、二〇〇六年)など、文学展パンフを買う。
 夕方六時ごろ、大和町八幡神社の大盆踊り会を見に行く。ものすごい人だかり。参道は前に進めず、裏の幼稚園のほうに回る。歩いている途中でスーダラ節が耳に入ってくる。それから函館いか踊り。噂には聞いていたが、はじめて見た(ちょっと踊る)。子どもたちが楽しそうだった。いい祭りだ。
 大和町八幡神社はしょっちゅう散歩で行く。住宅街に突如現われる小さな神社だけど、参道がある。参道には魚魂碑(釣魚の慰霊碑)もある。近くに妙正寺川が流れている。大和町の八幡神社は「やはた」、鷺ノ宮の八幡神社は「はちまん」と読む。ややこしい。

 日曜、西部古書会館、『福原麟太郎随想全集』(全八巻、福武書店、一九八二年)をバラで五冊(一冊百五十円)。随想全集は井伏鱒二、河盛好蔵、庄野潤三が編集している。八巻「日記・書簡」の月報で福田恆存が「福原先生」というエッセイを書いている。

 福原麟太郎の『メリー・イングランド』を一読した福田恆存はこんな感想を述べる。

《先生は英国に「勉強」しに行つたのではない、少くともそれが第一目的ではなく、それよりも先生は英国に「遊び」に行つたのだ》

《文化とはさういふものである。さうしなければ身に附かぬものである。眉間に皺の渋面と文化とは何の縁もない》

 昔、中国の古典で似た話を読んだ記憶がある。固く張った弦は切れやすいみたいな逸話だった。出典は忘れた。

2023/07/20

鈴鹿山

 二〇一四年春あたりからずっと同じメーカーのウォーキングシューズ(かかとの部分にエアクッションが入っている)を履き続けていた。ただし、ここのところ、最初に買ったころと比べて数千円値上がりしていたので、もうすこし安い靴も試してみようと別のメーカーのものを買ってみた。値段は半額。軽い。体重が足の裏全体に分散している感じがして楽だ。膝への負担感もない。

 しばらく新しい靴で歩きまわった後、前の靴を履いたらすごく重たく感じる。すでに違和感がある。人体は不思議である。

 福原麟太郎の『命なりけり』の流れで『西行全歌集』(岩波文庫、二〇一三年)をぱらぱら読んだ。西行、鈴鹿の歌もあることを知る。
「鈴鹿山憂き世をよそに振り捨てていかになり行くわが身なるらん」

「命なりけり」の歌は「西行法師集」のところにある。
「年たけて又越ゆべしと思きや命成りけり佐夜の中山」

 巻末の初句索引を見ていたら「秋来ぬと」の歌もある。
「秋来ぬと風にいはせて口なしの色染めむる女郎花かな」

 福原麟太郎の「秋来ぬと」は随筆の一行目に古今集の「秋来ぬと目にはさやかに見えねども、風の音にぞ驚かれぬる」を引いているので、西行の「秋来ぬと」からとった題ではない。
 街道歩きをはじめて以来、行く先々で西行と芭蕉の歌碑句碑を見かける。この二人は本からではなく、街道を通してなじみになった。芭蕉は西行の歩いた後をけっこうなぞっている。
 芭蕉にも鈴鹿山の句がある。
「ほっしんの初に越ゆる鈴鹿山」

 郷里にいたころ、わたしは西行や芭蕉にまったく興味がなかった。郷土文学や郷土史にたいする関心の高まりも老いのひとつのあらわれなのか。