2024/03/31

雑記

 二十九日金曜、昼すぎ雨が小降りになったので郵便局のち西部古書会館(初日は木曜)。『図録 いま見直す 有島武郎の軌跡』(ニセコ町有島記念館、一九九八年)など。有島図録、副題は「相互扶助(MUTUAL AID)」思想の形成とその実践——。

 夕方、妙正寺川まで散歩。(プロ野球の開幕戦もあるので)橋を渡ってすぐ家に帰るつもりで出かけたのだが、夕陽がきれいだったので西に向かって歩いているうちにマルエツ(中野若宮店)。金トビの名古屋きしめん(乾麺)を買う。

 三十日土曜、部屋の掃除をしながらヤクルト中日戦——延長十二回一対一の引き分け。
 夜、新中野散歩。桃園川の遊歩道から追分公園を通り、肉のハナマサへ。中野坂上のオリンピックに寄り、山手通りを歩いて東中野駅に向かう。山手通りは自転車と歩行者の道が分かれている(時々、歩道を走ってくる自転車もいる)。
 途中、疲れた顔で歩くヤクルトのユニフォーム姿の中年男性とすれちがう。たしかにしんどい試合だった。東中野駅で乗り降りするのは今年初。いつの間にかホームドアが設置されていた(昨年十二月十六日からだそうです)。総武線、何度か乗っているのに気づかなかった。

『老いての物語』(學藝書林)所収「気に入った本を楽しむために」の続き。(学者は)専門書だけでなく、読んでも読まなくてもいい本をたくさん読んだほうがいいとのこと。さらに京都で学生をしていたころの話——。

《私は丸太町通りの古本屋の棚には、どこの店にどんな本があるかすっかり覚え込んでしまったほどよく通いました》

 河盛好蔵は旅先の古本屋に寄るのが好きだった。わたしもたまに今はない古本屋の棚をおもいだすことがある。昔から人の顔をおぼえるのが苦手なのは、そういうところに記憶の容量をつかっているのかもしれない。

2024/03/27

春の雨

 火曜、昼二時すぎ起床。午後三時すぎ歯医者(三ヶ月に一度の検診。先週だったのだが、忘れてしまった)。
 夜七時ごろ、日課の散歩(晴れ一万歩、雨五千歩)。雨は弱くなっていたが、風が強い。南口のアーケード街から桃園川緑道を通り、阿佐ヶ谷まで。ガード下のOna casita(おなかすいた)でビビンバ(半額)、高円寺と阿佐ヶ谷の間のビッグ・エーで調味料を買う。雨の日の遊歩道は人が少なくて快適である。早歩きになる。帰りはガード下を通る。

 新しいパソコン(中古)で初仕事(書評)。書きながら各種機能をカスタマイズする。記号の出し方がまだ慣れない。

 先週土曜日、西部古書会館は河盛好蔵著『老いての物語』(學藝書林、一九九〇年)など。河盛好蔵は一九〇二年大阪生まれ。二〇〇〇年三月二十七日、九十七歳で亡くなった。井伏鱒二よりも長生きした。

《私は寝ころんで本を読むのが好きです。(中略)寝て読むのは、ただ漫然と読む時にそうするので、その方が頭によく入ります。どうも私の頭は横にした方がよくはたらくのではないかと思いますね》(「気に入った本を読むために」/同書)

 わたしも寝転んで本を読む派である。横になったほうが頭が働くかどうかはわからない。読んで得た知識なり技術なりを自分の体質気質に合わせて調整する作業は時間がかかる。頭の中だけでわかっていたつもりのことが、間違えたり失敗したりを繰り返しているうちに「あの本に書いてあったことはそういうことだったのか」と……。

 読んでも忘れてしまうことが多いのだけど、乱読のカケラみたいなものは頭のどこかに残っていて、ふとした瞬間、思い出す。今日はとくに思い出したことはなかった。

2024/03/23

移行中

 十年前に購入したノートパソコンを使い続けていたのだが、さすがにいろいろ不具合が生じてきたので、今週から新しい(中古)パソコンに移行中。メールの設定し、テキストエディタも新しいバージョンに変えた。言葉の変換がおもいどおりにならない。「L」で「ら行」が出なくなった。もどかしい。ユーザー辞書がまっさらな状態なので書くスピードが落ちる。
 キーボード馴らしをかねて高円寺の近況を書くことにする。
 集合住宅のポストに「高円寺マシタ」(中央線のガード下の飲食店街)の開業一周年のチラシが入っていた。もう一年になるのか。
 昨年の今ごろ、岡崎武志さんのユーチューブで高円寺を散歩した。ガード下は工事中だった。撮影のさい、都丸書店(支店)があった店舗の前で二人で話していたら「勝手に撮るな」と工事の人に怒られた。そんなこともあった。
 それからマクドナルド高円寺(駅前)店が三月二十七日に再オープンする。昨年の三月三十一日に閉店した。

 夜、飲み屋に行くさい、マクトナルドの前をよく通る。たまに飲み屋で知り合った若者が歌っているときがある。わたしが高円寺に引っ越してきたのは一九八九年の秋——そのころからマクドナルドはあった。
 高円寺に移り住んで以来、行きつけの喫茶店が次々と閉店した。グッディグッディ、ちびくろサンボ、ボニー、琥珀……。古本屋も減った。琥珀、居心地よかった。

 食事はほぼ自炊なのだが、飲食店では北中通りの味二番、かきちゃん、いつまで営業していたのか。中通りの萬里(北口の別の場所から移転)も好きだった。閉店のとき、皿を何枚かもらった。日々、忘れながら生きている。時々、思い出す。

 この町で暮らす。そのために生きる。それでいい。二十代後半、仕事があったりなかったりして、かつかつの日々を送っていたころ、そうおもうことにした。それから四半世紀過ぎた。

 月日が経つのは早い。五十の坂を越え、急いでもしょうがないという気持が強くなった。日常をのんびり楽しみたい。それでいい。