2012/06/22

放電と充電

……神保町を歩いていて、足がふらつく。ひさしぶりの貧血だ。原因はたぶん酒の飲みすぎ。うどんと雑炊ばっかり食っていたせいもあるかもしれない。
 高円寺駅を降りてすぐ焼鳥屋でレバー三本、ハツ三本買う。寝て起きたら、ずいぶん楽になった。

 先日の古書展で買った本に、野村克也著『背番号なき現役 私のルール十八章』(講談社、一九八一年刊)がある。

 四十五歳で現役を引退した後に刊行された本なのだけど、あとがきを読んで考えさせられる。

《現役時代は、「放電」(試合出場)のために、はっきりした「充電」(練習)の場がありました。背広を着つづけることになったいま、「充電」することのむずかしさを、かみしめている次第です。「本を読む」「人の話をよく聞く」——それもひとつの「充電」ですが、それだけでは「放電する量」に追いつけそうにありません。
 その格差が広がれば広がるほど、かつての経験を“切り売り”するという結果になってしまいます》

 現役のころの野村克也は、プロ野球選手としての素質ではさまざまなスター選手より劣っていた、不器用だったと告白している(謙遜も多少あるとおもう)。
 たとえば、速球を待ちながら、変化球に対応するようなバッティングができなかった。その分、ピッチャーの癖を探したり、配球を読んだりする努力をした。

 さらに三十八歳のときに禁酒もした。それでも体力は徐々に落ちる。

《体力アップは無理でした。下降線を、どれだけゆるやかなカーブにするかというテーマと、取り組んでいたのです》

 体力が落ちた。
 酒も残る。
 本を読んでいても集中力が持続しない。

 ここ数年、ちゃんと「充電」ができていない。
 じっとしているより、迷走するくらいのほうがいい気もするが、どうなるかはまだ見えてこない。