五月十五日(金)、午前中、西部古書会館。『別冊太陽 パノラマ地図の世界』(平凡社、二〇〇三年)を買う。五百円。近所の図書館にもあり、数回借りていた。
現物を何度か手にとっていると、見つけやすくなる。別冊太陽は二〇〇二年に『吉田初三郎のパノラマ地図』を刊行している。
この日、コタツ布団を洗濯する。翌日、押入にしまう。コタツ布団と入れ替えで扇風機を出す。
夜、中野散歩。桃園川緑道を通り、駅の北口に向かい、ブックファースト中野店のちヨークフーズ。四季の森公園を通って高円寺に帰る。この散歩コースも定番になっている。
……前回の続き。二〇二〇年六月五日の当ブログ「中野桃園町」で山本容朗著『作家の生態学(エコロジー)』(文春文庫、一九八五年)所収「野坂昭如」の次の箇所を引用した。
《丸谷才一も、野坂人脈には、欠くことが出来ない。なにしろ、野坂の旧制新潟高校の先輩で、その上、結婚式の仲人である。丸谷は、今、目黒のマンションにいるが、その前、中野にいた。目と鼻の先に住んでいた私は、時々遊びにいった》
わたしはかつて丸谷才一がいた「中野」の「目と鼻の先」に山本容朗も住んでいたと知り、引用箇所の「中野」を中野桃園町と勘違いした。丸谷才一に「中野桃園町」(『低空飛行』新潮文庫、一九八〇年/単行本は一九七七年)というエッセイがあり、その印象が強かったからだろう。
丸谷は一九六七年ごろ、中野桃園町から丸ノ内線の新中野駅が最寄りの十貫坂の近くのマンションに移り住んでいる。
《数年前、杉並と中野の境のところにあるアパートに引っ越した》(「十貫坂にて」/丸谷才一著『低空飛行』)
山本容朗著『東京近郊ぶらり文学散歩』(文藝春秋、一九九四年)には「ラーメンの町・荻窪を歩く」で「東高円寺駅から徒歩五、六分の場所に住んでいる」とある。
この部分を読み、山本容朗の住まいは桃園町ではなく、十貫坂の周辺かもしれないとおもったわけだ。
作家がいつ・どこに住んでいたかという問題はややこしい(引っ越し回数が多い人はとくに)。
中野桃園町が中野三丁目などの地名に変わったのは一九六六年十月。かれこれ六十年前である。
わたしが高円寺に引っ越してきたのは一九八九年秋——以来、数えきれないくらい中野駅の周辺を歩いているが、十貫坂などがある青梅街道の南のほうは不案内だった。
東京メトロ丸ノ内線の東高円寺駅〜新中野駅あたりをちょくちょく散策するようになったのは二〇二一年以降である。
故人の評論家がどこに住んでいたか——たぶん些細な問題だろう。昔読んだ本を再読すると、地理と時系列(年代)を読み間違えていることが多い。読書の癖を自覚していてもしょっちゅう間違える。
昨日、『作家の生態学(エコロジー)』が行方不明になっていて、半日くらい部屋を探し回った。買い直すかどうか検討していたら見つかった。
《私は、作家の随筆、紀行文など、所謂、雑文のたぐいを読むのが好きだ》
——『作家の生態学(エコロジー)』の表題になっているエッセイにあった言葉。この一文は初読のときから記憶に残っている。自分もまったく同じだとおもったからだ。
そして「雑文の名手といったら、まず、私は吉行淳之介さんと、山口(瞳)さんをあげたい」と書いている。これも共感した。
とくに山口瞳の『酒呑みの自己弁護』(新潮文庫、一九七九年/単行本は一九七三年)は山本容朗の「大事な本」だった。
《自宅と仕事部屋に書籍が分散しているせいか、この『酒呑みの自己弁護』は、探せば単行本を含めると、同じ本が五、六冊あるのじゃないか》
初出は一九八四年ごろ。山本容朗は五十四歳。本が見つからないと買って、そして増える。
『作家の生態学(エコロジー)』は過去の単行本『文壇百話 ここだけの話』(潮出版社、一九七八年)、『現代作家 その世界』(翠楊社、一九七二年、みき書房の増補版あり)などに収録した文章を再編集した文庫である。ひさしぶりの再読だが、面白い。この先も何度か読み返す本になるだろう。