急に涼しくなる。肩がこる。気温の変化にからだがなじまない。毎日、睡眠時間がズレる。季節の変わり目にはよくある。
というわけで、睡眠と休息を優先した生活を送っている。
体力がないという自覚は子どものころからあった。
仕事を選ぶときも、そんなに稼げなくてもいい。時間さえあれば、自炊もできるし、電車に乗らずに歩けばいいから、お金もつかわなくてすむ。からだが楽なほうがいいとおもっていた。
そのせいか「若さがない」「やる気がない」「世の中をなめている」とよく怒られた。
今はそういうことをあまりいわれなくなった。十年、二十年と続けていれば、周囲の人が何といおうが、自分のやり方は自分に合っていたといえる。
疲れてくると判断が鈍る。同じ仕事量でも自分のペースでやるのとそうでないのとでは疲れ方がちがう。自分の時間が管理されるのはストレスになる。
疲れたらすぐ横になる。怠けながらのほうが、ずっと机に向かい続けるよりも仕事がはかどる。もちろん、こうしたやり方は共同作業には向かない。
働き方の選択肢はいろいろあっていいとおもうし、会社勤めよりフリーランスのほうが向いている人もいる(当然、逆も)。
仮に安定した職に就いていても不安になる人はなる。会社が倒産したり、リストラにあったりする可能性もある。何をやっていたとしても十年後、二十年後のことなんかわからない。
だから就職しなくてもいいという話ではないので誤解しないように。
仕事には向き不向きがある。自分が何に向いているかは時間をかけないとわからないが、不向きなことはすぐわかる。むしろ苦手なことがはっきりしている人のほうが、決断しやすい。
向き不向きの話はいずれまた。
2016/10/10
完璧の手前
先月、郷里に帰省したとき、四日市で途中下車して、ジャズフェスを観た。そのとき、もやもやしたというか、「これって何だろう」とおもったことがあった。
音楽における「うまい」「へた」と「おもしろい」「つまらない」は別だ。「うまいけど、早く終わらないかな」とおもってしまうバンドがあったり、一心不乱に演奏している高校の吹奏楽部のビッグバンドに心が揺さぶられたり……。
数日前、家に帰ってテレビをつけたら、「たけしのニッポンのミカタ!」がやっていた。途中から観たので、どういう流れでそういう話になったのかはわからないが、(芸は)完璧になると客は飽きるというようなことをいっていた。
ちょっと危なっかしくて観ているほうがハラハラするくらいのほうが客にウケる。その状態をビートたけしは「完璧の手前」と表現していた。
このことはあらゆる芸事に通じるかもしれない。
整いすぎたもの、おとなしくまとまったものには感情移入しにくい。ひっかかりがないと印象に残らない。ひっかかりは何かといえば、危なっかしさみたいなものだ。
「うまい」=「失敗が少ない」みたいな勘違いもある。
ミスを減らす方法はふたつある。ひとつは「ものすごく努力する」、もうひとつは「難しいことに挑戦しない」だ。
難しいことに挑戦しなければ、失敗は減らせる。一見、うまくなったような気がする。でもおもしろくなくなる。
それに「うまい」というのは、数ある評価軸のひとつでしかない。「かっこいい」とか「おもしろい」とか「勢いがある」とか「ノリがいい」とか「瑞々しい」とか「めちゃくちゃ」とか「珍しい」とか、いろいろな価値観があって「うまい」というのも、その一要素にすぎない。見る側にもそれぞれの好みがある。
そうしたいろいろな要素をぜんぶひっくるめた上で「技術」や「持ち味」が問われる。「完璧」が目標ではない世界がある。
わたしがもやもやしていたのは、音楽を聴いたり、本を読んだりしているときに「うまい」「へた」の評価をしてしまう自分の狭さ、堅苦しさだったのかもしれない。
音楽における「うまい」「へた」と「おもしろい」「つまらない」は別だ。「うまいけど、早く終わらないかな」とおもってしまうバンドがあったり、一心不乱に演奏している高校の吹奏楽部のビッグバンドに心が揺さぶられたり……。
数日前、家に帰ってテレビをつけたら、「たけしのニッポンのミカタ!」がやっていた。途中から観たので、どういう流れでそういう話になったのかはわからないが、(芸は)完璧になると客は飽きるというようなことをいっていた。
ちょっと危なっかしくて観ているほうがハラハラするくらいのほうが客にウケる。その状態をビートたけしは「完璧の手前」と表現していた。
このことはあらゆる芸事に通じるかもしれない。
整いすぎたもの、おとなしくまとまったものには感情移入しにくい。ひっかかりがないと印象に残らない。ひっかかりは何かといえば、危なっかしさみたいなものだ。
「うまい」=「失敗が少ない」みたいな勘違いもある。
ミスを減らす方法はふたつある。ひとつは「ものすごく努力する」、もうひとつは「難しいことに挑戦しない」だ。
難しいことに挑戦しなければ、失敗は減らせる。一見、うまくなったような気がする。でもおもしろくなくなる。
それに「うまい」というのは、数ある評価軸のひとつでしかない。「かっこいい」とか「おもしろい」とか「勢いがある」とか「ノリがいい」とか「瑞々しい」とか「めちゃくちゃ」とか「珍しい」とか、いろいろな価値観があって「うまい」というのも、その一要素にすぎない。見る側にもそれぞれの好みがある。
そうしたいろいろな要素をぜんぶひっくるめた上で「技術」や「持ち味」が問われる。「完璧」が目標ではない世界がある。
わたしがもやもやしていたのは、音楽を聴いたり、本を読んだりしているときに「うまい」「へた」の評価をしてしまう自分の狭さ、堅苦しさだったのかもしれない。
2016/10/05
気がつけば、十月
衣替えの準備はしているが、いまだ夏服ですごしている。涼しくない。というか、蒸し暑い。怠い。
二十代のころは、十月の中旬くらいにはコタツ布団を出していた記憶がある。
九月から生活リズムがおかしくなり、どうにか修正を試みているのだが、うまくいかない。先週買った古本が袋にいれっぱなしのまま、仕事に追われる日々。何を買ったかもう忘れた。さらにずっと前に買ったまま忘れていた本を今読んでいて、仕事がはかどらない。よくあることだが、何をやっているのかという気分になる。
部屋の掃除をしていたら、『編集会議』の二〇〇四年十二月号が出てきた。巻頭特集は「フリーライター大研究」。
パラパラと読んでいたら、大下英治さんの「『いずれ何かを書こう』と思っている程度では、自分の時間は作れない。書くテーマすら見つからないですね。そういう人は、毎日ゴールデン街で朝まで飲んで、酔っぱらって体を悪くして終わっていく」というコメントがあった。
フリーランスは勤勉でなくてはいけない。とはいえ、それだけではつまらない。人生の一時期、後からふりかえって笑えるていどの失敗を経験しておくことも必要かも……。仕事をせず、金がないのに毎晩飲み明かしていた日々がちょっと懐かしい。
二十代のころは、十月の中旬くらいにはコタツ布団を出していた記憶がある。
九月から生活リズムがおかしくなり、どうにか修正を試みているのだが、うまくいかない。先週買った古本が袋にいれっぱなしのまま、仕事に追われる日々。何を買ったかもう忘れた。さらにずっと前に買ったまま忘れていた本を今読んでいて、仕事がはかどらない。よくあることだが、何をやっているのかという気分になる。
部屋の掃除をしていたら、『編集会議』の二〇〇四年十二月号が出てきた。巻頭特集は「フリーライター大研究」。
パラパラと読んでいたら、大下英治さんの「『いずれ何かを書こう』と思っている程度では、自分の時間は作れない。書くテーマすら見つからないですね。そういう人は、毎日ゴールデン街で朝まで飲んで、酔っぱらって体を悪くして終わっていく」というコメントがあった。
フリーランスは勤勉でなくてはいけない。とはいえ、それだけではつまらない。人生の一時期、後からふりかえって笑えるていどの失敗を経験しておくことも必要かも……。仕事をせず、金がないのに毎晩飲み明かしていた日々がちょっと懐かしい。
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