2017/02/06

そして高岡、富山、新潟

 月曜日、朝八時前にすかっと目がさめる。基本、寝起きはわるい。とくに冬は。
 二十五年ぶりの金沢のあとは、高岡と新潟をまわって東京に帰ろうという計画を立てた。
 富山駅周辺も二十五年前に訪れている。高岡は藤子不二雄ファンとしては一度は行くべき町で……IRいしかわ鉄道で金沢から高岡へ。IRいしかわ鉄道の「IR」って何だろう。途中、倶利迦羅駅からあいの風とやま鉄道になる。源平合戦の倶利迦羅峠はこのへんだったのか。あと石動駅の石動は「いするぎ」と読むことを知る。

 高岡駅に着いて、高岡大仏と高岡古城公園をまわる。やっぱり、雨。高岡大仏は「日本三大大仏」のひとつということを知る。奈良と鎌倉の大仏は何度か行っているので、これで三大大仏制覇だ。ちなみに「日本三名園」の金沢の兼六園、岡山の後楽園、水戸の偕楽園のうち、偕楽園だけはまだ行ったことがない。
 高岡古城公園は雪が積もっていた。でもこの日は雨。
 高岡滞在は一時間半くらいだったが、観光地と商店街の密接感がよかった。古い建物も多い。わたしの郷里の三重でいうと、松坂城跡周辺と雰囲気が似ているとおもった(異論はあるかもしれない)。
 いちおう四十七都道府県はすべてまわっているのだが、まだまだ知らない素晴らしい町がある。

 高岡駅から富山駅へ。二十五年ぶりの北陸だけど、今回、いちばん驚いたのは、金沢から新潟まで直通で走っていた特急北越がなくなっていたこと。金沢のあと新潟に行こうとおもっていたのは、前に訪れたときは青春18きっぷで旅行したので、いちどは北越に乗りたいとおもっていたのだ。今、調べたら二〇一五年三月に廃止されたらしい。残念。

 それはさておき、富山駅に着いたら、どしゃ降り。駅前(駅ナカ?)のそば屋で白えびの天ぷらそばを食う。つゆが好みだった。富山−新潟間の電車を調べたら、最短時間で行けるのは、新幹線で上越妙高駅まで行って、そこから特急しらゆきに乗るのがベスト。予想外の出費だが、それ以外のルートだと五時間ちかくかかる。夕方までに新潟に行くには、それしかない。富山駅のみどりの窓口で切符を買う。
 それにしても、えちごトキめき鉄道というネーミングはどうなのか(あいの風とやまもどうなのか)。特急しらゆきは、上越妙高から直江津に出て、日本海側は走るのだが、柿崎から柏崎間が日本海近い。波が荒れていて、ちょっと怖い。柏崎からしばらくすると雪景色(途中、霰が降る)。田んぼが雪で覆われている。越後岩塚駅付近で車窓から丘の上にある神社が見える(後で調べたら宝徳山稲荷大社だった)。

 気がついたら、特急しらゆきの指定席はわたしひとりになっていた。自由席にすれば、よかった。

金沢の夜

 日曜日、金沢。大学時代、金沢は二回訪れているが(一回は取材)、いずれも名古屋経由で、東京から向かうのははじめて。北陸新幹線で二時間半。自分の中の日本地図の感覚が変わる。

 金沢駅に着いて食事していたら、雨が降りだす。コンビニで傘買う。
 駅前のビジネスホテルにチェックインして、オヨヨ書林に行って、香林房周辺を散策する。二十五年ぶりの金沢。記憶が薄れているのもあるが、町が様変わりした気がする。でも東京や大阪といった大都市から離れた場所にある町ならではのよさもある。なんとなく落ち着く。金沢のような町のよさは、若いころはわからなかった。

 犀川で8番ラーメンを食べる。

 そのあと近江町市場に戻り、メロメロポッチ。杉野清隆さんと世田谷ピンポンズのライブ。今回の金沢行きも、このライブを観るのが目的だった。それにしても、いい店。音楽好きが集まっているかんじが、店内に充満している。
 世田谷さんは今年初のライブだったそうだが、あいかわらず、声、素晴らしい。曲の前にいろいろ喋る。喋りと歌詞が重なったり、ズレていたりするのが、おもしろい。昔、好きだった子のことをネットで調べたら、結婚していることがわかって作ったという歌(うろおぼえ)が、すごくよかった。
 杉野さんは、はじめて観たときから、異様な完成度というか、これ以上、引くところがないくらい、ギリギリの音で歌を作っている。曲はしみじみとしているのに、一曲一曲緊張感がある。ギターの音の研ぎすまされ方も圧巻だった。
 この日が雨だったということもあるかもしれないが、世田谷さんも杉野さんも、雨の日の歌が多い……というのは発見だった。

 打ち上げにまぜてもらったのだが、お客さんもおもしろい人ばかり。世田谷さん評、杉野さん評、鋭い。たしかに、杉野さんの曲は、フォークだけど、ロックなのだ(フォークロックではない)。伝わらないかもしれないが、聴いたらわかるとおもう。

 帰り道、独自性と技巧——のバランスについて考える。杉野清隆さんは、今の日本のミュージシャンの中でもそのバランスにおいて最高峰といっても過言でない。地味だけど。独自性と技巧の両方が揃っているミュージシャンというのはほんとうに稀なのだ。
 そして道に迷う(なぜか駅を通り抜けてしまう)。熟睡。

2017/02/03

どちらも正しくない

 毎年、冬の底だなとおもう日がある。とにかく眠く、十時間以上寝る日が続く。夕方くらいに目が覚める。まだ寒い日は続くだろうが、すこしずつ春に近づく。
 一年通してずっと調子がよければいいのだが、なかなかそうはいかない。いろいろ試行錯誤した結果、だましだまし怠け怠け、冬をのりきるのが、いいのではないかとおもうようになった。
 とりあえず、からだを温かくして、からだによさそうなものばかり食べている。温野菜とか。

 わたしが私小説や身辺雑記、それもどちらかといえば、地味な作品が好きなのも、あまり変化や刺激を求めていないからだろう。たぶん、性格や気質も関係している。
 休日のすごし方にしても、なるべく人と会わず、部屋でごろごろしているのが好きだ(といっても、完全にひきこもりたいわけではない)。
 近所をすこし散歩して、古本屋を二、三軒のぞいて、喫茶店でコーヒーを飲む。
 旅先でも行動はほとんど変わらない。

 こうしたあまり変化を好まない気質は、当然、ものの考え方にも影響する。
 昔からそうだったわけではないが、徐々に、わたしは穏健主義者になっている。極端な変化を望まず、改良主義、修正主義でいいのではないかとおもうようになった。ただし、穏健主義は、そしてそれなりに安定した社会という土台があって成立する考え方でもある。
 たとえば、内戦や内乱の最中であれば、穏健主義の立場は守りたくても守れない。

 ジョージ・ミケシュの『ふだん着のアーサー・ケストラー』(小野寺健訳、晶文社)は、何度となく読み返している本だが、ミケシュとケストラーのふたりはハンガリー出身の亡命者という共通点はあるものの、性格は正反対。ミケシュは内気な皮肉屋で、ケストラーは気性が荒く、活発である。生涯、論争に明け暮れたケストラーにとって、唯一、喧嘩をしなかった友人はミケシュだけだ。
 それでもケストラーは、ミケシュを怒鳴りつけたことがあった。
 一九五六年のハンガリー動乱の夜、ケストラーはイートン・プレイス(ハンガリー公使館の所在地)の近くから、ミケシュに電話した。
「いっしょにハンガリー公使館の窓へ煉瓦を放りこんでくれ」
 ミケシュは「来いというんなら、むろん行くよ」と答えるが、内心、ケストラーの行動には意味がないとおもっている。
「ブタペストの街頭では、みんなが闘って死んでいるというのに、こっちはぬくぬくと眠っていろというのか」というケストラーにたいし、ミケシュは「ぬくぬくと眠るのをやめてみたって、みんなを助けることにはならない」と反論する。
「明日会って、もっと何か効果的なやりかたがないか相談しよう」というと、ケストラーは「また穏健主義者か、バカヤロウ!」と電話を切った。

 このエピソードが自分の記憶に深く残っているのは、わたしもミケシュのように考えがちだからだ。
「その行為に意味はあるのか? どんな効果があるのか?」
 そんなふうに考え、行動に移さないことが多い。
 ハンガリー動乱は六十年以上前の話だが、ケストラーとミケシュのふたりの対応というのは今にも通じる問題だろう。

 行きすぎた行動主義と何もしない穏健主義。ミケシュ流に考えると、どちらが正しくてどちらが間違っているかではなく、どちらも正しいとは限らない。どちらの選択肢も正しくないときに「第三の選択肢」を考えるのはすごく大切なことだ。でも、考えているだけだと「バカヤロウ!」といわれる。むずかしい。