2021/12/12

昼寝夕起

 金曜日、午前中から西部古書会館。毎年楽しみにしている歳末赤札古本市。木曜日が初日だったが、二日目も図録充実——けっこういい本(あくまでも自分の好み)があった。この日は早起きしたわけではなく、前日からずっと起きていた。
 古書会館で街道関係の図録や文学展のパンフレットを見ていると、同じ人の蔵書がまとまって出品されているのではないかとおもうことがよくある。郷土史料館の半券が同じ場所に貼ってあったり……。これだけ集めるのに何年くらいかかったのか。
 自分が集めている本や図録もいつかは手放すときがくる。古本屋に流れ、個人の蔵書は循環していく。生きているうちに読める本には限りがある。旅もそう。日本中の宿場町を歩いてみたいが、どう考えても時間が足りない。再訪したい場所をまわるだけでも道半ばで終わるだろう。
 古書会館から帰って寝る。起きたら夕方四時半。ひさしぶりに目が覚めた瞬間、朝か夕方かわからないかんじを味わう。
 三日連続、夕方に起きている。今日はこれから寝るのでたぶん夜起きる。

 先月、西部古書会館で柴田秀一郎著『バス停留所』(リトルモア、二〇一〇年)を買った。横長の変形本——素晴らしい写真集である(刊行時に気づけなかったのは不覚。十一年前はまだバスに興味がなかった)。全国各地の路線バスの停留所の写真(モノクロ)を見ているとたまらない気持になる。ほぼ見たことのない風景だけど、むしょうに懐かしい。時とともに価値が増す写真集かもしれない。わたしは写真をまったく撮らないのだが、こういう旅がしたいとおもった。
 柴田さんは一九六三年東京・杉並区生まれ。あとがきによると「サラリーマンと写真家の二足の草鞋を履いている」とある。

……ここまで書いて話が変わるが、田中敦子著『父のおじさん 作家・尾崎一雄と父の不思議な関係』(里文出版)という本が出た。「note」連載中から「すごいものを読まされている」と本になるのが待ち遠しかった。

 田中さんの父の一家と尾崎一家の縁を語りつつ、尾崎一雄の作品を紹介している。尾崎一雄の文学の奥深さだけでなく、その人間味まで田中さんの温かい文章から伝わってくる。尾崎一雄の小説の続きを読んでいるような気分になる。

 今、わたしは尾崎一雄の本(刊行は来年)を作っていて、『父のおじさん』と関係している作品も収録している。田中さんの父が結婚したとき、その仲人を尾崎一雄、松枝夫妻がした——という話が出てくる随筆である。

2021/12/07

危機回避

 月曜日午後三時、ある本を受け取るため、西荻窪へ。帰りは荻窪まで歩く。途中、ミニコープ、ワイズマートで食材と調味料を買う。たまに西荻〜荻窪間を歩く。「上荻本町通り(商店会)」という道がある。長年この通りの名を知らずにいた。

 ワイズマートで買物中、万歩計の電池が切れる(よくある)。鞄から予備の電池を出し、交換する。その日歩いた歩数が消える。

 すこし前にバーバラ・N・ホロウィッツ、キャスリン・バウアーズ著『WILDHOOD 野生の青年期 人間も動物も波乱を乗り越えおとなになる』(土屋晶子訳、白楊社)を読んだ。
 書店で立ち読みしていたら「フライフィッシングをする優しそうな男性も、それがたとえおじいちゃんでも、実際には、太古からの捕食者のだましのわざを駆使する熟練したハンターだといえる」とあり、購入を決めた。海外のノンフィクションを読んでいると、釣りの本以外でもフライフィッシングの話をちょくちょく見かける。

 警戒心の弱い大人になったばかりの魚のほうが擬似餌の標的になりやすい。たぶんそうなのだろう。捕食者から身を守り、安全に生きるための知恵をつけること。それが生物(動物)の成長にとっては欠かせない。
 人間の子どももそうだ。一切の危険から遠ざけて育てようとすれば、危機回避能力は身につかない。
 同書で印象に残ったのは次の一節である。

《ここで、特筆に値するのは、モルモットからオマキザルまで、青年期に仲間と荒っぽい取っ組み合いごっこをたくさんした者たちは、ほかの個体と出会ってもすぐに戦いを始めたりはしない点である。(中略)遊びを通して、動物の若者はダメージを受けずに、対立の折り合いのつけ方を試すことができる》

 この部分を読んでいるとき、色川武大著『うらおもて人生録』(新潮文庫)の「野良猫の兄弟——の章」をおもいだした。色川武大は野良猫のオスの兄弟を観察する。兄は「なかなか戦闘的で、なおかつ開放的」でよく懐いた。弟は「どうにもひっこみ思案」で警戒心が強く、なかなか人に近づこうとしない。

《はじめ、俺は、警戒心の強い臆病猫は生き残るんじゃないかと思った。積極的な猫は、危険なことにもたくさんぶつかるはずだからね。
 ところが、ちがうんだ》

 臆病な猫は長生きできず、積極果敢な人懐っこい猫は何年も元気に生きた。色川武大は「危険を避けているだけじゃ駄目なんだねえ」と書いている。この兄弟猫の件はたまたまそうだっただけかもしれないが、危険を避けてばかりでは安全に生きられない。

 人生にも通じる教訓のような気がする。

2021/12/04

戦中派のこと

 気がつけば十二月。金曜日、昼すぎ西部古書会館。平日開催だけど、けっこう混んでいた。『品川区史料(十一)品川の古道』(品川区教育委員会、一九九八年)、『鎌倉街道と中世のみち 狭山丘陵の中世』(東村山ふるさと歴史館、二〇一〇年)など。

 部屋の掃除中、田村隆一著『退屈無想庵』(新潮社、一九九三年)の「余命」をパラパラ読んでいたら、こんな記述があった。

《十二月四日(水) 晴 暖。
 真珠湾奇襲攻撃五十周年をひかえて、TVでは、しきりと当時の映像を送る。(中略)ぼくは、あのとき、ブッシュ大統領とおなじように大学生であり、ぼくは十八歳、ブッシュ老人は十七歳だったのだ》

 五十周年ということは一九九一年、三十年前になる。文中のブッシュ大統領は“パパ・ブッシュ”のほう。同随筆は『新潮45』の連載で、当時、田村隆一は六十八歳だった。このころは戦中派の詩人や作家で存命の人が多かった。田村隆一と同世代だと遠藤周作、吉行淳之介、司馬遼太郎、山田風太郎といった作家がいる。

 五年前に亡くなったわたしの父は一九四一年十月生まれ。生きていれば、今年八十歳だったのだなと……。
 ちなみにわたしは先月五十二歳になった。三十年前は二十二歳だった。後にバブルといわれる時代だが、風呂なしアパートに住み、古本屋で第三の新人と「荒地」の詩人の本を買い漁っていた。
 戦後の平和主義教育を受けてきたせいか、戦中派作家の回想を読んで戦争観が大きく変わった。

 鮎川信夫著『すこぶる愉快な絶望』(思潮社、一九八七年)の菅谷規矩雄との対談「〈戦争〉と〈革命〉が終わった時代へ」では、戦中、小学生や中学生で空襲に怯え、ひもじいおもいをした世代と軍隊にいた自分たちとは戦争にたいする感覚がちがうといった話になり——。

《鮎川 (略)軍隊だけは食い物の心配もせずにたらふく食えるし、それに軍隊は攻撃する立場だから敵襲というものに対する感覚がすでに違う。つまり内地なんかの一方的にやられて逃げまどう立場と較べて、こっちもやってるんだから襲って来るのが当り前だというくらいの受け止め方なんです。そういうかなりな違いというのがある。同じように、戦争体験だけでなく占領体験でも、どのくらいの年齢だったとか、どこに住んでいたかということでも相当違うんです。
 菅谷 そうですよね。占領軍の基地の周辺に住んでいた人もいれば、占領軍の兵隊と一度も顔を突き合わせることのないまま、占領時代が終ってしまう人もいたでしょうね》

 いつどこに生まれ育ったか。自分の生まれた時代、場所のちがいで感覚も風景も変わる。当たり前といえばそうなのだが、すくなくとも二十歳前後のわたしはそうおもっていなかった。もっと単純に考えていた。家や仕事を失った人もいれば、何も失わず無事切り抜けた人もいる。同じ軍隊にいても将校と歩兵ではちがう。

 そういうことは戦時中にかぎらず、あらゆる時代にも当てはまるだろう。今のコロナ禍にしても、学生と社会人、都市と地方——生まれた時代、どこに住んでいるかで経験が変わる。それがどんなふうに歴史にまとめられていくのか、ちょっと興味深い。