2021/03/12

雑誌の街道特集

 金曜日、西部古書会館。ひさしぶりに午前十時すぎに行く。今回も街道関係の資料が多かった。『旅』一九七六年十一月号。特集は「街道と宿場」。東京と三重県松阪を結ぶフジフェリーの広告があった。フェリーの名前はいせ丸としま丸だ。東京−松阪航路が廃止になったのはわたしが小学四年のときだから一九七九年。一度も乗ったことがない。復活は……むずかしいか。
 ネスカフェゴールドブレンドの広告は指揮者の岩城宏之が白いセーターを着ていて、乳首が透けている。

 このころ『旅』で富士正晴が「藪の中の旅」、開高健が「わがフォークロア」(対談)を連載していた。

『歴史と旅』(九七年五月増刊号)の特集は「古街道を探検する」。「東海道伊勢路五宿」は「石薬師、庄野、亀山、関、坂下」のこと。わたしの郷里近辺の宿場町のレポートだ。もともと東海道は四日市の次が亀山で鈴鹿市内の石薬師宿と庄野宿の二宿は新しくできた宿場町である。

《新参者の両宿には悩みがあった。なによりもまず、地の利が悪かった。当時、庶民の旅といえば伊勢参宮が多かった。東国からくる参詣者は、日永の追分から参宮街道に入り、西国からくる参詣者は、関宿から伊勢別街道を通ったからこの二宿はかすりもしない》

《村というには家並は多く、町というには少なすぎるいまの庄野に、通過駅としてのわびしさを重ねてみた》

 さらに補足すると、石薬師、庄野はJR関西本線なのだが、鈴鹿は近鉄沿線のほうが町が栄えている。県外からJRで来た人は、庄野宿に寄った後、バスで近鉄の平田町駅のほうに行けば、飲食店もあるし、ホテルもある。ただし観光の要素はなきに等しい。

 江戸方面から伊勢神宮に向かう人は日永の追分から伊勢参宮街道を歩く。鈴鹿でいえば、今も市役所などがある神戸(かんべ)を通った。もよりの駅は近鉄の鈴鹿市駅。こちらは古い寺社町で城跡が公園になっている。「東海道中膝栗毛」で弥次喜多が通ったのも神戸である。

 同誌には「東海道七里の渡し」(日下英之)という記事も。常々春から秋の土日祝だけでも熱田と桑名を結ぶ「七里の渡し」を復活させてほしいとおもっている。たぶん東海道観光の目玉になるだろう。