2021/03/07

理屈と感情

 久々にWEB本の雑誌の「街道文学館」を更新。昨年十一月の京都と三重の旅。

 この一週間、廣岡大志選手と田口麗斗選手のトレードの件で脳と心を酷使した。チーム事情からすれば、投手の補強のため、野手を出すのはやむをえないと理屈では納得しつつ、感情ではヤクルトのユニフォーム姿の廣岡選手が見れなくなって残念におもう(とはいえ、ヤクルトのユニフォームを着た田口選手を見た途端、応援したくなっている)。

 五日午後、荻窪まで散歩。古本と晩メシの食材を買う。阿佐ケ谷と高円寺のガード下を歩いているとき小雨が降ってきた。

 六日午後、西部古書会館、街道本充実。『特別展 開設四百年 中山道武州往来』(埼玉県立博物館、二〇〇二年)など。埼玉県は中山道だけで九つの宿場町があった。埼玉の市の数が多いのは、中山道、日光街道、川越街道など、宿場町が多かったからという説がある。

  渡辺京二著『さらば、政治よ 旅の仲間よ』(晶文社、二〇一六年)を再読。

《そこで私はひとつ提案をしたい。東京に住んでいる職業的な文筆家は、みなてんでに気に入った地方都市に移住したらどうか。一歩進んで農山村に住んでみたらどうか》(「物書きは地方に住め」/同書)

  郷里の三重にいたころ、「東京」という言葉は単なる都会の記号だった。今でも「東京が好きか?」と訊かれてもピンとこない。しかし「高円寺が好きか?」と訊かれたら「もちろん」と即答する。渡辺さんの提案にたいし「東京」を自分の暮らす町の名前に変えた途端、わたしの答えはかなり強めの「ノー」となる。

 何度となくこのブログで地方移住のことを書いている。収入が減るたび、このまま今のところに暮らし、家賃を払い続けることができるのかという不安が頭をよぎる。しょっちゅう地方移住のメリットとデメリットを考える。地方ではなく、もうすこし家賃の安い郊外に住み、古書展のときだけ電車で通えばいいではないか。本はネットで買えばいいではないか。

 理屈ではそう考えられても、感情が出す答えは別ということはよくある。