2021/03/16

黄色いやづ

 日曜日、仙台。七北田宿を歩いて、仙台文学館に寄る。昨年十一月の京都以来、約四ヶ月ぶりの遠征。一泊二日で宮城、福島、栃木の宿場(奥州街道)を疲れない程度にちょこちょこ歩いた。それでも筋肉痛になる。
 福島の街道は、会津方面、いわき方面——行きたい場所がいっぱいある。

 出発前に『黄色いやづ 真柄慎一短編集』(フライの雑誌社)が届く。挿画はいましろたかしさん。鮮やかな黄色い表紙の本(気合の箔押!)。わたしは解説を担当。真柄さんはこの十年くらいずっと注目していた文章家(釣人)です。心にしみる作品揃い。

 わたしのお気に入りは「あの頃の電車通い」という短篇である。

《月の半分はバイトして、もう半分は釣りのための生活だった。日銭を手にしては車に飛び乗るのではなく、始発電車に飛び乗るのだ》(あの頃の電車通い)

 電車の中でも釣りのことを考えている。車窓から谷間の川を眺め、どの駅で降りるかを決める。淡々と釣り場に向かうまでの様子が綴られている。釣りに行く交通費や釣り道具を買うお金を捻出するためにアルバイトを頑張る。何かに突き動かされているかのようにフライフィッシングという釣りにのめりこむ。
 川辺での高校生とのやりとりも微笑ましい。

『黄色いやづ』は山形で釣りをはじめた少年時代の回想から、上京後、アルバイト(一時期、無職)時代を経て、結婚や就職を経て父親になり、釣りにもおもうようにいけなくなるボヤキまで、良質な私小説の連作短篇としても読める。

『フライの雑誌』の堀内さんは、十年以上にわたって真柄さんに原稿を依頼し続け、発表の場を提供してきた。そしてこの短篇集を現代版の「ニック・アダムス物語」(ヘミングウェイ)だと——。そのくらい素晴らしい。いや、それ以上かも。