旅行から帰ってくるとしばらく朝型になる。そのうち夜型に戻るだろう。
つかだま書房T氏に教えてもらった野方の喫茶店で窪田空穂記念館編『窪田空穂 人と文学』(柊書房、二〇〇七年)を読む。
ぱっと開いた頁に「隠者ぞとおもふにたのしかくしあらば老のこころに翅の生ひむ」という歌があった。
一九四六年、数え年七十のときの歌らしい。付箋貼る。「かくしあらば」の意味合いは後で調べる。
空穂の老境の歌には「命一つ身にとどまりて天地(あめつち)のひろくさびしき中にし息す」というのもある。あと「最終の息する時まで生きむかな生きたしと人は思ふべきなり」は没後に発見された歌だけど、ただただすごいなと。
窪田空穂は一八七七年六月長野生まれ。一九六七年四月没。享年八十九。最晩年まで歌集を出し、新聞に連載もしていた。
窪田空穂記念館は長野県松本市にある。一九九三年六月開館した。
かれこれ二十五年くらい文学館関係の本や資料を集めている。よく知らない詩人作家の本も買う。写真や年譜を見ているうちに作品も読みたくなってくる。
野方から練馬まで散歩。日傘+歩きスマホの人が直進してくる。避けづらい。環七の歩道橋からスカイツリーを見る。東武ストア、プラザトキワ、ライフを巡回する。プラザトキワ、品揃えが郷里のショッピングセンターっぽい。夏用の通気性がよさそうで丈夫そうな靴下を買う。東武ストアでスガキヤの袋麺、ライフでパンを買う。練馬駅からバスで高円寺に帰る。
高円寺三キロ圏内の散歩をしているうちに西武線沿線の野方駅〜鷺ノ宮駅は暮らしやすそうだなとおもうようになった。
鷺宮は中央線の高円寺駅〜荻窪駅に歩いていけるし、バスもある。
散歩好きの古木鐵太郎は高円寺大和町野方と転々と引っ越し、終の住処を鷺宮に決めた。わたしは鷺宮付近の妙正寺川沿いのくねくねした道が気にいり、よく行くようになった。歩いていて楽しい町である。
木曜、曇り空だったけど、高円寺駅(阿佐ケ谷寄りのホームの端)から富士山が見えた。冬の晴れた日ほどではないが、くっきり見えた。
先日、国立市の富士見通りのマンション解体のニュースがあったが、わたしは高円寺駅から見える富士山を隠す建造物ができたら、すごくいやだ。でも国立市のような反対運動は起きないだろう。
景観の問題がむずかしいのは「衣食足りて」の先の案件だからかもしれない。食うに困ることに比べたら、富士山が見えるか見えないかの優先順位が低くてもしょうがない。それでも声を上げるが人はいたほうがいい。
そもそも大気汚染がひどかったころは晴れていても富士山は見えなかった。海も川もどろどろだった。
何年か前まで、夏になると、日中、環七付近はしょっちゅう光化学スモッグ警報が鳴っていた。そんな中、散歩しようとはおもわない。
油が浮いていた郷里の川が透明になったのを見たとき、この何十年の(経済の)停滞にも意味があったとおもえた。