2024/06/12

帰郷

 梅雨の前に郷里の家のカビ対策をしたいと考えていた。先週、高松の福田賢治さんが近々岡山の宇野港で「途中でやめる」の山下陽光さんのイベントがあると教えてもらい、帰省と絡めて岡山に旅行することにした。

 土曜午前中の新幹線で名古屋。エスカの寿がきや、五月二十七日に閉店していたことを知る。
 近鉄で久居に行き、日々詩喫茶室。アイスコーヒーとトースト。そのあと三時すぎ、白子駅に行き、そよら鈴鹿白子に行く。今年三月末、そよらにたこやき専門店たこ寿併設のスガキヤができたのだ。肉入ラーメンを食う。
 そよらの前の広場(つどいの広場)に長蛇の列ができていた。シンガーソングライターの伊藤歌詞太郎さんのフリーライブがあったようだ。伊藤さん、サインしながらファンに話しかけていた(わたし遠くから見ただけ)。
 白子からバスか近鉄かすこし歩いて伊勢鉄道で帰るか迷った末、近鉄で帰った。夜まで家の掃除をする(激落ちくんと小型のブラシを持参)。母から三月に鈴鹿で起きたある事件の詳報を聞く。

 日曜午前中から近鉄阪神山陽電鉄で山陽姫路駅——私鉄だけで鈴鹿から姫路まで行くというのが今回の旅の目標の一つ。姫路岡山間は新幹線に乗る。岡山駅から宇野駅と鈴鹿から七時間かけて宇野港に向かう。「途中でやめる」のイベント会場の東山ビルに到着した。人がいない。ビルにいた人に聞くと「昨日じゃないですかね」といわれる。
 日にちを間違えた。山下さんのイベントの日を聞いて、その前後のどちらかに三重に帰省する計画を立て、そうこうするうちに勘違いしてしまったのだ。でも宇野港と茶屋町の周辺の金毘羅街道を歩けたのでよしとする。

 夕方六時半ごろ、再び姫路へ。おひさまゆうびん舎に行く。高木護著『なんじゃらほい』(未来社、一九八一年)を一冊。その後、西明石のスマイルホテルへ。格安(三千円台)で大浴場付で最上階の広い部屋に泊まれた。荷物を置き、駅前の餃子の王将で食事、コンビニでビールとつまみを買う。

 月曜午前九時、西明石駅から新快速。岡山と兵庫の県境あたりは昔話に出てきそうな風景が残る。そのあと野洲駅で乗り換え米原駅。米原から垂井駅に正午前に到着。早起していたが、平日の移動は通勤通学の時間をズラしたほうがよいと判断した。
 JR西日本の駅から電車に乗り、JR東海の駅で降りたのでスイカのエラーが出た。垂井駅は無人駅。インターホンで鉄道会社の人とやりとりして無事精算できた。前に小田原駅から三島駅に移動したときも同じ経験をした。有人駅でも不便だと感じたのだが、無人駅だとかなり面倒くさい。交通系ICを利用している海外の旅行者はかなり困るのではないか。

 この日は垂井宿から赤坂宿まで中山道を歩く。宿場間は五・七キロ。近い。でも暑い。垂井宿は美濃路と中山道が合流する宿場町。青墓にも寄る。青墓は浄瑠璃「小栗判官」の舞台でも知られる土地である。杭瀬川も渡る。道に中山道、美濃路の標識があり、安心して歩けた。
 美濃赤坂駅まで歩いたが午後二時あたりだったせいか、電車がない。養老鉄道の東赤坂駅まで歩くと、ちょうど大垣方面の電車が来ていたのだが、踏切がしまっていてホームに行けない。踏切が開くのを待っているうちに電車が行ってしまった。次の電車は四十分後である。いい休憩になった。あらかじめ電車の時間くらい調べておけとおもう人もいるかもしれないが(自分でもおもう)、養老鉄道は一時間に一、二本走っていることは知っていたし、仮に電車が来なければ大垣まで歩けばいいと考えていたのだ。
 そのまま電車に乗れていたら、大垣から墨俣まで歩くつもりだった。予定を変更して大垣駅周辺をすこしだけ歩いて田中屋せんべい総本家で土産(自分用)を買い、名古屋から新幹線で東京に帰る。

 行きも帰りもひかりに乗った。東京〜新大阪、新大阪〜東京のひかりは自由席が空いている確率が高い(自由席の車両も多い)。時間はのぞみと数分しか変わらない。
 家に帰ると右足の指にマメができかけていた。大垣〜墨俣散策を決行していたら、すくなくとも五、六キロは歩いていたとおもうので電車に乗り遅れて結果オーライか。
 予定通りいかないことばかりだったけど、こういう旅もそれなりに面白い。