2026/04/05

下曽我へ

 三月三十一日(火)、尾崎一雄の命日。小田原市の下曽我へ。新宿から小田急で新松田駅、そこからJR御殿場線の松田駅に乗り換える。松田駅から国府津駅方面の電車は一時間に一本くらい。すこし時間があったので松田駅周辺を散歩した。ロマンス通りを歩いて酒匂(さかわ)川へ。酒匂川、いい名前の川だ。十文字橋を渡る。渡ってすぐ戻る。松田駅〜下曽我駅は六・四キロ。今度下曽我に行くときは松田駅から歩きたい。

 尾崎一雄の幻の新聞小説『とんでもない』(春陽堂書店)の主人公は小田急小田原線に沿って道に迷いまくりながら徒歩で下曽我にやってくる。学生時代、尾崎一雄は徒歩で下曽我〜東京を往復している。片道八十キロ。
 下曽我駅午前十時十八分着。待ち合わせは午前十一時前だったのだが、雨が強くなってきたので駅のちかくの小田原市梅の里センターに寄り、在りし日の雄山荘の写真を見る。

 大森のカフェ「昔日の客」の関口夫妻、『父のおじさん 作家・尾崎一雄と父の不思議な関係』(里文出版)の田中敦子さんと宗我神社に向かい、そのあと墓参り。さらに雨が強くなる。寒くない日でよかった。

 神道の墓参りの作法をほとんど知らなかったので事前にインターネットで調べた。数珠はいらない。
 榊の葉は関口さんが用意してくれた。酒を供えるとき、尾崎一雄が酒をやめていた時期の話になる。
 晩年はウイスキー(オールドが好きだった)を飲んでいた。こんな話で盛り上がる機会はなかなかない。

「昔日の客」の関口直人さん、『父のおじさん』の田中さん——ふたりの父親は尾崎一雄の小説のモデルになっている。

 天気がよければ、関口夫妻と田中さんを弓張の滝や曽我丘陵の近くまで案内するつもりだった。雨が強くなってきたので雄山荘跡へ。太宰治『斜陽』の舞台、太田静子が『斜陽』の元になった日記を書いた雄山荘(大雄山荘)が火災で全焼したのは二〇〇九年十二月二十六日である。太田治子は雄山荘で生まれている(一九四七年十一月生まれ)。

 宗我神社の周辺、晴れていれば富士山がよく見える。

『新編 閑な老人』(中公文庫)に「苔」という短編を収録した。元の『閑な老人』にも入っている。

《神社の大きな四、五本は染井吉野なので、すでに葉桜なのは当然だが、上隣りや向いの八重桜もしぼんだのに、わが家の牡丹桜だけまだ見られるというのはどういうわけだろう》

 尾崎一雄の作品を読みはじめた三十歳前のころは「苔」のよさがピンとこなかった。ただ、この作品の最後の一行は印象に残っている。七十二歳の短篇。

 下曽我駅から小田原駅へ。国府津駅の乗り換えのさい、ホームから海が見える。「ここから、相模湾、近いですよ」といったら「見に行きましょう」となって、みんなで途中下車する。国府津の海、雨で波が荒れていた。

 小田原駅で食事をして小田原城へ。駅の案内板の地図、川崎長太郎の小屋跡が記されている。「キャッと叫んでろくろ首になる」の牧野信一も小田原生まれ。

 なぜか小田原は私小説作家と縁がある。