九日(木)、夕方、駅前の青果店でヒラタケを買う。いつも買うシメジの倍以上の量で百円だった。パッケージをよく見たら、小さく(シメジ)と記されている。「ヒラタケとシメジは同じなのか?」とおもって家に帰って調べたら、シメジ(シメジ科)とヒラタケ(ヒラタケ科)は別種のキノコだった。一九七〇年代〜八〇年代あたりにかけて、人工栽培されたヒラタケをシメジとして売っていた時期があり、現在も「ヒラタケ(しめじ)」と併記することがあるそうだ。ヒラタケを「寒茸」と呼ぶ地域もある。
夜七時半、馬橋公園を通り、中野区若宮まで散歩。マルエツ中野若宮店でたまごサラダパンなど。空は藍色、西の空にかなり明るい宵の明星が見えた。風が気持いい。帰りは妙正寺川沿いの道を歩いた。
柴田練三郎著『どうでもいい事ばかり』(集英社、一九七四年)を読む。柴田練三郎は一九一七年三月生まれ。一九七八年六月没。享年六十一。この本、一篇ごとに岩田専太郎の挿絵が付いている。贅沢である。本の最後に「この雑文が上梓される直前、岩田専太郎氏が急逝された。痛恨とは、まさにこのことである」と書いてあった。
岩田専太郎は一九七四年二月十九日になくなっている。享年七十二。
そのころ松本清張が「西海道談綺」を『週刊文春』に連載していて、その挿絵も岩田が担当していた。
『どうでもいい事ばかり』の目次を見ていたら「東海道五十三次について」というエッセイがあった。
《私は、幾年か前、必要あって、東海道五十三次(正確にいえば、お江戸日本橋と京都三条大橋を加えれば、五十五次だが)を丹念に、旅をして歩いてみたことがある》
柴田練三郎も街道作家だった。五十三次の「次」は宿場から宿場へ、人や物を「継ぐ」という意味がある。日本橋と京都三条は始点と終点のため、五十三次に含めなかった。あと鎌倉時代の東海道は六十三次(六十余次)あり、江戸時代の東海道と経路もちがう。鎌倉時代は箱根ではなく、足柄越えだった。
杉並区内も「鎌倉道」が通っている。近所の散歩でも歴史を学ぶ機会はけっこうある。
それはさておき同書の巻頭の「小さな事件について」にこんな一節があった。
《「どうでもいい」とは、今晩飲もうか、というさそいに対する返辞にもなるし、選挙の際、どの党派の候補者に一票を投じようかとまよった挙句の気持にもなるし、生きるべきか死すべきか、という最も重大な瀬戸際に立たされた時の、考えつかれたすてばちな心情をも表現している》
わたしも「どうでもいい」とおもうことは多い。「小さな事件」はニュースで知っても翌日には忘れてしまう。世間を揺るがすような大事件でさえ、一週間もしないうちに他の話題に関心が移る。何か発信しようと考えているうちに「どうでもいい」という気分になる。わたしの関心事は大多数の人にとって「どうでもいい事ばかり」であり、世の中は「どうでもいい」の集積で出来ている。
この日、ヒラタケを使った塩焼きそばと中華風のスープを作った。