2024/08/30

台風接近中

 台風10号接近中。雨台風。昨日は小雨の時間に東高円寺、新中野散歩。東京メトロの中野坂上駅あたりまで歩いて東中野駅へ。途中、区の施設みたいなところで休む。古文書講座のチラシを見る。
 夜、ユータカラヤ(スーパー)で買ったプルコギとナムル(自作)を合わせてビビンバを作る。深夜、一週間ぶりに近所の飲み屋。オフコースの「さよなら」をカバーしていた海外のバンドをまちがえる(KBC BandをGTRといってしまう。しかもわりと自信満々に)。

 自爆というバンドのライブCDを聴かせてもらう。聴いているうちに、二、三ヶ月前に自爆のライブ映像(下北沢)を見ていたことをおもいだしたのでCDを持ってきた人(カウンターの隣に座っていた)に伝える。撮影者はフルチ流血夫さん。

 寝る前、電子書籍の宮沢賢治の全詩集をちょこちょこ読んでいる。
 宮沢賢治の「金策」という詩が好きで、読み返すたびに「おれは今日はもう遊ぼう」「何もかも みんな忘れてしまって ひなたのなかのこどもにならう」の浮世離れ感がすごいとおもう。
 一九二七年六月三十日の日付。賢治三十歳。

 葛西善蔵が「金策」という作品を書いたら、愚痴をこぼしまくるにちがいない。もしくは自分で金策はせず、人にやらせて文句をいう。

「金策」の「ひなたのなかのこどもにならう」の後、「この花さいた(空白=約三字)の樹だ」の空白の樹は何の樹か。「梢いつぱい蜂がとび」と続くので、おそらく蜜蜂と縁のある樹だろう。花弁の色は「月光色」。アカシアかりんごか。アカシアは漢字で「金合歓」と書く。

 やらなければならないことをせず、関係ないことばかり調べて時間をつぶしている。

2024/08/26

野球・古本・祭り

 金曜日、甲子園決勝。京都国際対関東第一戦は延長タイブレークで京都国際が初優勝。京都、夏の甲子園の優勝は六十八年ぶり(一九五六年、平安高校以来)と知り、意外におもった。そんなに優勝していなかったとは。春の選抜だと龍谷大平安が二〇一四年に優勝している。

 今年の甲子園、「守りの野球」を掲げている高校が多かった。ボールが飛ばず、僅差の試合になりやすい分、投手力と守備力の高いチームが勝ち上がってきたのだろう。もうすこし長打で動く試合も見たかった。

 昔と比べると、投手の球数などを考慮した采配をする監督も増えた。甲子園出場がゴールではなく、その先のプロを目標にしている選手は登板数その他の条件付で入学することもある。またそういう学校にいい選手が集まるようになった。

 高校野球を見て郵便局のち西部古書会館。今週は木曜から開催していた。忘れていた。『富士が見守る交流の道 古代東海道と富士山ジャンクション』(富士山かぐや姫ミュージアム、二〇一九年)、東洋文庫ミュージアム『江戸から東京へ 地図にみる都市の歴史』(編集発行=東洋文庫、二〇二一年)、『いたばし風土記』(板橋区教育委員会、一九八七年)、『創刊101年記念展 永遠に「新青年」なるもの』(神奈川近代文学館、二〇二一年)など。古本天国ノペリ書店の棚が面白い。

『富士が見守る交流の道』の「富士山・愛鷹山南麓の道」の地図に根方街道の経路が記されている。根方街道は浮島ヶ原の北、愛鷹山の南を通る。富士山かぐや姫ミュージアムは行ってみたい。

 週末、高円寺の阿波踊り。例年、祭り中の我が家の食事はテイクアウト。土曜は途中で雨。日曜、満を持して、とんかつ松永の串カツ二本と卵串、クールラカンの生ビール、氷川神社前の九州料理マルキュウで串二本。いったん家に帰り、北口の庚申通りの肉一のカルビ串二本、ニホレモのレモンサワー。すこし時間をおき、人だかりを避け、路地を通って、抱瓶でオリオン生、沖縄焼きそば。抱瓶の沖縄やきそば、野菜たっぷりで(わたしの中では)最高峰の“祭りメシ”である。沖縄そばのすこし平たい麺もいい。

 四十代半ばまで季節の行事にそれほど興味がなかった(古本まつりは例外)。今は初詣、花見、夏や秋の祭りを楽しめるようになった。食べものの好みも変わる。ビールが好きになったのは四十代半ば以降だ。それまではウイスキーしか飲まなかった。

 変わるもの、変わらないもの——昔も今も「ある」ということが当たり前ではないのだなと年をとるとよくおもう。行きつけの店が閉店したり、ずっと愛用していた商品がなくなったり。年々、昭和の老人が着ていたような夏用の薄い長袖シャツも見かけなくなっている(わたしは好きなのだが)。いっぽう自分の好みの変化もあって、これまで必需品だったものを必要としなくなることもよくある。

2024/08/23

水道橋・神保町

 月曜昼すぎ、水道橋。二十代のころから、水道橋、御茶ノ水、神保町あたりで仕事をしてきたが、水道橋駅の東京ドーム方面はなじみがない。駅を降りると神保町方面に歩いて古本屋を回るのが常だった。水道橋駅は金券ショップも何軒かある(昔は神保町にもあったが、今はない)。

 夕方、用事をすませ、東京ドームシティのミーツポートを散策。敷地内に飲食店、コメダ珈琲店やスターバックスもある。場所はちょっとわかりにくかったが、喫煙所もあった。
 JR水道橋駅から白山通りを北に行ってすぐのところに水道橋稲荷大明神という神社があることを知る(今回は寄らなかった)。
 まったく知らない町というわけでもないのに興味がないと通り過ぎてしまう。読書もそういうことがよくある。

 しょっちゅう訪れる町であっても、もより駅を中心に四分割すると、よく歩いているところとそうでないところがはっきり分かれる。

 三十五年住んでいる高円寺にしてもコロナ禍の前まで東京メトロ丸の内線の東高円寺駅あたりはほとんど行ったことがなかった。

 川本三郎著『東京おもいで草』(ちくま文庫、二〇〇二年)再読。

《私は戦後、阿佐谷の町で育ったが、いまにして思うと、近所にたしかに文士の家が多かった。(中略)町を歩くと、火野葦平、外村繁、木山捷平の姿を見かけた。「モガ・モボ」の命名者として知られ、戦後杉並区長をつとめた新居格の家もすぐ近くにあった》(「東京は西へ移動する」/同書)

 水曜、神保町から九段下まで歩く。『中原中也と富永太郎展 二つのいのちの火花』(神奈川近代文学館、二〇〇七年)、四百円。中原中也、字がうまい。ある仕事で図書カード(五千円)をもらったので、東京大学地文研究会地理部『東大地理部の「地図深読み」散歩』(マイクロマガジン社)、飯田泰子著『落語の地図帳 江戸切絵図で旅する噺の世界』(芙蓉書房出版)を買った。

 この日、集中豪雨。夜七時すぎ、東京メトロ東西線に乗っていたら、山手線が止まっていると車内放送が流れる。三鷹駅方面の総武線も遅延——中野駅で降り、南口のファミリーマートの二階で休憩しているうちに雨が止んだ。高円寺まで歩いて帰る。