2018/08/14

古山高麗雄の新刊

 今日も暑いなあとおもってたら雷。急に強い雨が降ってきた。外に干していた洗濯物を慌ててしまう。夕方、小雨になったので買い物に行くと、駅近くのスーパーの店先に土嚢が積んであった。町に人が少ない。

 四十代後半になり、十年前にはじめておけばよかったとおもうことがよくある。手間や体力を必要とすることが億劫になる。いってもしょうがないことだが、何をするにも時間が足りない。

《とにかく、わからないことだらけです。わからないことだらけで、結局私も、近々死んでしまいます。それでいいのだ、と思います》(古山高麗雄著『人生、しょせん運不運』草思社)

《人は、なんとか食っていけさえすればそれでいい、としなきゃ、とも思いました》(同書)

 この八月、古山高麗雄の新刊が二冊刊行される。『プレオー8の夜明け』(P+D BOOKS)は表題作を含む短篇十六作。目次を見たら、わたしがもっとも好きな古山さんの短篇「日常」も収録されている。

《朝起きて、昼寝をして、宵寝をして、深夜あるいは明方にまた寝たりすることがある。朝酒を飲んで、一寝入りして、また酒を飲んで、また一寝入りする。そういう日もある》(「日常」)

 二十代のころ、この短篇を読んで古山さんのファンになった。第三の新人と「荒地」の詩人が好きだったのだが、「戦中派」の作家の中で、古山さんの書くものがしっくりきた。「日常」を読んだとき、「文学はここにある」とおもえた。勘違いかもしれない。

 もう一冊、今月二十一日に『編集者冥利の生活』(中公文庫)が刊行予定。中公文庫のほうは解説を担当した。表題の「編集者冥利の生活」はPR誌『春秋』の連載していた回想録——『本と怠け者』(ちくま文庫)でも紹介している。編集者だけでなく、仕事がうまくいっていない人に読んでほしい。
 戦後、復員して河出書房の編集者の職についたが、会社が倒産。食べていくためにゴーストライターや校正の外注もした。転々と出版社を渡り歩いたが、そのたびに条件はわるくなる。

《反省すると、私には儲かる商品の企画力がない。組織の中の者として可愛げがない。ヘンな野郎である。お上手が言えない。好んで毒舌を弄したり、相手の嫌うことを言ったというわけではないのに、身に備わっている人間の持ち味が出世を拒む》

《私は学校を中途退学して以来、ずっと、しがない場所を歩き続けてきた。その自分を、諦めた目で見ている。そして、なんのよりどころもなく、まあなんとかなるだろうさ、と思っている》

『編集者冥利の生活』では古山さんが二十八歳のころに書いた幻のデビュー作「裸の群」も収録している。「裸の群」と「プレオー8の夜明け」とかなり似ている。ぜひ読み比べてほしい。今日、見本が届いた。すごくいい文庫だとおもいます。安岡章太郎との対談のことも書きたかったが、長くなるのでいずれまた。

 わたしは今年の秋、四十九歳になる。ようやく古山さんが小説を書きはじめた齢になった。
 この先も寝たり起きたりしながら文章を書く生活を続けたい。