2024/08/06

十八年

 連日、日の出前に散歩している。高円寺駅南口の寺が密集している道や公園の近くを通ると、セミがけっこう鳴いている。「このへんは新宿の西口のビルがよく見えるな」といった感じで、今、自分のいる場所から見える景色を確認するようになった。

《夏やすみになれば、学生には帰省といふ楽しみがあつた。この休暇中に、これだけ本を読もうといふので、行李につめて持つて帰る。大正の学生は読書家であつたやうだ》(原文は旧漢字)。

 福原麟太郎著『昔の町にて』(垂水書房、一九五七年)所収「よき日々の學生」。福原麟太郎の別の本を探していて(見つからず)、かわりにこの本を読んだ。わたしは福原麟太郎の『命なりけり』(文藝春秋新社、一九五七年)がきっかけで歌枕のことを調べはじめた。西行、芭蕉といった歌人・俳人は街道研究では避けて通れない。

 車谷長吉著『贋世捨人』(新潮社、二〇〇二年、文春文庫、二〇〇七年)も西行の歌ではじまる。

《二十五歳の時、私は創元文庫の尾山篤二郎校注「西行法師全歌集」を読んで発心し、自分も世捨人として生きたい、と思うた。併し五十四歳の今日まで、ついに出家遁世を果たし得ず、贋世捨人として生きて来た》

「五十四歳の今日まで」という言葉は頭から抜けていた。この作品、『現代の眼』や総会屋の話も出てくる。わたしは『現代の眼』の後継誌といえる雑誌とすこし縁があった。左翼誌なのにパトロンは右翼という変な世界だった。

 今月、車谷長吉著『癲狂院日乗』(新書館)が刊行。未発表の日記らしい(未読)。

 学生時代も遠い日になったが、土曜の昼すぎ、西部古書会館。『旅』(二〇〇三年七月号)の特集「祝・バス運行100年 美しい日本のバス旅」など。日本橋から伊勢まで路線バスだけで乗り継ぐ「東海道バス五十三(乗)継」(脇坂敦史=文、宮島径=写真)は良企画、良記事。道中、廃線区間はひたすら徒歩で移動する。三重県内の四日市から松阪までの乗り継ぎは、近鉄四日市駅〜平田町駅〜亀山駅~椋本~米津~小舟江~松阪駅という経路だった。乗車時間は三時間くらいか(待ち時間は含まず)。かなり遠回りだ。東京〜伊勢を路線バスで乗り継ぐと新幹線+近鉄(特急)の倍くらいの運賃がかかる。

 ちなみにTBSテレビ「そこが知りたい」編『カラー版 日本全国 各駅停車路線バスの旅』(二見書房、一九八六年)という本に「東海道中!!各駅停車路線バスの旅」という章がある。
 日本橋から京都三条まで。三重から滋賀にかけての区間は四日市〜亀山~土山〜草津とバスで東海道(伊勢廻り)を乗り継いでいる。ロケの日が鈴鹿峠を越えてすぐの滋賀県の田村神社(土山宿)の祭りと重なっている。三十八年前の本だから、すでに廃止された路線も多い。

 生島ヒロシ、薬袋美穂子、服部幸應の三人旅。薬袋美穂子は二〇〇三年九月、四十五歳で亡くなっている。『各駅停車路線バスの旅』は第二集も出ている。古書価、そこそこ高い。

 古書会館では『浮世絵 菱川師宣記念館図録 総集編(改訂版)』(菱川師宣記念館、一九八八年)なども買った。同図録に「東海道分間絵図(元禄三年、一六九〇年)」も収録(一部)。記念館は千葉県安房郡鋸南町(きょなんまち)にある。美術は専門外なのだけど、街道が絡むと興味がわいてくる。

 夕方、中野セントラルパークの広場。中野駅前大盆踊り大会(盆ジョヴィ)を見に行く。ボン・ジョヴィだけでなく、ヴァン・ヘイレン、フレディ・マーキュリーの曲も流れていた。ボン・ジョヴィ「Livin'on a Prayer」は失業中の男がギターを質にいれる詞がある。わたしはダイナーという言葉をこの曲で知った。
 ライフでつや姫(五キロ)を買う。電車で帰る。

 二〇〇六年八月にはじめたブログも十八年になる。五十四歳の今日まで、散歩と読書ときどき仕事の日々を送れていることはありがたいことだとおもう。