急遽、九州に行くことになったのだが、とくに計画は立ててなかった。
今、『万葉集』にはまっているので、奈良時代、山上憶良と大伴旅人がいた太宰府に行きたい。あと佐賀に行ったら、長崎街道の神埼宿にある九年庵のあたりを散策したい。
旅行中の希望はそのくらい。一番の希望はだらだらしたい——である。
結果、望みはすべてかなった。
中洲からタクシーに乗り、降りた場所は戦国武将の名前の焼き鳥屋だった。わたしは中野さんの恩師が来ること以外、何も知らない。
店に入ると、中野さんの野球部時代の仲間がいる。
中野さんから恩師のW先生は文学好きということは聞いていた。W先生に『万葉集』の話をすると、中野さんの後輩で詠人舎の末﨑光裕さんから上野誠著『筑紫万葉 恋ひごころ』(西日本新聞社、二〇一七年)を手渡される。
旅行前、上野誠著『こころをよむ 万葉びと、その生と死と』(NHK出版、二〇二四年)を読んでいて、『万葉集』に興味を持つ前から『万葉学者、墓をしまい母を送る』(講談社文庫、二〇二二年。単行本は二〇二〇年)を愛読していた。末﨑さんは『筑紫万葉 恋ひごころ』の担当者だったそうだ。あと佐賀と長崎のフリーマガジン『SとN』の編集者でもある。
最初、中野さんのサプライズかなとおもったが、中野さんは自分の後輩が『万葉集』の本を編集していたことを知らなかったらしい。
ふだんは飲み屋で山上憶良や大伴旅人、街道の話はしないように気をつけている。この日は暴走した。
もともと『万葉集』に関しては和歌より地理——歌枕に興味があった(鈴鹿の歌もある)。飛鳥、奈良時代は頻繁に遷都している(そのたびに東海道の経路もすこし変わる)。
近所の図書館で週二冊くらいのペースで飛鳥、奈良時代の本を借りるようになり、『万葉集』関係の本を読みはじめ、今に至っている。
『万葉集』を読んでいるうちに奈良の和歌より、大宰府(太宰府)の和歌のほうが人間味があって面白いとおもうようになった。大伴旅人の酒讃歌も大宰府時代の歌である。
人生の四苦八苦は万葉の時代も今もそれほど変わらない。
当時の奈良は仏教勢力が強まっていた時期だったから、都から離れたほうが気楽にのびのびできたのではないか。しょっちゅう宴会してるし。都にいると都のおかしさがわからなくなる。いつの時代もそういうところは変わらない気がする。
ここ数年、梅が好きになった。太宰府も梅が有名だ。とっ散らかった好奇心がすこしずつ重なったり、つながったりする。
翌朝、太宰府行きの前に天神のPRONTO(三階建て)に寄った。中野さんは朝食、わたしはアイスコーヒー。PRONTOの三階、寛げた。コーヒーも好きな味だった(自分の記憶の味とちょっとちがっていた)。都内のPRONTOには何年も行ってなかった。仕事の連絡などをいろいろしていたら、以前、梅崎春生の件で電話取材を受けた福岡の新聞社のSさんからメールが届いている(一度も会ったことがない。わたしが福岡にいることも知らせていない)。「今、天神にいるんですよ」と返信したら、この日、ジュンク堂書店福岡店がオープンすることを教えてもらった。
中野さんとジュンク堂書店福岡店に行く。入口を間違える。そのあと太宰府へ。移動ルートはすべて中野さんに任せて電車に乗る。
西鉄二日市駅で西鉄太宰府線に乗り換え、太宰府へ。この日も暑かった。意識がモーロー。梅ヶ枝餅の店で冷たい抹茶と梅ヶ枝餅。体力がすこし回復。中野さんはずっと元気だった。わたしのあまりの動かなさに呆れていた。
旅行前、太宰府は高校の修学旅行で行ったとおもっていたが、街並の記憶がまったくない。何も覚えていない。来ていないかもしれない。
高校の修学旅行は九州の福岡、長崎、熊本を回った。四十年前の話である。長崎と熊本は覚えている。太宰府を回る組、回らない組があったのだろうか。それともバスで寝ていたのか。太宰府天満宮もはじめた見た……ような気がする。
中野さんと喋っていると、いつも記憶力(ディテールが無駄に細かい)に感心する。脳の構造は不思議である。
太宰府のあと、西鉄の二日市駅。そこからJR鹿児島本線の二日市駅まで歩く。だいたい一キロ。途中の商店街がよかった。JRと私鉄で同じ名前でちょっと離れている駅を歩くのは楽しい。
JR二日市駅から鳥栖駅。駅構内の通路で鉄道、駅の歴史の写真を展示している。見応えがあった。
長崎街道に興味を持ちはじめたころ、古代から鳥栖は九州の東西と南北の十字路であることを知った。
鳥栖八坂神社に行ったが、どの道が長崎街道なのかよくわからないまま歩いていた。後から鳥栖周辺の長崎街道は曲がりが多く、複雑な経路であることを知った。
東海道や中山道を地図を見ながら歩いていて、よく道に迷っている。街道の場合、たまたま迷って歩いた道が古道の可能性もある。
話は変わるが、電車で九州に来てよかった。電車の中から景色を見ながら移動する。三重から福岡への移動は万葉の道とも重なっている。
瀬戸内海は船の行き来も多かった。移動中、しばらく会っていない友人や行ってない店のことが頭をよぎった。
(……続く)