2026/08/09

佐賀へ

 自分がこの世にいられる時間はあとどのくらいなのか。時折そんなことを考える。生きているうちにこれだけはやっておきたい――年々そういう欲が薄れてきている。そのかわりといっては何だが、日常を深く理解したいという気持が強くなっている。
 今回の旅行もそうだった。

 八月四日(火)、鳥栖駅から再び鹿児島本線。この日泊まる予定の増岡謙一郎さんの佐賀の家も同じ沿線にある。長崎街道も近い。

 中野さんは増岡さんが博多駅から乗った電車の時間を推理し、駅で待ちぶせしようとしていた。ところが、すでに増岡さんは家のもより駅に着いている。そのころ、われわれは鳥栖の長崎街道を散策中だった。

 増岡さんが鳥栖駅に戻り、合流することになった。行きも帰りも鳥栖駅前のローソンでだらだらした。五十代のおっさん二人がコンビニ前に座り込み、どうでもいい話をしている。

 今回の旅、佐賀がすごく気に入った。その町が好きになるのは人のおかげでもある。どんな話をしたか、ほとんど忘れてしまったが、電車や車の移動も楽しかった。

 夕方、増岡家に到着する。玄関に犬がいる。おとなしい犬。晩ごはんとビール。テレビのニュースでジュンク堂福岡店オープンのニュースが流れる。わたしが棚の前で立ち読みしている姿が映り、なぜか増岡さんが大はしゃぎする。東の空に赤い月が見えた。庭で花火をした(中野さんがコンビニで買っていた)。
 汗だくの衣類を洗濯してもらい、旅館のような和室で寝た。

 翌朝、増岡さんの母といっしょに犬の散歩をする。急傾斜の坂道をどんどん歩く。北の方角に脊振(せふり)山系の山々が見える。郷里の近鉄鈴鹿線沿線の風景とちょっと似ている。

 この日は午前中から町の施設をいろいろ案内してもらう。主題歌を歌ったミュージシャンの地元ということで中野さんの映画の宣伝をする。

 そのあと増岡さんの運転する車で長崎街道の神埼宿へ。家から近いと聞いていたが、猛暑の中、徒歩で行くのは厳しかったとおもう。
 途中、吉野ヶ里も通った。

 九年庵は春と秋、年二回一般公開される。紅葉の名勝としても知られる。そのすぐ近くに仁比山(にいやま)神社がある。七二九(天平元)年創始の神社。山上憶良、大伴旅人が大宰府に滞在したころにできた神社である。境内の至るところに猿の石造がいっぱい。酒の神も祀っている。

 旅行中、「仁比山神社」の名前を忘れてしまい、何度となく「なんとか山神社で……」といっていたら、中野さんに「魚雷さんが行きたがってた神社なのに、なんで名前が出てこないんですか」とつっこまれる。

 言い訳すると、鳥居をくぐった瞬間から心が奈良時代に飛んでいたのである。奈良時代はまだ仁比山神社という名前ではなかった。もともと「松尾明神」や「山王社」と呼ばれていて、地元では「山王さん」の愛称で知られている。でも単に思い出せなかった。

 神埼宿あたりの窯元にも行ったのだが、わたしは車の中で寝ていた(すこしだけ見たが、寝起きの頭だったせいか、あまり覚えていない)。行きに寄ったのか帰りに寄ったのかすら覚束ない。蕎麦屋にも行った。それは覚えている。

 夜はさざんかの湯。夜景が最高だった。昼は長崎の雲仙のほうまで見えるらしい。

 今回の旅でおもったのは、わたしと中野さんとでは一日の活動量がまったくちがうということ。わたしは食後一時間くらいは体が動かない。頭も回らない。家ではずっと横になっている。中野さんは食べてすぐ俊敏に動く。たぶんわたしの五倍は動いている。そして動くたびにものを落とす。わたしは中野さんに「ぽろぽろ星人」というあだ名をつけた。

 一人で仕事をしたり、旅行したりしていると、なかなか気づけないことにいろいろ気づくことができた。
 この先の自分が変わるかといえば、変わらないだろう。

(……続く)