2018/09/12

板橋宿

 先日、石和温泉の宿に泊ったとき、大浴場の電子体重計に乗ったら、自宅の体重計との誤差が四・五キロあった。
 ボクシングでいえば、ライト級(家)がフェザー級(温泉)に表示されたのである。結婚して最初の十年、わたしは年に一キロずつ体重が増えた。太った理由はちゃんとメシを食うようになったから。太ったら風邪をひく回数が減った。ここ数年は体重維持を心掛けていた。

 家の体重計が合っているのかどうか。それを調べるために銭湯に行こうとおもった。
 上京して最初に住んだ町は東武東上線の下赤塚だった(半年だけ)。下宿は四畳半風呂なしだったから、近所の栄湯に通った。一九八九年四月二百八十円。五月に二百九十五円に値上がりした。銭湯の回数券をつかっていた。父も単身赴任で四年ほど板橋区民だった。
 今、調べたら栄湯は今年三月末に閉店したとある。残念。

 板橋の銭湯のことをおもいだしているうちに、中山道の一番目の宿場の板橋宿を歩きたくなった。中山道沿いの銭湯の住所を何軒かメモして、地図も持たず(わたしは携帯もスマホも持っていない)、家を出る。地図は現地調達の予定だ。

 午後一時十五分高円寺。駅に行く途中、Tシャツ短パン姿で出社する古本酒場コクテイルの常連のKさんと会う。新宿で乗りかえ、JR埼京線で板橋駅へ。午後一時三十二分着。板橋近い。駅を出ると「旧中山道」の看板がある。板橋宿は江戸四宿(千住、板橋、内藤新宿、品川)のひとつ。江戸期の中山道の旅行者は、日本橋からではなく板橋宿から出発する人も多かった。

 しばらく歩くと商店街があり、旧中山道と重なっている。この商店街が素晴らしかった。観明寺に寄って、そのあと板橋観光センターへ。火曜日は定休日だったが、中に入ることができて「板橋区文化財マップ」ほか街道の地図を手に入れる。「五海道中細見記」をはじめとする街道関係の資料も展示していた。

 板橋の名前の由来になった石神井川にかかる橋を渡る。いい橋だった。環七をわたる前に喫茶エレファントという店に入る。オムライスとアイスコーヒーのセットを注文する。

 環七をこえ、志村一里塚。すこし先に国書刊行会が見える。寄ろうかどうか迷ったが、国書刊行会で仕事したことがないことに気づき、通りすぎる。
 志村一里塚から歩いてすぐのところにある薬師の泉跡がよかった。小さな庭園だが、石段があってきれい。トイレもある。通りの地図には薬師の泉跡のすぐ近くの小豆沢公園にトイレの表示があって寄ろうとしたら、トイレの入口に鍵がかかっていた。こういうのは困りますよ。緊急事態じゃなくてよかった。

 板橋宿からの旧中山道は歩道が広くて歩きやすい。このあたりの歩道の幅が街道の標準になればいい。この日は涼しかった。

「板橋区文化財マップ」は戸田橋までしか載っていない。ここまできたら荒川をこえたい。でもこの先は未知の領域……ではなかった。

 たぶん二十年以上前に訪れている。学生時代、アルバイト先の編集部で一時期週四日くらい晩飯をおごってもらっていたGさんが戸田公園に住んでいて、黄色のマウンテンバイクをくれるというので遊びに行ったのだ。当時、Gさんは新婚だった。
 戸田公園で自転車を受け取り、そのまま高円寺に帰った。そのとき戸田橋を渡り、環七を通った。途中、志村一里塚を見たような気もする。

 二十代のころはGさんにほんとうに世話になった。メシをおごってもらっただけでなく、家賃が払えないときにお金も借りた。そのお金が返せなくて、別のアルバイト(予備校の模試の試験官の仕事)を紹介してもらったこともあった。Gさんの世話になっていた若者はわたしだけではない。

 戸田橋を渡ると埼玉県である。右手の階段を下り、中山道を歩く。ここではじめて道をまちがえる。
 家で調べた銭湯の場所はこの近くのはずだ。煙突を探す。しばらくするとさつき通り商店街が見えてきた。
 商店街を抜け、中山道に戻る。健晃湯に到着したのは午後四時四十分。大人四百三十円。東京の銭湯より三十円安い。

 健晃湯はサウナ付。ただしサウナはかなり熱い。わたしはサウナ耐性はわりとあるほうなのだが、それでもあまりの熱さに足のふくらはぎあたりが痛くなった(足に熱風がくる)。二、三分で出る。長く歩いた後の風呂は気持いい。贅沢な気分だ。
 風呂から出たあと、体重計に乗る。家と同じだった。脱衣所でおじいさんに「仕事帰り?」と訊かれる。「板橋から歩いてきたんです」というと「板橋、銭湯ないの?」「いや、あるとおもいます」「板橋のどこから」「板橋駅から」「この銭湯にわざわざ?」「いえ、中山道をずっと歩いていたんです」といった会話をかわす。不思議な顔をされた。

 午後五時十五分に銭湯を出て戸田公園駅を目指す。板橋宿の次の蕨宿はいずれまた。途中、戸田南小学校のちかくに「中古の店くらの」というゲームと古本の店があった。さくらももこのエッセイ集を一冊買う。

 戸田公園、浮間舟渡、北赤羽、赤羽、十条、板橋。埼京線で五駅分ほどの距離を歩いたことになる。
 帰りは池袋で途中下車し、古書往来座へ。退屈君が店番をしていた。
 古書往来座で宮本常一著『塩の道』(講談社学術文庫)などを買う。塩と街道の研究に関する本はたくさんある。たぶん全部は読めない。店を出たあと、山手線に乗りたくないので、目白通りを歩く。四時間歩いた後だと池袋から高円寺なんてすぐ近くにおもえてしまう。
 下落合の七曲坂あたりで急に疲労感をおぼえ、高円寺まで歩くのを断念した。高田馬場駅から東京メトロの東西線で帰る。疲れた。