2026/04/15

橘曙覧

 四月十一日(土)、都内は最高気温二十七度の夏日、静岡は三十度超の真夏日だった。睡眠時間ズレる。たぶん寒暖差も関係している。夏用の肌掛けを洗濯して干す。

 昼すぎ、西部古書会館。先週の大均一祭で買った本がほぼ積読状態のため、あまり買わないよう心がける。『橘曙覧入門』(福井市橘曙覧記念文学館、二〇〇二年)、『モダン都市の文学誌 描かれた浅草・銀座・新宿・武蔵野』(江戸東京博物館、二〇一五年)、『特別展 金沢文庫の名宝』(神奈川県立金沢文庫、一九九二年)など。値段は百円から三百円。

『橘曙覧入門』は第三刷(二〇〇七年)。福井市橘曙覧記念文学館に行きたくなる。足羽神社の近くのようだ。同市の福井ふるさと文学館も気になる。
 橘曙覧(たちばなのあけみ)は幕末の歌人で国学者(一八一二~六八年)。本居宣長に傾倒し、何度か伊勢神宮に訪れている。宣長の墓参りもしている。

「橘曙覧関係地図」には一八六一(文久元)年、福井からの伊勢参宮の旅の足取りが記されている。琵琶湖の東岸から関ヶ原古戦場、養老の滝、多度山をまわる。現在の鉄道でいえば、養老鉄道のルート(養老街道)を通っている。
 伊勢国の一宮は鈴鹿の椿大神社といわれているが、近年、多度山の多度大社が一宮だったのではないかという説を見聞きする。一宮問題はややこしい。

 その後、多度から名古屋に向かい、佐屋街道を通り、桑名、白子、松阪、伊勢へ。
 帰りは伊勢から松阪に戻り、奈良、大阪、京をまわり、再び、琵琶湖東岸を通り、福井へ。橘曙覧が歩いた名古屋から伊勢、奈良、大阪をまわるルートは近鉄っぽい。橘曙覧にちょっとシンパシーを覚える。

 橘曙覧、享年五十六。今の自分の年齢だ。生きていると年下の過去の偉人が増えていく。

《たのしみは 朝おきいでて、昨日まで
    無りし花の 咲ける見る時》

 一九九四年六月十三日、米大統領ビル・クリントンは天皇皇后両陛下の訪米歓迎式典で橘曙覧のこの歌をスピーチで紹介した。わたしはこのニュースのことを忘れていた。

 橘曙覧は「たのしみは~なんとかの時」という形式の歌をたくさん作っている。お笑いコンビのいつもここからの「悲しいとき~」は曙覧に通じる気がする。

 散歩中、花を見るのが好きになった。老いてゆく中にも楽しみはある。

『モダン都市の文学誌 描かれた浅草・銀座・新宿・武蔵野』は二十数ページの冊子だが、表紙に龍膽寺雄の名前と顔写真あり。「西郊の玄関口・新宿」の章は、龍膽寺雄の「新宿スケッチ」と共に当時の新宿の絵、写真、広告、小田急電車案内(鳥瞰図、昭和初期)などが載っている。龍膽寺雄はシャボテン(サボテン)の研究家で収集家でもあった。龍膽寺雄は高円寺にいたこともある。

『特別展 金沢文庫の名宝』――冒頭付近の真鍋俊照の「金沢文庫の文化財」のところを読んでいたら、ある連歌が引用されていた。

《すみそめの色にも身をはなしつれど 道
 又この春も花をこそみれ      理》

 金沢文庫所蔵の「連歌懐紙」のなかの句。真鍋氏はこの句を「墨染めの衣をきて俗世間を離れる身になってしまったが、また今年の春も花を観ると感慨にふけり物思いにしずんでしまう」と解説している。

 名歌鑑賞の解説は、春に花(桜)を見ることがある種の感傷や儚さと結びつけていることが多い。中世の人にも橘曙覧の「たのしみは~」という感覚はあったのではないか。昔の人の心の機微みたいなものがよくわからない。

 今の人と昔の人の感覚は同じではない。でも何がどうちがうのかわからない。中世の絵巻物の図録を見ていると、どれもこれも同じような絵におもえる。不案内な分野はたいていそうおもう。