2026/08/22

老いの記

 寺田寅彦や福原麟太郎の随筆を読んでいると、五十代のころの文章に「老人」感が滲み出ている。
 今の時代、五十代は若い……とはいえないが、老人扱いはされない。でも孫がいてもおかしくない年齢である。そのあたりの老いと自意識のズレをどうにか調整したい。

 入手難といわれるような古書を格安で買えたとしても、その喜びは長く続かない。買って満足して読まないことがよくある。
 だとしたら古書価なんて気にせず、本当に読みたい本だけを買ったほうがいいのではないか。ところが今の自分は何が読みたいのか、買ってみないとわからない。その結果、手当たりしだいに買ってしまい、乱読もしくは積読することになる。何か一つのテーマを掘り下げるような読書ができない。

 五十代後半、自分の残り時間について考えない日はない。自業自得とはいえ、自由につかえる時間はあっという間に消えてしまう。

 最近の自省したことについて、いくつか書き残しておく。

・酒の席で仕事の話はしない(わたしは酔うと言葉がきつくなる)。とくに気のりしない仕事を断るとき、きつくなる。やんわりと断っても食い下がってくる相手にたいし、そうなる傾向がある。
・気分転換にいつもとちがう味噌を買い、おもっていた味と似ても似つかず後悔する。味噌は常に同じものを買ったほうがよい。
・時代の巡り合わせもそうだが、人間関係もかなりの割合で運に左右される。よい方向に進むこともあれば、その逆もある。不確定な事象を避けてばかりいるとよいことも起こらない。しかし運に振り回されていると自分を見失う。塩梅が大事である。それがむずかしい。
・今の自分の関心事(街道、歌枕、万葉集)について喋りすぎないようにしたい。話はじめると暴走してしまう。何が面白くて何が面白くないかは人それぞれであって、ようするに自分の話ばかりしてはいけない。頭ではわかっている。酒がいけない。

 昔から老人の話は長くてくどいといわれているが、わたしもそうなっている。気をつけていてもそうなる。
 人の話を楽しそうに聞いて、自分の話は聞かれたときだけ答える。そういう人もいる。