2024/07/09

衰弱者の夢想

 日曜午後三時、都知事選の投票会場へ。番狂わせはないだろうと判断し、若手の候補者の名前を書いた。投票後、会場の近くの二十数年前に住んでいたアパートを見に行く(アパートの前の駐車場が猫の集会場だった)。スーパーで六個入りのアイスを買って帰る。

 この日、杉並区は光化学スモッグ警報が出ていた。選挙の後、警報解除の放送を聞いた。
 先月(六月十七日)のブログで「何年か前まで、夏になると、日中、環七付近はしょっちゅう光化学スモッグ警報が鳴っていた」と書いたが、今も鳴っている。暑い日の昼間は出歩かないから気づかなかった。光化学スモッグはよく晴れて気温が高く風が弱い日に発生しやすい。とくに七月から八月は要注意である。

 一九七〇年七月、杉並区の環七付近の学校の上空に紫色の雲が覆い、女生徒四十三名が次々と倒れる事件があった。翌年、高円寺地区の住民が大気汚染の改善を目指す運動がはじまった。
 高円寺は光化学スモッグの“基点”となった町だった。

 小・中学生のころ、郷里の三重県鈴鹿市も光化学スモッグがひどかった。校庭で級友が倒れる瞬間を何度か目撃した。光化学スモッグか熱中症(当時は日射病といっていた)か、今となってはわからない。

 家に帰って炊き込みご飯を作っている間、鮎川信夫著『最後のコラム』(文藝春秋、一九八七年)を再読する。
 ジョージ・ギルダー著『信念と腕力』(小島直記訳、新潮社、一九八六年)の書評にこんな一文があった。

《思想家や知識人が、資本主義の衰滅を予言したくなるのは、今を歴史の頂点と考え、そこに老化のイメージを重ねてしまうためである》

 ギルダーはこうした予言を「衰弱者の夢想」と一蹴する。人口減少社会を生きるわたしは当分の間、日本はゆるやかな下り坂が続くとおもっていた。たぶん自分の老化と重ねてしまっていたのだろう。考えを改めたい。

 前回引用した橋本治の「人間の行動の多くは習慣的で、だからこそ、“習慣”が満杯状態になっている人間の体に、脳が新しい習慣を教え込むのは大変だ」という意見も老化のイメージと関係ありそうだ。

 つい最近まで、老いてゆく自分(一般論ではない)の最適解は“一、二歩下がって脱力する”だとおもっていた。しかし五十代半ばになると脱力するにも体力および余裕が必要で——いろいろ失敗続きである。

 (追記) 「衰弱者の夢想」云々についてはギルダーの『信念と腕力』ではなく、『富と貧困 供給重視の経済学』(斎藤精一郎訳、日本放送出版協会、一九八一年)で語られる内容である。まぎらわしい書き方をしてしまった。