2008/06/11
関西紀行
午前中、原稿を一本書いて大阪へ。電車の中ではひたすら宇佐美承の『池袋モンパルナス』(集英社文庫)を読んだ。不覚、こんなにおもしろい本だったとは。
梅田・阪急古書のまち、それから天神橋筋書店街の古本屋をまわる。矢野書店と天牛書店の二軒だけで今回の関西滞在中の書籍購入費(予定)をオーバー。
BOOKONNの中嶋さんに電話し、貸本喫茶ちょうちょぼっこで待ち合わせ。荷物をしばらくあずかってもらい、心斎橋のブックオフ、ベルリンブックスを案内してしもらう。
ベルリンブックスは古いビルの中にあって、なんとなくヨーロッパっぽい(行ったことないけど)雰囲気の店だった。
大量の本がつまったブックオフの袋をさげて、おしゃれな古本屋に入るのは、ちょっと恥ずかしかったよ。行く順番を逆にしてほしかった。
それでまたちょうちょぼっこ。ずっとビールを飲んでいた(※1)。冷えたのはもうないといわれたのだが、気にしないと答える。迷惑な客だったかもしれない。
一日目からダンボールで東京に本を送ることになった。
つるまるうどんというチェーン店でメシを食ったあと、午後十時前に、阪急電車で京都へ。サウナオーロラ、六曜社、まほろばといういつものコース。
九日(月)
朝(というか昼)、バールでメシ。恵文社に行くと、急にどしゃぶりになる。
秋くらいBOOKONNの中嶋さんのイベントをやるらしい。
京都の出町柳周辺の古本屋めぐり。ガケ書房に寄って、扉野家に。
いつものことながら、扉野良人さんに貴重な資料をいろいろ見せてもらう。説明もわかりやすくておもしろい。感嘆しっぱなし。
ちょうどいま調べはじめていたことがあって、「どうしても見つからない本があるんだよなあ」というと、「これでしょ?」と今日その著者(※2)のことが話題になることを予想していたかのように、すぐ本棚から出てきてビックリした。
夜はまほろばで岡大介さんと薄花葉っぱののライブ。ものすごく盛り上がった。
後半の岡さんと薄花葉っぱのセッションがすごかった。すごかった、としか説明できないのがもどかしい。音と店の雰囲気が絶妙で、いい気分で酔っぱらえるようなライブだった。
午前〇時くらいにカウンターで寝てしまう。
そのあと扉野さん宅で飲み会。わたしは先に寝ていたのだが、午前三時ごろ目をさまし、朝まで飲むことに。
十日(火)
朝六時、雑魚寝状態の扉野家を出て、ひとりで川沿いを散歩。高野川を一時間くらいさかのぼって歩いて叡山電車で帰ってくる。
京阪三条のコインロッカーに荷物をあずけ、ジュンク堂書店BAL店の岡崎武志さん、山本善行さんの「〈架空の〉きまぐれ日本文學全集フェア」を見てくる。
デジタルの万歩計(小型)を買う。懐中時計をなくして以来、腕時計(高校の入学祝い)をポケットにいれていたのだけど、電池切れでもないのに、たまに針が止まってしまうのだ。それで時計機能付の万歩計を買った。簡単にいうと、衝動買いだ。
河原町の古本屋をまわったあと、水明洞、山崎書店にも行く。それでもまだ時間があったので、京都府の動物園に行く。
バスの運転手風のおじさんふたり組(推定五十代)が、「きりんはかわいいなあ」「呼べがくるかなあ」と話しているのが、妙におかしかった。
帰りにまた六曜社。オクノ修さんはいるかなあとおもいながら入ったらいた。「よく来るねえ」と笑われる。
夜七時、ぷらっとこだまで東京に帰る。白角の水割を飲みながら、『池袋モンパルナス』を読み続ける。
考えさせられる本だ。
そのことについてはまたいずれ書いてみたい。
(※1)以前、このブログで「ビールは飲まない」と書いたが、ほかのアルコール類がなければ飲みます。訂正。
(※2)新居格のこと
2008/06/08
NEGI御殿
もより駅に行くと、退屈君が待っていた。そのあと木村衣有子さん、晩鮭亭さん、南陀楼綾繁さん、わめぞ民も合流。往来座の瀬戸さん、いきなり駅近くのスーパーで缶チューハイ飲みだす。
それにしても、NEGIさんの家はすごかった。本屋みたい。壁一面、ロフト部分まで本棚。広い。家はともかく、ブックタワーはほしいなあとおもった。
本日のメニューもあって、次々と料理が出てくる。お店みたい。
豆乳のそうめん、うまかった。ウニパスタも、うまかった。
やりのこしてきた仕事が残っていたので、午後十時前に帰る。
おもったより家が近いことが判明(タクシーで帰った。割増料金でも千円代)。電車で行くより自転車のほうが早いかも。
六月十五日(日)、鬼子母神古本まつりもよろしく。
今回の文壇高円寺古書部は、内田百閒、旺文社文庫特集です(もちろんほかにもいろいろ出品します)。
場所:雑司が谷鬼子母神境内にて。
時間:9:00〜16:00 雨天中止。
※詳細は古書往来座ホームページ(http://ouraiza.exblog.jp/)を参照。
2008/06/01
まあよしとする
飲みすぎた。反省。たぶん反省してもきっとまた飲みすぎる。まあいいでしょう。
世の中には反省しない、反省は無意味だといいきる人がいる。そう言い切れたら楽になれそうとおもうが、まあいいでしょう。自分(の性格や生活)を変えたいとおもうことに意味はあるのかと考えることがある。結局、ちっとも変わってないじゃないか。つくづくおもうわけである。変わったか変わっていないか、そういうことはすぐにわからない。すこしずつよくなったり、わるくなったりする。
二十代の十年、東京の、中央線沿線の、高円寺のような、物書きや漫画家やバンドマンや演劇人がゴロゴロいる町に住んで、毎日のように古本屋に通い、漫画喫茶にも何千時間と通い、部屋で友人と酒を飲みあかした。いいたいこといいあう。それでケンカになる。またいいたいことをいう。そのくりかえしだった。わたしはそのかんじが心地よかった。
たまに仕事の打ち合わせなどで、遠慮がちに喋ったつもりなのに相手には図々しい発言と受け取られてしまう。うーん、なんでだ、わからん。
率直、素直ということをいいことだと信じていた。自分が田舎にいたときは、そういうふうに振る舞うことができなかったからだ。だから上京して、ひとり暮らしをはじめ、好きなときに寝て、読みたい本を読んで、好きなだけ酒が飲めるようになったことが何よりうれしかった。お金はなかったから、それなりに制約はあったが、そんな生活のおかげで、何に感動したり感激したりする気持を失わなくてすんだとおもっている。
我慢ばかりしていると、そういう気持は弱ってくる。損得とか効率とかばかり考えていても弱ってくる。もともとちまちました人間だからつい考えてしまう。ちまちました人間にありがちなことだが、けっこう計算は得意なのである。
自分の得意なことは、正しいとおもってしまいがちだ。そのおもいこみを打ち砕いてくれるような人や作品に出合うと、うれしくなる。「ああ、つまらんなあ、オレは」と……。
無駄とおもうこともたくさんある。それをなくせば、もっとよりよく生きていけるのかもしれないが、無駄のない生活がおもしろいかどうかは別だ。文学や詩、音楽の効用。 酒やタバコもそうかもしれない。酒を飲みすぎた日、読まない本をたくさん買ってしまった日にいつもそうおもう。まあよしとしよう。