……Theピーズの「3度目のキネマ」という曲がYouTubeにあがっていることを教えてもらい、ここ数日そればっかり聴いていた。
ときどき自分の感情や思考と言葉がうまくつながならなくなる。
文章を書く。現実を切り取る。不正確に切り取ると、世界がゆがみ、頭がおかしくなる。大げさにおもうかもしれないが、そういうことは一人の人間の身の上には起こりうることだ。
そういうときはしばらく本を読むのもやめて、好きな音楽にひたる。
Theピーズの曲は(自分にとって)特効薬になる。身につまされすぎることもあるのだが、十数年前、文章が書けなくなってしまったとき、『リハビリ中断』にはずいぶん世話になった。
*
一九九七年から九八年にかけて、定収入だったPR誌が月刊から隔月になり季刊になり休刊し、ほかの仕事も次々と失って、テープおこしのアルバイトでどうにか食いつないでいた。
アパートの壁が薄く、夜中にCDを聴いていると隣の住民によく壁を蹴られた。とにかく防音のしっかりした部屋に引っ越したかった。
夜、友人が遊びに来ると、高円寺南口のOKストアの向いの午前三時まで営業していたちびくろサンボという喫茶店によく行った。
わたしは発表のあてがない二百枚くらいの原稿(私小説みたいなもの)を書いていたのだが、パソコンが壊れてしまった。
修理に出したが、データはすべて消えてしまった。しばらく布団から起き上がる気力も出ないほど落ち込んだ。
二カ月くらい文章が書けなくなった。
あまりの虚脱ぶりを見かねた河田拓也さんが、線引き屋のホームページに「何でもいいから書いてよ」と原稿を依頼してくれた。
それで「文壇高円寺」という連載をはじめることになった。
当時も、私小説を読んだり、音楽を聴いたり、酒を飲んだりしながら、つながらなくなった言葉をどうにかしたいとあがいていた。
そのころの感覚をふとおもいだした。
(……未完)
2012/03/05
本と酒 その二
……古い日記を見ていたら、パソコンを買ったのが一九九八年の一月、Theピーズのホームページを見たのは同年四月二十九日であることがわかった。
すっかり忘れていたのだが、五月には高円寺のショーボートでペリカンオーバードライブのライブを見ている。このときは打ち上げに参加せず、ライブのあとひとりで飲んだ。
この年の秋、学生寮の二階丸ごと借りる。
駅から徒歩三分、四畳半三部屋と台所と風呂とトイレと物干し台が付いて七万円という破格の安さだった。ただし、当時のわたしの収入は十五万円前後だったから、借りるかどうか迷っていた。家賃は収入の三分の一以下でなければいけないとおもっていた。
物件を見つけた友人は、「おもしろい部屋だから借りろ」と強くすすめた。さらに「家賃が上がったら、その分、仕事しようって気になるよ」ともいった。
その言葉を信じてみることにした。
当時は、遊んでばかりいた気もするが、落ち込んでいる時間も長かった。
単発の仕事ばかりで定収入がない。定収入がないから生活が安定しない。体調も崩しやすい。
自分のやっている仕事が将来につながる気がしない。
決まった仕事がないから生活が荒むのか。生活が荒んでいるから決まった仕事が入らないのか。
レギュラーの仕事が入ると、それなりに健康管理もするようになる。連日、酒を飲んだり徹夜したりしていたら身がもたない。
二十代後半、本を売って酒を飲む生活が続いた。それはそれで、いい経験になった……とはあまりおもっていない。そうならないほうがいいに決まっている。
ただし、不安定で不規則な境遇に陥ったおかげで、今まで知らなかった世界を知ることができた。
朝まで飲める店、朝から飲める店、昼まで飲める店、昼から飲める店。
そういう店に出入りしている人々。
当時、高円寺に引っ越して八年目くらいで、多少はおもしろい飲み屋を知っているつもりだったが、自分の知っている世界の狭さと浅さを痛感した。
迷惑をかけたりかけられたり、ケンカしたり仲直りしたり、そういう人間関係を二十代後半になるまでほとんど経験してこなかった。
どちらかといえば、そういう関係は面倒くさいとおもっていた。
そんなひまがあったら、古本屋をまわって、ひたすら本を読んでいたかった。
(……続く)
すっかり忘れていたのだが、五月には高円寺のショーボートでペリカンオーバードライブのライブを見ている。このときは打ち上げに参加せず、ライブのあとひとりで飲んだ。
この年の秋、学生寮の二階丸ごと借りる。
駅から徒歩三分、四畳半三部屋と台所と風呂とトイレと物干し台が付いて七万円という破格の安さだった。ただし、当時のわたしの収入は十五万円前後だったから、借りるかどうか迷っていた。家賃は収入の三分の一以下でなければいけないとおもっていた。
物件を見つけた友人は、「おもしろい部屋だから借りろ」と強くすすめた。さらに「家賃が上がったら、その分、仕事しようって気になるよ」ともいった。
その言葉を信じてみることにした。
当時は、遊んでばかりいた気もするが、落ち込んでいる時間も長かった。
単発の仕事ばかりで定収入がない。定収入がないから生活が安定しない。体調も崩しやすい。
自分のやっている仕事が将来につながる気がしない。
決まった仕事がないから生活が荒むのか。生活が荒んでいるから決まった仕事が入らないのか。
レギュラーの仕事が入ると、それなりに健康管理もするようになる。連日、酒を飲んだり徹夜したりしていたら身がもたない。
二十代後半、本を売って酒を飲む生活が続いた。それはそれで、いい経験になった……とはあまりおもっていない。そうならないほうがいいに決まっている。
ただし、不安定で不規則な境遇に陥ったおかげで、今まで知らなかった世界を知ることができた。
朝まで飲める店、朝から飲める店、昼まで飲める店、昼から飲める店。
そういう店に出入りしている人々。
当時、高円寺に引っ越して八年目くらいで、多少はおもしろい飲み屋を知っているつもりだったが、自分の知っている世界の狭さと浅さを痛感した。
迷惑をかけたりかけられたり、ケンカしたり仲直りしたり、そういう人間関係を二十代後半になるまでほとんど経験してこなかった。
どちらかといえば、そういう関係は面倒くさいとおもっていた。
そんなひまがあったら、古本屋をまわって、ひたすら本を読んでいたかった。
(……続く)
2012/03/03
本と酒 その一
……気がつけば、三月。季節の変わり目は腰痛になりやすく、ふだんより慎重に生活している。あと飲んで寝てばかりいる。
上京して二十三年になる。わたしの学生時代、中央線沿線は貧乏学生の町だった。他の路線より風呂なしアパートが多く、銭湯も夜遅くまで営業していた。家賃はともかく、物価は安いというのが、当時の印象だった(これは今もそう)。
高円寺には、西部古書会館があり、古本屋も多い。飲み屋も多い。
昔も今もわたしの生活は、家賃や光熱費をのぞくと、本と酒が消費の大半を占める。
二十歳のころはアルバイトをかけもちしながら、映画館、ライブハウス、野球場、古本屋、中古レコード屋、飲み屋に通っていた。
二十代後半には、映画を観なくなり、ライブハウスからも足を遠のいていた。
一九九七年にTheピーズが『リハビリ中断』というアルバムを出した後、活動停止した。もともとアルバムをコンスタントに出すバンドではなかったが、どんどん表現が深化していた時期だったから残念でならなかった。
それからしばらくしてパソコンを買った。でもインターネットには接続していなかった。
あるときおもいたってダイヤルQ2のインターネットのプロバイダに登録した(一九九八年の春くらいだとおもう)。最初に検索した言葉が「Theピーズ」である。
すると、活動停止する前のライブを記録したホームページが目に飛び込んできた。
ホームページを作っていたSさんは会社をやめて、Theピーズの追っかけをやっていた。
Sさんに連絡をとると、高円寺に知り合いがいるから、いっしょに飲もうという話になった。
その知り合いが、ペリカンオーバードライブ(元ポテトチップス他)のギターの小島史郎さんだった。会うなり四軒くらいハシゴして、小島さんの家に行って、昼すぎまでレコードを聴いたり、音楽のビデオを観たりした。
その後、高円寺界隈のミュージシャンとガード下の居酒屋や公園で飲むようになった。
ペリカンオーバドライブの増岡さん、800ランプ(その前は青ジャージ)のオグラさんや原さんと知り合った。その前に、ペリカンのライブを観に行って打ち上げにまざったときに、いっしょに飲んでいたかもしれない。
あまりにも飲んでばかりいたから、このころの記憶はあちこち抜けている。
(……続く)
上京して二十三年になる。わたしの学生時代、中央線沿線は貧乏学生の町だった。他の路線より風呂なしアパートが多く、銭湯も夜遅くまで営業していた。家賃はともかく、物価は安いというのが、当時の印象だった(これは今もそう)。
高円寺には、西部古書会館があり、古本屋も多い。飲み屋も多い。
昔も今もわたしの生活は、家賃や光熱費をのぞくと、本と酒が消費の大半を占める。
二十歳のころはアルバイトをかけもちしながら、映画館、ライブハウス、野球場、古本屋、中古レコード屋、飲み屋に通っていた。
二十代後半には、映画を観なくなり、ライブハウスからも足を遠のいていた。
一九九七年にTheピーズが『リハビリ中断』というアルバムを出した後、活動停止した。もともとアルバムをコンスタントに出すバンドではなかったが、どんどん表現が深化していた時期だったから残念でならなかった。
それからしばらくしてパソコンを買った。でもインターネットには接続していなかった。
あるときおもいたってダイヤルQ2のインターネットのプロバイダに登録した(一九九八年の春くらいだとおもう)。最初に検索した言葉が「Theピーズ」である。
すると、活動停止する前のライブを記録したホームページが目に飛び込んできた。
ホームページを作っていたSさんは会社をやめて、Theピーズの追っかけをやっていた。
Sさんに連絡をとると、高円寺に知り合いがいるから、いっしょに飲もうという話になった。
その知り合いが、ペリカンオーバードライブ(元ポテトチップス他)のギターの小島史郎さんだった。会うなり四軒くらいハシゴして、小島さんの家に行って、昼すぎまでレコードを聴いたり、音楽のビデオを観たりした。
その後、高円寺界隈のミュージシャンとガード下の居酒屋や公園で飲むようになった。
ペリカンオーバドライブの増岡さん、800ランプ(その前は青ジャージ)のオグラさんや原さんと知り合った。その前に、ペリカンのライブを観に行って打ち上げにまざったときに、いっしょに飲んでいたかもしれない。
あまりにも飲んでばかりいたから、このころの記憶はあちこち抜けている。
(……続く)
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