2013/01/11

人生レポート

 一昨日、早稲田の古本街、BIGBOXの古本市に行く。ひさしぶりに早稲田から高田馬場まで道をゆっくり歩いた。知らないうちに新しい飲食店が激増している。
 そのあと古書現世に寄り、きだみのる著『人生レポート』(雲井書店、一九五七年刊)を買う。この本ははじめて見た。新書サイズで装丁もすごく好みだ。

《だが独学が人一倍の努力を必要とすることに変りはない。ファーブルには、貧乏人に許されたたったひとつの羅針盤、堅忍不抜の精神に頼るしかない。彼は途に迷ったり、突破せねばならぬ岩の前に立ったとき、何時も一つの言葉を自分に言い聞かせて疲れた足を励ました。
——希望を持て、そして進め!》(人間は間違える葦でもある)

 いい言葉だ。やる気が出た。
 あと独学を続けるためにはなかなか結果が出ず、手ごたえをかんじられないときに、適当に気晴らしすることも必要だとおもう。

 昨日は神保町に行く。新刊書店をハシゴして、神田伯剌西爾でコーヒーを飲み、小諸そばでから揚げうどんを食う。

 正月ボケで仕事がはかどらない。長年の経験上、ずっと家にこもって原稿を書くよりも、日中、すこし出歩き、夜、軽く飲んで(※水割三杯まで)、ちゃんと寝たほうがいい。

 三月くらいになったら、電車にとって、中央線沿線、早稲田、神保町以外の首都圏の古本屋もまわりたい。

2013/01/06

ペソアの新刊

 フェルナンド・ペソア著『[新編]不穏の書、断章』(澤田直訳、平凡社ライブラリー)がまもなく刊行される。

 旧版からの大増補……といっても、完訳ではない。それでも平凡社ライブラリーでペソアの文章が読めるのはありがたい。枕もとに置いて、すこしずつ大事に読みたい本だ。

 フェルナンド・ペソアは、アルベイト・カエイロ、リカルド・レイス、ベルナルド・ソアレスなど、本名だけでなく、数々の異名で作品を書いていた。しかしその作品のほとんどは生前に発表されることはなかった。

 その散文は、夢や人生についての思索、あるいは自問自答といってもいい。

《なぜ書くのだろうか。もっとうまくは書けないのに。だが、もし、こうしてわずかながら書き上げるものを書かないとしたら、私はどうなってしまうだろうか》

 どこから読んでもいいし、読まなくてもいい。内容があるかどうかもわからない。
 ペソアの文章は独り言の文学の極北かもしれない。文章の端々にひとりの時間が流れている気する。
 ひとりの人間の思索にただ付き合う。途中で頁を閉じ、ものおもいにふける。ときどきそういう読書がしたくなる。

2013/01/04

正月の散歩

 東京で寝正月。元旦は氷川神社で初詣。年末年始、うどんと雑煮ばっかり食っていたので、炊き込みご飯と中華風スープを作る。

 散歩をかねて早稲田通りのマルエツプチに行くと、カップ麺のコーナーに寿がきやの和風とんこつラーメンが売っていた。これはうれしい。ゆず一味も買う。

 毎年のことだけど、三月中旬くらいまでは無理をしない方針である。焦らず、一年投げられる肩を作る……よくいえば、そんなかんじだ。
 働くことが好きな人はどんどん働けばいい。でもバランスをとるためにも、あまり働きたくない人はエネルギー(電気にかぎらず)の浪費を抑え、休み休み、こぢんまりと暮らすことを志してもいいのではないか。

《私は閑寂に身を置かざるを得ない正月の幾日かを毎年いかにして送るべきかを考えるものである。詰り、正月の散歩のことを》(「正月の散歩」/新居格『生活の錆』岡倉書房、一九三三年刊)

 新居格は高円寺に住んでいた。
 人の家を訪ねるのも、室内遊戯や酒が好きではないから、どうしても正月には時間を持て余す。それで散歩をするのだが、足を休めるカフェもしまっている。

 同書の「正月」と題した随筆では、「自分はただゆっくりした時間を持ちたいと思う計りだ」と綴る。

 八十年後の高円寺は元旦から営業している店がけっこうあるが、いつもより町を歩く人は少ない。
 閑散とした町を歩くのはちょっと楽しい。