土曜日、高円寺ジロキチで東京ローカル・ホンクとパイレーツ・カヌーのライブを見る。
パイレーツ・カヌーは京都のバンドで、演奏のすごさに遊びの部分がくわわって、ライブバンドとして見て楽しめる要素がさらに増しているかんじがした。
洗練された音楽とMCのぎこちなさも魅力がある。
東京ローカル・ホンクは、木下弦二さんがソロで歌っていた「夜明けまえ」をギター+アカペラバージョンで披露する。ライブの中盤くらだったにもかかわらず、拍手がなりやまない。
「昼休み」以降、聴いたあともずっと考えさせられる曲が増えた。ある種の疲れやもどかしさを琴線にふれるように、しかもシリアスになりすぎずに表現している。
アンコールは二組のセッションで、スティービー・ワンダーとクラプトン。それぞれのドラマーの東西クワイエット・ロックロール対決もおもしろかった。ツインドラムなのにお互いに音を出さないことを張りあっている。
二十代から四十代にかけて、うずまき〜ホンクのライブを見続けてきているのだけど、その時間そのものが自分にとって、大きな財産のようにおもえる。ひとつのバンドの成長や成熟の現場に立ちあえている喜びというものは、知らず知らずのうちに、自分が行き詰まったときのヒントや打開策を教えられていたりする。
遠回りしながら、答えを見つけようとする姿勢とか。
この日、ほんとうは飲みすぎてはいけない事情があったのだが、午前三時まで飲んでしまう。現在猛省中。
2013/09/12
六平さん
九月五日の朝、電話があった。わたしの朝寝昼起を知っている友人が午前中に電話をかけてくることはほとんどない。
ナンバーディスプレイに扉野良人さんの電話番号が表示されて「もしや」とおもった。
やっぱりそうだった。そのあとすぐ石田千さんからも同じ内容の電話がかかってきた。
入院中だったことは知っていたし、前の週に見舞いに行った扉野さん、石神井書林の内堀弘さんから容体も聞いていた。
ちょっと寝ぼけていたが、平静のつもりだった。ところが、その日の記憶はあちこち飛んでいる。
昔から、悲しいときには、心が痛むのではなく、頭がおかしくなる。
中川六平さんと会って二十年くらいになる。『思想の科学』の編集者のNさんに紹介してもらった。初対面のとき、六平さんは「おまえ、貧乏そうだなあ。文芸座のもぎりのバイトやらないか」といった。
バイトの話は断ったが、以来、ときどき高円寺で飲むようになった。「安い飲み屋連れてけ」と呼び出される。夕方タイムサービスで生ビール百円の店に案内したら「ここまで安くなくてもいいんだよ」と文句をいわれた。
『古本暮らし』(晶文社)の打ち合わせと編集作業は古本酒場コクテイルでした。当初は、編集の仕事を手伝えといわれていたのだが、わたしは自分の本を作ってほしいとお願いしたのだ。
「わかった、原稿もってこいよ」
当時の六平さんは晶文社で微妙な立場だったから、わたしの本はちゃんと企画を通していないとおもう。
表紙ができ、見本ができても不安だった。もしかしたら出ないんじゃないか。書店に並ぶまでは安心できない。
二〇〇七年五月、はじめて自分の単行本が書店に並んでいるところを見たときはうれしかった。
本が出たあと、六平さんにいわれた言葉は「おまえは失うものがないんだから、守りに入るんじゃねえぞ」だった。
最初の単行本の担当編集者は、書き手にとって大きな存在だ。
でもわたしは六平さんにお礼をいったことがなかった。けなされ、おごらされてばかりで、感謝の言葉をいう隙を与えてもらえなかった。
六平さんが最後に編集した本は石神井書林の内堀弘さんの『古本の時間』(晶文社)である。
『古本の時間』の発売日、六平さんはその本が書店に並んでいる写真を見ている。
夜、眠りついて、そのまま起きてこなかったらしい。
ナンバーディスプレイに扉野良人さんの電話番号が表示されて「もしや」とおもった。
やっぱりそうだった。そのあとすぐ石田千さんからも同じ内容の電話がかかってきた。
入院中だったことは知っていたし、前の週に見舞いに行った扉野さん、石神井書林の内堀弘さんから容体も聞いていた。
ちょっと寝ぼけていたが、平静のつもりだった。ところが、その日の記憶はあちこち飛んでいる。
昔から、悲しいときには、心が痛むのではなく、頭がおかしくなる。
中川六平さんと会って二十年くらいになる。『思想の科学』の編集者のNさんに紹介してもらった。初対面のとき、六平さんは「おまえ、貧乏そうだなあ。文芸座のもぎりのバイトやらないか」といった。
バイトの話は断ったが、以来、ときどき高円寺で飲むようになった。「安い飲み屋連れてけ」と呼び出される。夕方タイムサービスで生ビール百円の店に案内したら「ここまで安くなくてもいいんだよ」と文句をいわれた。
『古本暮らし』(晶文社)の打ち合わせと編集作業は古本酒場コクテイルでした。当初は、編集の仕事を手伝えといわれていたのだが、わたしは自分の本を作ってほしいとお願いしたのだ。
「わかった、原稿もってこいよ」
当時の六平さんは晶文社で微妙な立場だったから、わたしの本はちゃんと企画を通していないとおもう。
表紙ができ、見本ができても不安だった。もしかしたら出ないんじゃないか。書店に並ぶまでは安心できない。
二〇〇七年五月、はじめて自分の単行本が書店に並んでいるところを見たときはうれしかった。
本が出たあと、六平さんにいわれた言葉は「おまえは失うものがないんだから、守りに入るんじゃねえぞ」だった。
最初の単行本の担当編集者は、書き手にとって大きな存在だ。
でもわたしは六平さんにお礼をいったことがなかった。けなされ、おごらされてばかりで、感謝の言葉をいう隙を与えてもらえなかった。
六平さんが最後に編集した本は石神井書林の内堀弘さんの『古本の時間』(晶文社)である。
『古本の時間』の発売日、六平さんはその本が書店に並んでいる写真を見ている。
夜、眠りついて、そのまま起きてこなかったらしい。
2013/09/02
雑感
九月、藤井豊さんはまだ仕事部屋にいる。先週はじめから、閖上の仮設住宅の寺子屋の先生をしている工藤博康さんも上京していて、ずっと相部屋状態だった。
工藤さんは酒が強い。前に東京に来たときも十二時間くらい飲み続けた。最後のほう、わたしは意識が遠のきかけた。
文学の話をしているときも工藤さんは技術の話ではなく、「なぜ書くのか」という問題に踏みこんでくる。表現にたいして誠実なのである。どちらかといえば、わたしもそういう話をするのは好きなのだが、工藤さんの熱量にはかなわない。
月末の仕事はどうにか乗りきった。日課の散歩によって、すこし体力がつき、よく眠れるようになったのがいいのかもしれない。
無理なペースは長続きしない。
ただ、あまりにも無理をしない生活をしていると、いろいろな能力が退化しそうで怖い。
ここ数年、そんなことばかり考えている。
昔、将棋の本を読んでいて、「からだで覚えた将棋」という言葉を知った。
いわゆる大局観のようなものもそれに含まれる。どんなに頭のいいプロ棋士でも、あらゆる局面を記憶することはできない。さらに未知の局面にしょっちゅう出くわす。時間制限がある中で次の一手が読みきれないとき、プロ棋士のレベルになると、ここでこう指したら「気持がいい/気持がわるい」という感覚があるそうなのだ。
もちろん「からだで覚えた将棋」の感覚そのものはわからない。将棋の感覚はわからないけど、文章の読み書きなら「気持がいい/気持がわるい」という感覚はそれなりにあるとおもっている。
何かひとつのことに打ち込んで、身にしみついた感覚はなかなか理屈では説明できない。
一見どうでもいいようなものの微妙なちがいをかんじとれるかどうか。
最近、そうした感覚に頼りすぎると今度は別の何かが衰えるのではないかという気もする。
ややこしくてむずかしい。
まとめられそうにないので宿題にする。
工藤さんは酒が強い。前に東京に来たときも十二時間くらい飲み続けた。最後のほう、わたしは意識が遠のきかけた。
文学の話をしているときも工藤さんは技術の話ではなく、「なぜ書くのか」という問題に踏みこんでくる。表現にたいして誠実なのである。どちらかといえば、わたしもそういう話をするのは好きなのだが、工藤さんの熱量にはかなわない。
月末の仕事はどうにか乗りきった。日課の散歩によって、すこし体力がつき、よく眠れるようになったのがいいのかもしれない。
無理なペースは長続きしない。
ただ、あまりにも無理をしない生活をしていると、いろいろな能力が退化しそうで怖い。
ここ数年、そんなことばかり考えている。
昔、将棋の本を読んでいて、「からだで覚えた将棋」という言葉を知った。
いわゆる大局観のようなものもそれに含まれる。どんなに頭のいいプロ棋士でも、あらゆる局面を記憶することはできない。さらに未知の局面にしょっちゅう出くわす。時間制限がある中で次の一手が読みきれないとき、プロ棋士のレベルになると、ここでこう指したら「気持がいい/気持がわるい」という感覚があるそうなのだ。
もちろん「からだで覚えた将棋」の感覚そのものはわからない。将棋の感覚はわからないけど、文章の読み書きなら「気持がいい/気持がわるい」という感覚はそれなりにあるとおもっている。
何かひとつのことに打ち込んで、身にしみついた感覚はなかなか理屈では説明できない。
一見どうでもいいようなものの微妙なちがいをかんじとれるかどうか。
最近、そうした感覚に頼りすぎると今度は別の何かが衰えるのではないかという気もする。
ややこしくてむずかしい。
まとめられそうにないので宿題にする。
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