すこし前に三省堂書店で本を買ったら、古書モールで使える古本のクーポン券(五百円分)をもらった。期限は四月末。来週は連休前で神保町に行けるかどうかわからない。忘れないうちに使いたい。神田伯剌西爾のマンデリンも飲みたい。夕方、神保町に行く。
仕事の資料につかえそうな本を二冊買う。帰り神宮球場に寄って、ヤクルト横浜戦を観に行こうかどうか迷ったが、一昨日昨日とちょっと飲みすぎて二日酔い気味だったのでやめた。この時期のナイターは冷える。もし行ってたら、延長十二回五時間二十分の熱戦(大乱戦)を観ることができたのだが。迷ったときに、動けるようになりたいとおもいながら、なかなかうまくいかない。最近、旅行もしてない。
一週間が早い。寝て起きて本読んで仕事して酒飲んでのくりかえし。マンネリだの、ワンパターンだの、そんなことで悩んでいるひまはない。ただ、マンネリはマンネリでも、その精度を上げていく工夫はしたいとおもっている。
昨日は一日中部屋にこもっていた。ネットの戸田配信(ファームの試合)を見ながら、仕事と掃除。早く復帰してくれ、バレンティン。あと今シーズン中に一軍で奥村展征選手(FAの人的補償でヤクルトに入った選手)が見たい。センターカメラの映像が風でゆれて、ずっと見ていると酔ってくる。
仕事はあとすこしで終わりそう。
須賀章雅著『さまよえる古本屋 もしくは古本屋症候群』(燃焼社)を読む。日記、エッセイ、小説、漫画原作まで収録されたバラエティブック。詳しくは……というか、さっきまでこの本と前作の『貧乏暇あり 札幌古本屋日記』(論創社)について書いていた。くりかえし読みたい本が増えた。嬉しい。
2015/04/09
そろそろ
寒暖の変化がきつい。すこし前に最高気温が二十三度だったのに、昨日は三度。首都圏でみぞれ、雪が降ったところもある。
外出しようとおもって、外に出たら、あまりにも寒くて、冬用の服に着替える。
今週発売の『週刊朝日』の「最後の読書」というコーナーでエッセイを書いた。選んだ本は、山田風太郎の『コレデオシマイ。』(角川春樹事務所)――そのまんまというか、ひねりはまったくありません。
人生の最後に読みたい本といわれても想像つかなかったのだが、山田風太郎のエッセイは、今のところ、どんな体調のときでも読める。だから枕もとにいつも置いている。最後に手にとる本になる可能性は高い。
最近は堀内正徳著『葛西善蔵と釣りがしたい』(フライの雑誌社)も困ったときに読む本になっている。何度も読み返している。
《毎年、三月下旬から四月上旬に東京へ多めの雨が降る。東京都を東西に流れる多摩川は、その時季に調布あたりで三〇センチほど水位が増える》
「この雨が上がれば」というエッセイの出だしの文章だ。多摩川の増水が落ち着くと、高度成長期に姿を消していたマルタウグイという魚が自然遡上する。九〇年代に、放流をはじめ、再び、多摩川で自然産卵するようになったらしい。
《今では春、サクラの満開を待ちかねたように、多摩川の荒瀬では大量のマルタウグイが折り重なるようにして産卵行動をする。その光景は北海道の秋、カラフトマスやシロザケの産卵をほうふつとさせる》
東京の川でこんな光景が見られることを知らなかった。
そろそろマルタウグイの産卵の季節なのだろうか。
外出しようとおもって、外に出たら、あまりにも寒くて、冬用の服に着替える。
今週発売の『週刊朝日』の「最後の読書」というコーナーでエッセイを書いた。選んだ本は、山田風太郎の『コレデオシマイ。』(角川春樹事務所)――そのまんまというか、ひねりはまったくありません。
人生の最後に読みたい本といわれても想像つかなかったのだが、山田風太郎のエッセイは、今のところ、どんな体調のときでも読める。だから枕もとにいつも置いている。最後に手にとる本になる可能性は高い。
最近は堀内正徳著『葛西善蔵と釣りがしたい』(フライの雑誌社)も困ったときに読む本になっている。何度も読み返している。
《毎年、三月下旬から四月上旬に東京へ多めの雨が降る。東京都を東西に流れる多摩川は、その時季に調布あたりで三〇センチほど水位が増える》
「この雨が上がれば」というエッセイの出だしの文章だ。多摩川の増水が落ち着くと、高度成長期に姿を消していたマルタウグイという魚が自然遡上する。九〇年代に、放流をはじめ、再び、多摩川で自然産卵するようになったらしい。
《今では春、サクラの満開を待ちかねたように、多摩川の荒瀬では大量のマルタウグイが折り重なるようにして産卵行動をする。その光景は北海道の秋、カラフトマスやシロザケの産卵をほうふつとさせる》
東京の川でこんな光景が見られることを知らなかった。
そろそろマルタウグイの産卵の季節なのだろうか。
2015/04/05
色川武大の全集未収録作
日曜日、やや二日酔い気味で西部古書会館に行く。
そろそろ連休進行なのだが、無理せず、休み休み仕事をしようとおもう。
色川武大の単行本未収作を収めた『友は野末に 九つの短篇』(新潮社)を読む。この本の中に『文学者』一九七一年二月号に掲載された「蛇」も収録されていた。
五年くらい前に、わたしは「蛇」の存在を河田拓也さんに教えてもらった。さっき、インターネットで「色川武大」「蛇」と検索したら、河田さんのツイッターをまとめたものがいちばん上にあがっていた。
色川武大が阿佐田哲也名義で麻雀小説を書きはじめたのは一九六八年。一九七一年は「麻雀放浪記 激闘編」を『週刊大衆』に連載していた時期だが、本名で書かれた「蛇」は年譜に載ったことのない幻の作品だった。
《なるべく、というか、できうる限り、変化しないこと、私はもともともそれを望んでいた。その場所の居心地はどうでもかまわない。じっと我慢していればそのうち慣れてしまう。ただ、新らしい場所に移ることだけは勘弁して欲しい。引っ込み思案で怠け者の発想である》
色川武大のどこかおかしな小説の味はすでに、かなり、色濃く出ている。変化を拒む子どもだった「私」は、入浴、散髪、洗顔も大事件で飯を食うことも嫌い。だが、それをせずには生きていけない。「私」の生き方は「此の世の定則と、絶えず無益な戦争をくり返していたようなもの」だった。
自分で決めた原則に縛られて身動きできなくなる悲喜劇——色川武大作品の中でくりかえし語られるテーマだ。「蛇」の一年前に色川武大名義で発表された「ひとり博打」や『虫喰仙次』(福武文庫)所収の「走る少年」もそうだろう。
そろそろ連休進行なのだが、無理せず、休み休み仕事をしようとおもう。
色川武大の単行本未収作を収めた『友は野末に 九つの短篇』(新潮社)を読む。この本の中に『文学者』一九七一年二月号に掲載された「蛇」も収録されていた。
五年くらい前に、わたしは「蛇」の存在を河田拓也さんに教えてもらった。さっき、インターネットで「色川武大」「蛇」と検索したら、河田さんのツイッターをまとめたものがいちばん上にあがっていた。
色川武大が阿佐田哲也名義で麻雀小説を書きはじめたのは一九六八年。一九七一年は「麻雀放浪記 激闘編」を『週刊大衆』に連載していた時期だが、本名で書かれた「蛇」は年譜に載ったことのない幻の作品だった。
《なるべく、というか、できうる限り、変化しないこと、私はもともともそれを望んでいた。その場所の居心地はどうでもかまわない。じっと我慢していればそのうち慣れてしまう。ただ、新らしい場所に移ることだけは勘弁して欲しい。引っ込み思案で怠け者の発想である》
色川武大のどこかおかしな小説の味はすでに、かなり、色濃く出ている。変化を拒む子どもだった「私」は、入浴、散髪、洗顔も大事件で飯を食うことも嫌い。だが、それをせずには生きていけない。「私」の生き方は「此の世の定則と、絶えず無益な戦争をくり返していたようなもの」だった。
自分で決めた原則に縛られて身動きできなくなる悲喜劇——色川武大作品の中でくりかえし語られるテーマだ。「蛇」の一年前に色川武大名義で発表された「ひとり博打」や『虫喰仙次』(福武文庫)所収の「走る少年」もそうだろう。
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